葉里麻呂

目次   次頁


 

 本歌  人も惜し 人も恨めし あぢきなく  世を思ふゆえに もの思ふ身は    後鳥羽院

     火を点し いとも昼めし 味気なく  湯が冷めるゆえに 雪の降る日は

現代語訳

 せっかくコンロで湯を沸かしたのに、冷めてしまって麺が固いことだ。雪の中で食べるカップ麺は味気ないことであるよ。

御池杣人

 そうであったか。わしなぞ湯も沸かさずにおいしいお昼ごはん。寒かった。しかし、都津茶女、巴菜女、麻鈴音諸氏と談笑しながら食べたので暖かかった。「火を点し」「いとも昼メシ」が本歌と響いている。特に「恨めし」が「昼めし」になってしまうところ、おたんちん度高し。

 


 本歌  これやこの 行くも帰るも 別れては  知るも知らぬも 逢坂の関      蝉丸

     これじゃこれ 行きも帰りも 見てたのに 知るも知らぬも ホッタテの主(ぬし)

現代語訳

 おかしいなあ、何度も見とったのに何処へいったんじゃー。あったあ、これじゃ、これー。知っとった人も知らなんだ人もとくと見よー。これがホッタテのヌシじゃー!

注: トチの大木に再会した御池杣人氏の心境を詠んだ歌。ホッタテはあの辺りの古名。では「窓付き別荘の木」は「ホッタテ小屋」という手もある?)

御池杣人

 わしの第2首の2分後の世界の内面的描写。対で鑑賞?されたい。

 あのトチの大樹に逢うまでの「おかしいなあ?」「だけど、もう一本大樹があるはず」「どこだったかなあ」と揺れていたさま。

 この歌は、きれいに蝉丸をまとめている。

 


 

 本歌  ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川  からくれなゐに 水くくるとは   在原業平

      雪や降る もみじも行かず 御池岳 からくれないを 白くするとは

現代語訳

 今年はまだ御池岳の紅葉を見に行けずにいた。やっと見られたと思ったら、雪がそれを白くしてしまったことだ。だが私は嘆いているのではない。

注:からくれないとは鮮やかな紅色のこと

御池杣人

 わしの第1首。本歌も同じ。テーマも同じ。だけど、この作品を読む前に、わしも第1首は作ってあった。面白いのう。この歌、落語にもあって僕は大好き。一つの歌から、いくつものパロディーができる。面白い。

 


 

    嬉々として けやきのうろに 入りたる  童(わらべ)のごとき 山の友たち    

 歌意  いい歳をしたおじちゃんおばちゃんが、子供のようにはしゃいでウロに入ったり、木に登ったりしている。浮世の憂さを忘れさせ、童心に還れる自然の懐は有難いものだ。

御池杣人

 キャッキャッ、あれ〜〜窓が! キャッキャッ。

 楽しい一瞬だった。この大樹とは初対面。こんな楽しさがあるからミルキーあんぱんはやめられぬ。