万手麻呂
本歌 小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ (貞信公)
御池岳 平の紅葉 心あらば またの会う日も 美しくあれ
現代語訳
御池岳奥ノ平の紅葉よ、今日は美しい姿を見せてくれてた。
また友と登って来る時も美しい姿を見せてくれ。
管理人解説
あのマンテマさんが歌を詠むということ自体が興味深いではないか。いみじくも「苦手な分野です」と白状されたごとく、苦心の跡がうかがえる。貞信公の歌は神聖な?ミルキーあんぱんの本歌でもある。五句には工夫の余地あれど、歌の心情は真っすぐで美しい。毎年紅葉を拝めることは当たり前のようでいて、実は有難いことだと気付かせてくれる歌だ。むしろ「みゆき待たなん」 を「ミルキーあんぱん」とした某氏の頭がおかしいのではないかとも思える。
御池杣人
独立した歌としてもなりたっている。あの奥の平。今年は残念ながら一度もたてなかった。近いけれども実は遠い憧れの地。ボーボーの世界に黄葉紅葉。歩きたい。静かにかつ丁寧に御池岳を愛している氏にふさわしい歌。
本歌 ほととぎす 鳴きつる方を ながれむれば ただありあけの 月ぞ残れる (後徳大寺左大臣)
北風の ふきくる方を ながむれば 日射すこずえに のこれる紅葉
現代語訳
北風が吹いて来る方向を見れば、日が射している梢に美しい紅葉が残っていることよ。
管理人解説
百人一首には何度も本歌に採用されるものもあれば、パロディーになりにくいものもある。調べたわけではないが後徳大寺左大臣は当サイト初登場ではないか。パロディーを離れても、晩秋とも初冬ともつかぬ季節の一ページを、鋭く切り取った秀歌だ。次回はオタンチンな歌も加えていただくことを期待する。
御池杣人
鳴きつる方をながむれば」→「ふきくる方をながむれば」の置き換えよし。これも独立した歌としての生命力をもっている。お日様の光が黄葉紅葉にさらなる千変万化のアクセントを加える。「日射すこずえにのこれる紅葉」の結びからは、青い空をバックに輝いている紅葉が見えてきて(しかも揺れているさまさえもが)、この歌の水準を高めている。体言止めの余韻か。粘り強く木々や花をテーマに歩いておられる氏の精進のさまがうかがえてうれし。