読者投稿  御池杣人様       


    今回はまず落語でおなじみの崇徳院様の歌。昼飯前のやぶこぎの途上にてよめる

本歌   瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすえに あはむとぞおもふ

     背を丸め ササにたたかるる ゆでたまご 割れてもすぐに 食わむとぞおもふ

現代語訳  背中をまるめながら例によって猛烈なささやぶを漕いでいると、背中のリュックがビシビシとササに
       叩かれている。いいころかげんにパッキングしたので、中のゆでたまごは割れてしまっているだろうな。
       でもいいや、もう昼だ。すぐに食べてしまおう。おいしいぞ。

管理人解説

 崇徳院という落語のオチは「心配するな、割れても末に買わんとぞおもふ」となっている。原作は初代桂文治(1815没)といわれる(興津要編古典落語下巻より)。百人一首遊びの原点ともいえる。

 もう一つ在原業平の「ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くぐるとは」を題材にした「千早振る」という落語がある。こちらは歌はそのままに、珍妙な解釈で笑わせる。 崇徳院の歌は人気投票で必ず上位に入る。メロドラマチックな内容が女性に受けるのであろう。


         同じく、やぶこぎのさなか、突然の遭遇におどろきつつよめる

本歌     めぐり逢ひて 見しやそれ共 分かぬまに 雲がくれにし 夜半の月影   (紫式部)

       めぐり逢ひて 見しやそれ共 分かぬまに ヤブがくれにし 鹿の尻影

現代語訳  久しぶりでめぐりあって、いま見た獣は鹿かどうか見分けのつかない間に、ササやぶの中へと
       たちまち姿をかくしてしまったことだ。だけどあの真っ白いお尻のリズミカルに躍動していた姿は
       やはり鹿じゃなかったかしら。まだ、あのお尻の白い残影が瞼の奥に残っていることよ。
    作者注−鹿のお尻は野生の鹿は真っ白で美しい。飼育されている鹿のお尻は汚れた色だという。
    これ池守氏に教えてもらったこと。もちろん御池岳の鹿さんたちのお尻は真っ白。

管理人解説

 野生の鹿は登山者を見るとあっという間に逃げてゆくが、その雪のようなお尻は大変印象的である。原作の「見分けがつかないうちに去っていってしまった」という意をうまく鹿の生態に引っ掛けた作品。これは恋の歌ではなく幼友達のことを詠んだらしいが、近藤氏のようにヤブの中ばかり歩いている人にとって鹿は幼友達の如きものであろう。


             御池杣人がお気に入りの風池のほとりにてよめる

本歌    あらざらむ 此のよの外の 思出に 今ひとたびの あふ事もがな   (和泉式部)

       あら、足らん 此の池の外の 大日照り 今ひとたびの 雨音もがな

現代語訳  あらまあ、(水が)足らないことよ この池のほかは 大日照りのせいなのだわ 
       せめてもう一度雨音を聞きたいものです

     中川与一の『天の夕顔』のモチーフ、和泉式部の美しき恋の歌にいどんでパロッテみました。

管理人解説

 御池杣人こと近藤郁夫氏は風池の発見者であり、名付け親でもある。氏にとって我が子にも等しい風池が、ミルクを欲しがって泣いている子どもに見えたのであろう。

 「あら、足らん」はやがて陸化していくであろう池群の枕詞(まくらことば)と見ることもできるが、今の所、風池は立派な池であるらしい。干天に慈雨を待つ近藤氏のせつなさが本歌に通じる。おもわずカツサンドを食べたくなる秀作である。

 和泉式部: 976年生まれ没年不詳。大江雅致の女。中古三十六歌仙の一。本歌は病床から恋する人に送った歌である。


       初冬の鞍掛尾根を時雨降る中、歩きながら、春の御池に心を馳せてよめる

本歌   あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る   (額田王)

      飽きもせず 野行き山行き 御池行き 池守は見ずや 岸ガマ溢(あふ)る        

現代語訳  飽きることもなく 時雨れの中を 鞍掛尾根のゆるやかなササの野原やピーク(1056)
       を歩いて御池岳へと向かっている。この風の冷たさに春の御池の様子をしきりと想うことだ。
       池守氏はあの池群の岸に溢れんばかり群れて抱接しているガマたちを見たであろうか。それに
       しても今、ガマ君たちはどうしているのか。春の生命の讃歌の日々を待っていることであろう。

管理人解説

 飽くことなく御池岳に通い続ける近藤氏。同じ山には何度も登らないと言う人に示唆を与える。同じ山でも季節、天候、コース、テーマにより楽しみは無限大である。池守氏とは御池岳池探しの先駆者、山田氏のこと。ガマの抱接とは交尾のこと。生命への慈しみ深い一作。

 額田王(ぬかたのおおきみ):631年生まれと思われる。大海人皇子、後に中大兄皇子の妃。壬申の乱の原因となる。万葉集の中で最高の女性歌人ともくされる。ススキの髪飾りを好んだという。「ぬかたの〜 きみぃ〜は ススキのかんざし〜」  吉田拓郎「旅の宿」より


 寒くてガタガタ震えつつ、南池のほとりで鼻汁つきのクリームパンをパクつきて、初冬の南池を眺めながらよめる

本歌   花のいろは うつりにけりな いたづらに 我身よにふる ながめせしまに  (小野小町)

     池のいろは うつりにけりな 痛面(いたづら)に 女神ジョイフル 藪こぎせしまに

現代語訳 美しい池のいろは 落葉と初冬のどんよりとした雲を映して移ろいいく(掛け詞)ことであることよ
      笹藪に顔面までも打たれ痛くても 池の女神 池の精にいつお目にかかれると ルンルンの
      藪こぎをしていた間に

 女神にするかそのまま我身にするか−どちらも捨てがたいが、我身だと、痛面であっても我身はジョイフル(こんな英語あったかしらん)となり、マゾになってしまう。女神求めての方がスケベなロマンがありそう。こちらもマゾ的な香り漂うけれど。どちらにせよ薮こぎはそうした雰囲気が漂うのである。

管理人解説

 もはやいうことは有りません。作者は池が目的なのか、薮漕ぎ自体が目的なのか分からない変態的倒錯の世界に入り込んでいる。 いたづらを面が痛い、よにふるをジョイフルとしたところにパロディーセンスの窺える作品となっている。

小野小町:言わずと知れた美女の代名詞。生没年不詳。晩年は落ちぶれて諸国を流浪。


          御池岳の猛烈なささやぶを友と一列になって夢中でこぎながらよめる

本歌   紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめやも(大海人皇子)                              

     面先(つらさき)の 荷負える友の リュック あらま ヒルつけるゆえに 振れ濃い目の塩

現代語訳  こうして猛烈なやぶこぎを一列になってしていると、離ればなれになってはいけないので、友が背負って
       いるリュックが私の顔のすぐ先にある。おや、あれまあ、リュックに山ヒルが付いていることよ。
       あなたがヒルに血をすわれないように、濃い目の塩を振ってあげよう。(ヒル退治に効果が
       あるかどうか不明だけれど)

管理人解説

 前記、額田王に対する返歌。恋の歌のやりとりとは昔の知識人というのは優雅なものです。現代ならさしずめ携帯でメールの交換というところですか。 テーマが何でも有りならともかく、山に絞ったパロディーは想像以上に難しい。にほへるを荷負えるとしたところなど秀逸。ヒルはタバコの火を押し付けてやるところりと落ちる。ただしザックに穴が開いても責任は負わない。

大海人皇子:兄、天智天皇の子である大友皇子と争う(壬申の乱)。のち即位して天武天皇となる。