読者投稿 御池杣人さま 穴ぼこの歌 第二弾 
歌の前に下記の掲示板のやり取りをご覧ください。
くわばらと言えぬとは奇妙なり ... 投稿者:御池そま人
投稿日:2004/11/15(Mon) 18:10 No.814 |
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13日、よく晴れた秋空、絶好の御池行日。勇んでコース前に立つ。
なんじゃ、この急斜面は−と言いつつ、はいつくばってしがみつきながら慎重に高まく。かすかな足跡。これ、葉里麻呂のじゃな。ふっふっふと独り言を云う。
荒れ荒れの谷を登る登る。地図なし、磁石なし、高度計なしのちんたら行き(真似なさらぬよう)。へこんだ箇所あれば当然そこに目がいく。窯跡か、単なるドリーネか。穴はどこじゃ。この谷か尾根のどちら側か、うろうろ見渡しながらへばりついて進む。ミカエリソウばかりの急斜面。これ満開の頃は見事だろうな。だけど過日ここ下ったときはそんな余裕なかったな。
もう少し上部だろうか。石灰岩のくずれた谷は異様に白い。落葉のじゅうたん。時折すべる。枝をつかみ、根をつかみ体を引き上げる。どっこいしょっと。
どのへんか。あそこかも。慎重に近づけば一ドリーネ。こっちは窯跡。またちがったか、
ふむふむ、だいぶ登ってきた。きつい傾斜だが、風情はあるなあ。先日行ったあの尾根が近くに見えてきた。
お日様がまぶしいわい。
こんな調子でちんたら進む。ちんたらではあるが汗ばむ。汗も心地よし。
どこじゃ、どこじゃ。おっとろしい穴ぼこちゃんは。
きついのぼりの続くことよ。ひーひーいいながらも右みて左みて蛇行して登る。
あれー、いかん、上見ればもう明るくなっており、傾斜もゆるくなってきた。尾根が近い。普段なら、うれしいなあとなるところだが、今回は、なんじゃ、また見逃してしまったのか−のぐやじさ。
くっそー、もう尾根にのってしまったのか、くっそう、力が抜けていく。ぐやじーと言いつつ、さる池へ。水わずか。
こんないい天気の日。くっそーだけど、まあジャムパンでも食べて休憩じゃ。お茶もうまい。
ゆるやかな登りの続くこの谷も久しぶり。ここも知らぬ間に深く削られた。進めばあれま、なんと鹿さんの頭蓋骨。白骨化してころがっている。通行手形はなし。合掌。
面倒じゃ。葉里麻呂と同じくこのまま登ってやれ。ササが枯れてここも楽になったわい。
テーブルランド、裸木連なる瞑想の谷は美し。
だんだんと気分が回復。ここまで来ると、本当は悔しいのだが、こんないい天気。澄み切った空の下の御池岳。ルンルンとなっていくのが不思議。
サワグルミの池の陥没穴の鑑賞。あれまあ不思議なことよ。平池そばの島池?−勝手にそう呼び始めた水塊−の水の溜まり具合、よしよし。おむすび池に映る空の濃い青、特によし。この池のこれほどの青は10年ぶりか。あのときも晩秋だった。
草原池跡で一人座り、山頭火の「枯れゆく草のうつくしさにすわる」をサンドイッチ食べながら味わう。
帰路、あの谷経由で下るか、別の日にするか、迷う。立ち止まりつつ、迷う。
まあいいか。穴は逃げない。またの日に楽しめば。そう決めて、傾く陽の中、僕は鞍掛尾根を下っていった。
くわばらくわばらと言えないのはぐやじい。だけどこれもよく考えればかなり変。
テーブルランド上でも、穴見れば中を確かめに行ってしまう。困った。「何でもくわばら穴に見える症候群」にかかってしまったか。だけど楽しい一日だったなあ。
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Re:
くわばらと言えぬとは奇妙な... ハリマオ
- 2004/11/16(Tue) 19:40 No.819 |
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御池杣人さま、サルも尻込みするような取り付きをよくぞ登られました。詳細な報告有難うございます。ふむふむと、手に取るように様子が見えます。またクワバラさんと出会えませんでしたか。それはさぞグヤジかったことでしょう。お悔やみ申し上げます(内心クックと笑いをかみ殺す)。
私も一回目は至近距離を通っていながら見逃しました。南濃の名人のリストにもなかったので、隠れ上手の穴なのでしょう。コンパスや高度計は要りませんが、地図くらいは見てもらわんと。ごく浅い谷やかすかな尾根を見て、自分はいま例のライン上に乗っているか確認しないと空振りします。
捜索中にくれぐれも穴に落っこちないようにお願いします。落ちたらよう引き上げませんが、週に一回ジャムパンを投下しに行きますので、そこで暮らして下さい。山麓のログは私が頂いておきますので、心配は無用です。
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「墓より穴ぼこ」ー晩秋の穴探しにて2首詠める
本歌 由良の門を 渡る舟人 梶を絶え 行方も知らぬ 恋の道かな 曾禰好忠
裏の方(ほう)を 這い上がる杣人 秋も燃え 行方も知らぬ 穴の道かな 御池杣人
現代語訳
表街道ではなく目立たぬ裏の方を 這い上がり、這いずり回っているこの人。葉里麻呂に「簡単に会えると思うな」といわれ、「それなら探したるわい」と出かけ、結局山ヒルさまに献血してきただけの2度の敗北行、さらには過日のグヤジー行き。季節はめぐり、はや晩秋。この燃えるがごとき美しい黄色の2次林の中、這い上がりつつあちこち這いずり回っているさまはなんと形容しようか、一面滑稽であるかもしれぬ。しかし、いったいどこにあるのだ、あの穴ぼこちゃんは。はたまたいつご対面できるのか、いったいこの先どうなるのだろうか、この穴探し道は。なんとも奥の深いことよ。
管理人解説
管理人が穴ぼこの記事を書いても世間様はまったく無反応。穴ぼこなんぞ何処にあろうが、大して関心がないというのが一般的だ。しかしただ一人、一般的でない御仁がおわした。この歌の作者だ。しかもただ興味がある程度ではなく、まさにあの這い上がると形容するにふさわしい斜面を、ヒルに食われながら何度も挑戦。鬼気迫るとはこのことか。鬼気だけではなく危機も迫る。しかしご本人が「一面滑稽であるかもしれぬ」と悟っているように、なんとなくこの歌はユーモラスな味がある。
本歌 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
蝉丸
これじゃこれ! 往きも帰りも 分からずに 蛭も虱も 急坂の穴
御池杣人
現代語訳
これじゃ!これ!(noriの方の真似) この穴じゃ。とうとう出会えた穴ぼこちゃん。この穴に逢うために艱難辛苦 帰りに2回ほど、前回は満を持して往きに探ったが、分からずにぐやじいだけ。葉里麻呂にクックと笑いをかみ殺させてしまった。4度目にしてやっと我、到達す。(余の墓が何度もの台風で割れてしまったそうだが、今は「花より団子」ならぬ「墓より穴ぼこ」)。そっと近づいてみればこわーこわー。さすがの蛭さまもシラミやダニさまたちもみな吸い込まれていくほどのおっとろしさ。彼らでさえ、落ちたら出られないのではないだろうか。この急坂にあるくわばら穴は。
(余が穴に落ちたら葉理麻呂が週1度、ジャムパンを投げ入れてくれるとか。その友情の厚さ、ありがたさにむせび泣く。だけどアンパンも忘れないで投下してちょうだい)
管理人解説
余人には関心のないものでも、探し当てた感動はガッツポーズが出るほどうれしい。「これじゃこれ!」によく表現されている。「行きも帰りも分からずに」はこれまでの経緯を振り返れば、さすがに見事な置き換えだ。全体の調子も本歌に忠実でリズムがよい。
「蛭も虱も」は使ったことがあるような気がするが、穴ぼこなんぞに傾倒する人間はおたんちん的発想も同じだ。小さな生き物を出したことは、この穴が蟻地獄状であることを表していて秀逸。
これでとりあえずアンパン、ジャムパンの投下に通わずに済み一安心・・・と思ったら長谷川某というこれまた妙な場所を這いずり回る御仁が新穴を発見。今後の展開は予断を許さず、誰か落ちたら残りの二人が食料を投下するべく、互助会の結成が急務となっている。しかし世間様から見れば「アホウの会」であることは否定できない。
