読者投稿 御池杣人様 PartU
御池岳が好きであったであろう?西行法師を真似て、伊勢から近江へ鞍掛峠越えをせしときによめる
本歌
嘆けとて 月やは物を おもはする かこちがほなる わがなみだかな (西行法師)
阿下喜越え 好き山物を おもはする 河内谷 猿 若菜 小魚
現代語訳 こうして阿下喜(あげき)を過ぎて、いよいよ大好きな御池岳へと至るこの深い河内谷を歩いているといろいろとものを思うことだよ。猿が姿を見せてくれ、若菜が生い、そして小魚までもが私を 歓迎してくれているようだ。(作者注−当時はもちろろん三〇六号の二車線などなく、河内谷に沿って鞍掛 峠越えをしていた。それは難路であったことはいうまでもない)
管理人解説 この後半の散文詩のような言葉の羅列は新鮮で、作者の新境地か。いちおう原作の韻に対応しているが、なんと評価したものか。ともかく作者の感性が尋常ならざるものである事は確かだ。
本歌 をぐら山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆきまたなん (貞信公)
御池岳 尾根の小径は そぞろゆかば いかにも秋の ミルキー あんぱん
現代語訳 コグルミ谷から娘さんの峠へ出て、御池岳へと至るあの心地よい小径(緑水氏によれば法楽の小径)を、もうすぐ池に会えると心もそぞろに歩いていて、丸山への直登手前の分岐の窯跡で一休みするのにもっともふさわしいのは、いかにも秋のペコちゃんポコちゃんとあんぱんであることよ。
(後世の注釈者−−この場合、なぜ「秋の」と作者は限定したのであろうか。「夏の」ミルキー、あんぱんではいけなかったのかという疑問は残る。しかし、実際に歩いてみると、やはり黄葉まっさかりの真の谷・丸山分岐には捨てがたい風情があり、「いかにも秋の」と歌いたい心情はわかる。しかし、そうはいってもなぜここでミルキーとあんぱんなのかという疑問はやはり残る。ましてや少なくともこうして注釈している筆者は、あのミルキーのくっつきが嫌いである。情緒が損なわれないだろうか。だがそのあたりは好みの問題であり、とやかく注釈できるものではないかもしれない)
管理人解説 作者は今、躁状態(ご本人によればノーテンキ状況)であるらしく筆の滑りは絶好調であり、後世の心配までしている。 ミルキーあんぱんとはまた食い意地のはった歌であるが、鋭い人なら食糧難時代に幼児期を過ごした団塊の世代のそこはかとない哀愁を感じ取れるはずである。五十をとうに過ぎながらミルキー(ママの味)を食べたり、子どもマンガを読んでいる作者の姿勢は、私の高く評価する所である。
後世の注釈にも言及しておこう。このミルキー嫌いの評論家氏は何故ミルキーあんぱんなのかという疑問を呈しているが、ミルキーは「見る木」(注)の掛詞であり、原作の「をぐら山」は「あんぱん」にかかる枕詞であることに気付かなければならない。これを見落とすようではいささか心もとない評論家であると言えよう。
小倉百人一首の鑑賞には「あんころもち」を用いるのが正式であるが、山ではその利便性と携帯性においてあんぱんが代用されるようになった。黄葉の鑑賞にはむろんミルキーが最適である事は言うまでも無い。
(注) 関西言語圏では「木」を「きぃ」と発音する。