妙 女
@ あるき出し すぐに疲れて ビリになる はげます声は 見返草
いつもは杣人さんも一緒のビリなのに、今日は何故か前の方。二人の時はグーンと遅れても平気だけど、一人だから遅れもそこそこに。咲き始めの可憐な見返草を愛でながら「うんとこしょ、どっこいしょ。」と踏ん張って歩いた。迷猫さんが、あの時だけゆっくりペースだったから、遠慮せずに一緒に歩いてもらえばよかったかな。
A じぞうさま さい銭手向け 花手向け 両手合わせて 鞍掛峠
私が地蔵様に気がついたのは、鈴鹿に来るようになってだいぶ経ってからだった。鞍掛峠の地蔵様の話をしている仲間の話を聞きながら、「う〜ん、記憶にないなあ。」って思った覚えがある。周りの風景に溶け込むように鎮座していたから、うつらうつらと居眠りをしていることも多かったかもしれないなあ。でも、新築の祠をもらったお地蔵様は、今までのように気ままな暮らしは出来なくなった。みんなの「登山の安全を守る」という任務を課せられてしまった。だから、お疲れ様の意味も込めて、今までしたことなかったのに、さい銭もお花もあげてしまった。
B 山ヒルと まちがえられて きらわれて シュッと一吹き シャクトリ虫
「アッー!!」ヤマボウシさんのヤッケにヒル発見。ムムッと見つめて、「シャクトリ虫やわ。」と平然とつまんでポイするヤマボウシさん。とすると、今まで「キャー、キャー」と言いながら、なっきいさんと一緒にシューっと一吹きしたのは・・・。
C 今日もきた この御池岳に きょうも来た お池に抱かれ いのちはぐくむ
山仲間に「歩くカラオケボックス」と言われたことがある。小さな声で歌うのだが、前を歩く人には聞こえてしまうらしい。しかも、出てくる歌は古い歌ばかり。8月15日辺りは、どうしても「岸壁の母」になってしまう。その時々の愛唱歌があるが、今は美空ひばりの「みだれ髪」だ。『・・投げて届かぬ想いの糸が、胸に絡んで涙を絞る』は1番の歌詞。その絶妙な言い回しがすごい。何度も聞いた歌詞なのに、自分で歌うようになるとドヒャー・ワオーだった。オオルリヤンマの産卵はもとより、私も含めて全てのものを包み込んで余りある御池の懐に感謝、乾杯。
D 雨の中 コーヒーたてる 都津茶女の 憩う樹林に 思いただよう
「そこまでしてコーヒーを飲むのか!?」と思わせる状況下での作業だった。でも、グッ−っと一気に飲んだあの一杯はおいしかった。薄すぎたし、コーヒーの粉も混じっていたけど本当においしかった。都津茶女は「ここでコーヒー!何が何でもコーヒー!」のタイミングを心得ていて、みんなのために一肌脱いでくれたのだと思う。その思いが、お花の池・そぼ降る雨・鈴鹿の山奥の静寂にマッチして、私たちの心まで満たしてくれた。
E 永餅や きょうはなかりと おもひきや 大きな最中 二つありけり
御池庵の朝、膝をついて梵様がていねいなごあいさつをして出て行かれるのを見かけた。
いつもは桑名の名物「永餅」を休憩時間にご馳走してくださるけど、今日は一緒に行かないんだなあ。となると、永餅はないのか。ちょっと残念。でも、梵様は最中を東雲さんに預けていてくれた。そこでできたのが日の目をみない幻のこの一句
(こ〜りゃこりゃ 光る最中の あずきあん いつもは永餅 ミルキーあんぱん)
F 奥山に 枝から枝へと 渡るサル 目が合う時ぞ 胸はドキドキ
シロヨメネの群落にシャッターを切るヒト軍団。それを見て、騒ぎ立てるサル軍団。写真にはまっていない私は、サルの方に惹かれた。サル軍団とヒト軍団の中間くらいに立ち、枝をゆすって騒ぎ立てるサルを見ていると、ボスらしきサルが倒木越しに私を偵察に来た。私をジッと見据えて、グッと身を乗り出してきた。そして、見据えたままさらにググッと身を乗り出して様子を伺ってきた。その間、私とボスザルは目がガッチリと合ったまま。緊張の一瞬。
G 鈴北に うち出でてみれば 白妙の 小菊の中に 乙女咲くなり
鈴北から眺めたシロヨメナ群落、群落の中から花に埋もれて眺めた鈴北。今もその風景が蘇る。写真に収まった4人の乙女は嬉し恥ずかしウフフフフ・・・。「女の子で良かった。」といつも思う。人生、女の方が幸せが多い。この年になって「乙女」になった。ご協力ありがとうございました。
H 村雨の 露もまだひぬ アケボノソウ 霧立ち上る お花の尾根道
『お花』と聞いただけで、いろいろな思い出が脳裏をよぎる。ましてや、さらに『尾根道』と続けば心は遙か遠くへと飛び立つ。今回の吟行も深く心に刻まれた一つ。
@ そこがいい。何にでも興味を持って立ち止まる作者の持ち味。
C なんか上の句は岸壁の母みたいな雰囲気である。下の句が解釈に悩むところで、「いのちはぐぐむ」を先に持ってくれば意味は分かる。しかし後ろに持ってきた場合、主語は何か。まさか作者が妊娠している?・・・わけもないし。自分の命とすれば、命の洗濯ほどの意味か。あるいは御池岳の懐で命を育んでいるヤンマや花を見ている様子なのか。あるいは「句切れ」「倒置法」などを駆使した高度なテクニックなのか。ちょっと管理人には分からない。
E 作者の頭のなかでは梵さんと永餅が密接不可分の関係であり、うっかりすると条件反射で梵さんの頭に噛み付きかねない。永餅さんが参加されないのでがっかりしていたら、ちゃんと最中を託していてくださったという歌である。食い意地の張った歌は御池杣人氏が得意とするところだが、妙女氏の歌もよい。なにより小倉あんの重要性によく気付かれた。小倉百人一首を手本とする鈴鹿百人一首を詠む場合、あんこ菓子をいただくことが正式な作法なのである。
梵さんが食べきれないほどの最中を用意してくださったのは、一昨年管理人が詠んだ歌 「あらざらん この余の背なの あんぱんは 今ひとくちの あんこともなか」 に配慮いただいたのだろうか。それはともかくピカピカ光る最中の粒あんを思い出す秀歌である。幻の一首も「こ〜りゃこりゃ」が斬新である。
G 管理人の第二首と同じ視点である。本歌は山部赤人だろう。白妙をシロヨメナ(小菊)の枕詞に持ってきたのは格調高し。しかも白妙は作者自身に掛けた掛詞でもある。鈴北岳の登山者から見ても、見事に乙女が咲いていたのだろう。
H 寂蓮法師の歌は殆ど変えなくてもミルキー吟行の情景に近い。それゆえ過去にも使用例がある。アケボノソウを織り込んだこの作品は、過不足なく現場を表現してまことにごもっともである。水滴を乗せた瑞々しいアケボノソウが目に浮かぶようだ。欲を言うならいま少し本歌の韻に近い言葉を使って(ダジャレとも言う)詠んでみたい。とは言え、まずは百人一首を手本にされたことは嬉し。
@ 破地氏のDVDを面白がりながら何度も見ていると、いろいろ分かって面白さも倍増する。妙女は見事にほぼ毎回、ビリを歩いておられる。僕は帰路にビリ群団に入る感じ。鞍掛峠まで葉里麻呂が先頭で。しかし何という速さ。僕は峠まで行けるのやろかと、着いていくのがやっとだった。それに比すれば妙女はチンタラを歩き始めから貫いている。見事と言わねばならぬ。見返草が効いている。あの峠までの道。僕も逢えてうれしかった。
A ユーモラスな作風のままが伝わってくる。僕はこの地蔵様に「花手向け」たことなかったので、こうなる。
「じぞうさま さい銭手向け 手を合わせ おつむ撫で撫で 鞍掛峠」
これはこれでなかなかいい歌となった。これからこの地蔵様の前を通るときは、この歌を思い返そう。
B 最近、その道の人たちによる自然科学調査によれば御池岳でシャクトリ虫が激減している?との報告。
こういうわけ?であったのか。
C このテンポの良さ。歌謡曲の一節を採用して、やはりユーモアが漂う。妙女の天性か。
D 都津茶女と山行をともにすると、氏のたてるコーヒーを味わうことが楽しみのひとつ。また飲みたし。飲ませてちょうだい。
E 「きょうはなかりと おもひきや」デーンと登場しました。梵氏の桑名名物のお菓子。今回はあの大きな最中だった。
あずきのアンが大きな粒々でツヤよく光っておった。僕は二つも食べきれず、一つはお土産に。
「二つありけり」があのボリュームとアンの大きな粒々の輝きへの驚きの間接的な表現か。
F 妙女氏の御池百人一首シリーズの開始?か。
奔放な作風がかえって新鮮。「秋はかなしき」を「胸はドキドキ」
この対応する末尾の「き」が、たった一字なのに不思議なことに効いている。
G あの名場面。モデルの側から見ると、鈴北が真正面。鈴北の登山者の眼から見ると「何じゃ、あのカラフルなカサの花は」ということになろう。葉里麻呂に通じる。しかし、よく見ると「カサの花」だけではない。「乙女咲くなり」なのだった。妙女が自分でこう表現するところ、何とも言えずおかしくていい。「白妙の小菊」も面白い。
H 本歌の美しさに負けず、あの楽しい尾根歩きがよみがえる美しさ。
霧立ちのぼる中でのアケボノソウ、シロヨメナ、トリカブト、ヒメフウロ。みな美しかった。
妙女の歌はユーモラスで軽妙で、全身で山歩きを楽しんでいることが伝わってくる。
読んでいてあの楽しかった山行が、そのチンタラペースまでもがこの凡夫にも蘇り、思わず微笑してしまう。
(遠く御池岳が眺められる日)