管理人の歌と御池杣人様返歌

 

  鑑賞の手引き  先ず状況が理解されないと歌の解釈に支障をきたすので、先に経緯を説明しておこう。

 御池岳から炭焼きが去って数十年の歳月が流れた或る日、御池杣人氏がさる竪穴を再発見し、「小竜の穴」と名付けた。当サイトの穴もぐり記事をきっかけに、最近某機関がケイビング専門家を雇い、その穴を詳しく調査した。最終調査を終えたケイビングクラブが下山途中(登山道ではない)、偶然別の竪穴が発見された。しかし夕闇が迫っていたので正確な位置の測定はされなかった。のちに某機関から届いた「小竜の穴調査報告書」に「また穴がありました」と書いてあったので、管理人は某機関の語る地形を頼りに入山し、恐ろしい新穴を確認した。

 この穴は凄い穴で、池守氏から聞いた穴リストにも入っていない。しかし別に御池岳に新しい穴があったとて、普通の人にはどうでもいいことである。しかし御池杣人氏にとっては、御在所岳に宇宙人の円盤が着陸することより重大事であり、新穴の現場確認は三度のメシより大切なことである。そしてある霧の濃い日にヒルに喰われつつ穴探しに向かった。「葉里麻呂がすでに見ているのはグヤジー! ワシもぜひ見ておかねば」・・・という心境であっただろうと想像し、御池杣人氏に歌をお送りしたら返歌を頂いたので掲載する次第である。

(葉里麻呂より御池杣人氏に捧ぐ)

 

 本歌   天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも    安倍仲麿

 

       山の腹 ふりさけ見れば ガスかかる 御池の山に ヒル出でしかも

 

 本歌   いにしへの ならの都の 八重桜 けふ九重(ここのへ)に にほひぬるかな   伊勢大輔

 

       いにしへの 御池の穴は 八重の坂 どうもここのへんが にほいぬるかな

 

 現代語訳  昔からあるらしい御池の新穴は、難儀な急坂の途中にあると聞く。状況から見て、どうもこの辺がクサイ(怪しい)

 

 本歌   もろともに 哀れと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし   大僧正行尊

 

       かんたんに 逢へると思ふな 山の穴 シカよりほかに 知る人もなし

                                        


 

葉里麻呂氏から捧げられてしまった歌にはお返しが礼儀なり。グヤジーと思いつつの返歌。

「どうもここのへんが にほひぬるかな」と鼻をピクピクさせて進む。山行けば嗅覚も駆使する。葉里麻呂氏の言うように「かんたんに 逢へる」とは思っておらん。そんなことはわかっちょる。

 

本歌 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立  小式部内侍

 

   おおやまあ ヒルの野道の 遠ければ まだふみもみず 穴をわしだけ  御池杣人

 

現代語訳

 おおやまあ。やはり山ヒル様がうようよ蠢いておられる御池岳の野道、山道、杣道。「お邪魔しますよ。あまりお近づきにならないでね」などと独り言をいいながら、あれこれうろうろしていると何とも遠い道なのです。だからまだあの穴のある地を踏んでみたこともありませんし、その穴からのメッセージ(文)も見ていません。でもあまりにぐやじいので、つい「わしだけが見ていない」というように、言葉の使い方までもが、ひがんでゆがんだ気持ちになってしまうことですよ。

 (晩秋の条件のいい時にゆっくりと見に行けばいいと、わかってはいるのですが、葉里麻呂に「かんたんに逢へると思うな」などと言われると、ついぐやじいので、「穴をわしだけが見ていないのでは・・」という、みっともないひがみの気持ちになってしまうことよ。まだまだ修業が足りましぇん。)

管理人解説

 初句「おおやまあ」を見て、管理人が有馬山を「ありゃまあ」としたことを思い出した。あのとき御池杣人氏は「ワシがやりたかった」と地団駄を踏んだ。管理人は「この人ホントに大学の先生やろか」と思ったものである。今回はそのあだを討ったような見事な置き換え。トロさのポイント高し。
 四句の「ふみ」を穴からのメッセージと解釈したのは素晴らしい。言葉を発しないものものからも、受け取る側にその気があればメッセージが伝わることを示唆している。このあたりは初句と違って教育者らしさが出ている。
 五句 「穴をわしだけ」には爆笑である。Qちゃんの「鎌の端だけ」に匹敵する名文句と言えよう。この拗ねたような、ひがんだような言い回しがなんとも可笑しみを誘う。

 今回管理人が贈った三首は現代語訳を要しない平易なものである。しかし御池杣人氏はお見通しであったものの、第二首の「にほいぬるかな」について、第三者には分かりづらいかと思い、蛇足ながら訳を付けた。
 第三首はとりようによっては失礼で挑発的な歌である。たぶん氏はカチンときたに違いない。黙ってはおれず、返歌が来るのではという期待も込めて作ったのである。穴や池は見つかるときは案外簡単に見つかるが、5m横を通って気付かないこともある。短い期間だけでも優越感を持てるのは、先に見つけたものの特権である。とは言え穴ボコ探しなんぞに血道をあげる自分たちの精神構造を、一度疑ってみることもときには必要だ。