都津茶女 2
第七回 みるきーあんぱん吟行
病院に連れていきたし模型地図いつしかあなたは御池を歩く
あんぱんをかじる暇なし次々と心使いに舌鼓うつ
ぶるるんる瑠璃星蜻蛉水面飛ぶ大きな眼鏡にかないしお池
浮き草に足をからませ命生むその日その時一期一会
花霞埋もれて写すその人の帽子の陰に喜びの顔
春くれば再びこの地に花咲かそ我ら誓いし夕陽のテラス
霧立ちて御伽の国を歩み行く白きヨメナの花群れの庭
遍歴を生きる姿もたくましき木の輪くぐりて願いを託す
池めぐり命の息吹吸い込んで胸に希望の光が宿る
だいじょうぶそう聞こえたよ秋風に御池の主のささやく声が
言わずともあなたに会えた喜びに満たされ歩むみるきーあんぱん
――――都津茶女――――
第三、四首
あの劇的な場面。「命生むその日その時一期一会」
まことにその通り。これはトンボとのあの印象的な場面だけでなく、僕たちの日常そのものも 「命を燃焼させてその日その時一期一会」を生きているのだ。しかも僕たちこそ「浮き草に足をからませ」ながら。そんなことに気付かされる。
第六首
春になればまた夕日のテラスに花咲かせましょう。天狗堂はもれいづってくれるだろうか
第七首
お見事。あの日我らを包んでくれた霧とシロヨメナ。
ミルキーあんぱんは不思議なことにおとぎの国を歩くことになる。
そのおとぎの国は「白きヨメナの花群れの庭」だった。この表現の美しさ。あの場面がよみがえる。
体言止めの余韻までも静かに響く。
第十首
「だいじょうぶ」−−−「だいじょうぶ」
御池の主のささやきを僕も信じよう。それを伝えてくれて感謝!
「なるようになる」 「なんのこれしき」 「だいじょうぶ」の精神で生きていきたし。
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入院して検査の合間に二冊の本を読んだ。
水上勉 不破哲三 「一滴の力水 同じ時代を生きて」 (光文社2000年3月)
水上勉 不破哲三 「同じ時代を生きて 往復書簡」 (新日本出版社2007年8月)
前者は二人の対談集。帯のコピーには「原子力発電所のこと、沖縄のこと、政界のこと。二人は通底する考えを持っていた心友なので、『同病相憐れむ』以上のものがにじみ出ていることに気付かれよう。・・・水上」 とある。
後者は二人の、この対談含めての交友記録。 帯のコピーは「ふたりの『心音』に耳を澄ます友情に溢れた『交遊録』 病床から闘病体験を求めた水上氏の電話に始まる十数年の交流 − 『地下茎で結ばれた』(水上氏)交友を記録した五十数通の手紙に、不破氏が『注』や『解説』を書き加えた。『無言館』館主の窪島誠一郎氏も、文章を寄稿して父への思いを語る」とある。
作家水上勉氏が心筋梗塞で闘病中に、不破氏が同じ病を克服し、元気に山に登っているとの写真と記事を読み、不破氏に問い合わせ両氏の交友が始まる。その記録の二冊は大変興味深かった。この日本の知識人の巨星の交友を思い浮かべると、小さな世界ながら都津茶女と僕はかなり共通していることに気付く。ひとつは「山」、今ひとつは「病」。そして都津茶女の内面はうかがい知れないが、少なくとも僕には水上勉のいう「同病相憐れむ」以上のものがにじみ出つつある気がする。生きようと前を見ている点で。
都津茶女の手術前に友人らが都津茶女を励ます雪の鈴鹿縦走を、都津茶女を包むかのように敢行した。それを彼女は「友情の花束」と表現していた。その山行記を読み、同じ雪の日、僕は御池奥ノ平にいたのだから、僕はその花束本体ではないが、その周りをフラフラ揺れているカスミソウじゃと。そのカスミソウ名で彼女の入院療養中、花の写真葉書を何通か送った。汚いオッサンのカスミソウではあったが、都津茶女の回復を祈って。そして見事に彼女はその日々を経て山行を復活させ、山への新たな躍動を進めている。それはうれしいうれしいことであった。
しかし人生とは不思議なもので、今度逆に僕が励まされる側に。この夏だけでもヤブネットオフ会。そしてミルキーあんぱん。同人の厚き友情に包まれて。この汚いカスミソウに。ありがたいこと。
(病院にて)
えらいぎょうさん歌を作っていただきました。入院中の御池杣人さんから封書で上記コメントが届きました。
メールならコピー アンド ペーストで済みますが、修正だらけの長文のうえ、あの読みづらい手書き文字。
解読してタイプするのに疲れ果てました。なんでわし、こんな目にあわないかんのやろ(笑)
まあ、病院で寝ているよりましと思って奉公さしてもらいました。
一部解読不能にて推定で書きましたが、大意に影響はないと思います。疲れたのでコメント手短かでご容赦を。
病院に連れていきたし・・・
病室にお貸しすることはまったく構わないが、置く場所がないから邪魔になることは自明。早く本物の御池岳に立たれるよう願うばかり。
ぶるるんる瑠璃星蜻蛉・・・
眼鏡にかないしという箇所がトンボに掛けていてうまい。昆虫にはそれぞれの生態に合ったテリトリーで棲み分けている。
今西錦司博士の棲み分け理論なり。広々として浅い元池は泥の中に産卵するオオルリボシヤンマの楽園なのだろう
人類も争わず、うまく棲み分けできないものか。
花霞埋もれて写す・・・
人がうれしいと自分もうれしいと感じる作者の心。
霧立ちて御伽の国を・・・
今までヨメナを美しいと感じたことはなかったが、あの日は花自体から神々しい光を放っているように見えた。
御伽の国と見えたは自分だけではなかったようだ。
遍歴を生きる姿も・・・
あの不思議な木、めがねの木だったか。樹種は御池岳に多いキハダと思うが、あんな形は見たことない。
人は何かにつけて願い、祈り、縋る・・・この世はままならないことばかりだから。
言わずともあなたに会えた・・・
水上本の表現を借りれば、歌に「同病相憐れむ」以上のものがにじみ出ている。
これが「言わずとも」分かる「地下茎で結ばれた」友情というものか。