散り残る紅葉に光降る・・・・亀尾から奧の平へ

    木の葉落つ 樹林に弾む 靴音は 十人十色の  喜び歌う

    狩人の 呼び子の響く 山に入り  猪に出会いて その無事祈る

    山中に 名づけられたり その場所の  証を探す 人と喜ぶ

    山に生き 山を糧とし その土地に  苦楽を埋めて 生きし杣人  

    青空に 紅葉透かし 秋の陽が  降り注ぎたる 谷の休息 

    ひたすらに 根っこに枝に 掴まりて 登りし尾根も 楽しき思い出

     光降れば 木々の影射す 奥の池  水面(みずも)凍りて 落ち葉を埋める

  

    気の早き 雪降る秋の なごり雪  奥の平に 哀愁描く 

    心地よく 広がる尾根に 炭焼きの  窯跡語る 人の生業(なりわい) 

    それぞれの 楽しみありて それぞれに  御池散歩の  秋の一日


 

都津茶女の歌を鑑賞す

                          御池杣人

 

山中に 名づけられたり その場所の 証を探す 人と喜ぶ

 

山に生き 山を糧とし その土地に 苦楽を埋めて 生きし杣人

 

 晩秋の御池岳亀尾行きは、黄葉紅葉の中の山行きであったが、一方、真ノ谷の古名を確かめる山行きでもあった。水木洞にミズキを、山葵洞にワサビを見いだしたうれしさ。かつてここで働いていた人たちが、生活の必要から名付けてきた地名。それは今のこの谷のいずこを意味するか。いろんな地図をあれこれ照らし合わせつつ、これまたあれやこれやと推測しつつ現地を歩く。その地名とおぼしき地に、その証の断片を見いだしえた時、その感動は一挙に時空を超えていく。かつての人々に出会っているかのよう。その人たちの息づかいも滴り落ちる汗も。鈴鹿の山を静かに心して歩けば、思い浮かべることができるかもしれぬ。そんな山行き僕は志してきた。

しかし、都津茶女の「苦楽を埋めて」の表現には、尚、僕の山行きの浅きことを思わずにはいられぬ。

そうか、その通りだろう。杣人たちは、生活の中、「その土地に 苦楽を埋めて」生きていたのだった。人生にとって苦楽は必然。生きることの主題。

とするならば、鈴鹿の山を歩く時、僕たちは先人の埋めてきた「苦楽」の上を歩いていることになる。それは同時に、日々の「苦楽」を背負った僕たちが、先人の埋めてきたそれの上を歩いているということ。言い換えれば、山行きとは、先人の埋めてきた「苦楽」と、今僕たちが背負っている「苦楽」との出会いと言ってもいいだろう。さらに言えば、生きるとは背負っている「苦楽」を埋めていくということであるかもしれぬ。そんな山歩きを僕はしているか。たとえ戯れであったにせよ、そして自称であるにせよ、御池杣人という名が重く、恥ずかしい。

 

気の早き 雪降る秋の なごり雪 奥の平に 哀愁描く

 

11月上旬に降り積もった雪は、御池岳の積雪としておそらく記録的であったことだろう。ジネグにより、ササの勢いはもはやない。茫々たる奥ノ平。そして雪のアクセントも茫々。それを彼女は「哀愁を描く」と詠む。比するのも失礼であろうが、おいけそまお君の作文(HP『panaちゃんの山歩き』参照)とのトーンの違い。同じ山を歩き、同じ空気を吸い、同じ風に吹かれても。人間の内面の多様さと深さ。それがうれしい


都津茶女の歌に思う        葉里麻呂

狩人の 呼び子の響く 山に入り  猪に出会いて その無事祈る

野生動物に対するやさしい心遣い。しかし我々人間は生き物を頂いて生をつないでいる。生きるとは罪な事だとも思えるが、それが自然の摂理なのだと言う事も頭の隅に置いておかなければならない。職猟師ではなく趣味として殺生をするハンティングは誉められたものではない。「その無事祈る」のは素直な感情の発露として心に響く。矛盾するようだが捕鯨問題でも分かるように一筋縄ではいかない課題である。

証を探す 人と喜ぶ 人の喜びを我が喜びと出来る人は素晴らしい。鈴鹿には手付かずの原生林もなければアルパイン的な要素にもとぼしい。しかし苦楽を埋めて 生きし杣人の足跡がいたるところにあり、それに思いを馳せる感性を持つ事はその人の山歩きを何倍にも深めるだろう。広がる尾根に 炭焼きの  窯跡  窯をつくには大量の水が必要だが、この場所にはどこから水を汲んできたのだろう、どういうルートで何処の誰が運んだのだろうと先人の汗を思いながら地図を広げたりする事も楽しみの一つである。