湯の山温泉・僧兵まつり
湯の山温泉(三重県菰野町)の僧兵まつりでは「火焔みこし」が練り歩く。何時まで、この行事が継続されるのか疑問なので、いまのうちに見物に出かけた。
まつりの会場は盛況。その会場へ向かって移動する「火焔みこし」の前方では多数の撮影者とともに走り回ることになった。
2024年10月6日(日曜日)
自動車で「湯の山かもしか大橋」北側の駐車スペースに到着したのは17:03のこと。ほぼ満車だ。御在所ロープウエイの駐車場は夕方から無料開放されているが、こちらには道路混雑がないので精神衛生上の都合が良い。
御在所ロープウエイのまつり会場に到着したのは17:17。平時は駐車場になっている場所で、南端にステージトラック1台、その前に置かれた多数のベンチは既に満席に近く、会場の両側(東西側)に夜店20軒ほどが並んでいた。
僧兵まつり実行委員会のチラシに「お旅所」と書かれているので探せば、ステージトラックとポテトの夜店の隙間に不動明王像が安置されたテントを見つけた。普通は「神輿」に神様が乗ってお旅所へ入るが、このまつりでは「みこし」に松明が乗るので、不動明王は別便で既に到着している。



名古屋の日没は17:29。薄暗くなった会場に三嶽寺の住職が現れ、「お旅所」の前で安全祈願が始まった。なお、会場のアナウンスは「第53回 冠峰山三嶽寺 僧兵まつり」と聞こえた。僧兵まつりは昭和44年の開始だ。
18:00からステージで歌謡ショウが始まった。アイドルや漫才、ものまねもあるが退屈なので車道を歩いて旧・三交湯の山温泉バス停へ行く。「火焔みこし」の出発点だ。新型コロナ前の出発点は三嶽寺、再開した昨年は涙橋になり、今年は更にまつり会場に近いバス停に変更された。既に多数の人が集まっていたが、バス停西側の建物撤去跡に「火焔みこし」の資材が置かれているだけで真っ暗だ。
「薬王不動明王」の看板がある三嶽寺へ行ってみたが、まつりの気配が皆無であることに驚く。出発点の変更を知らない人がいたので共にバス停へ戻れば観客が増えていた。


20:00に僧兵姿の人達が出発点に揃った。報道によれば重さ600kgの「みこし」を40人で運ぶとのこと。ガソリン発電機が始動して場内に電灯が灯った。幾つか置かれている「いさり火」にチャッカマンみたいなもので点火しているが燃え上がらない。それもしばらくで、会場の色合いが炎の色に代わる。
20:30には三嶽寺の住職が現れて祈祷が始まり、住職の前に座り込んだ僧兵達の頭を数珠で撫でていく。


松明への点火が始まった。「いさり火」を使って点火し、その松明を「火焔みこし」に乗った金属製の大型器具にセットしていく。黒い巨大なバケツのような形で重量がありそうだ。側面には「三嶽寺」の金文字が見える。作業時間は10分程度で、20:48に「火焔みこし」がまつり会場へ向けて出発した。
途端に忙しくなる。立ち止まって写真撮影すると、たちまちに「火焔みこし」が接近してくる。混雑に巻き込まれるし、「火焔みこし」の直近では消防団による散水が容赦ない。仕方なく坂道を前方へ走り、距離を確保してから振り向いて撮影する。中途半端な距離だと後続の人が押し寄せてくるので、視界を塞がれたり、ぶつかったりする。質が悪い観客に突き飛ばされては敵わない。
出発点で隣にいた一脚+アクションカメラの女性が駆け抜けていく。接近したり離れたり、ポジション取りに余念がない。ずぶ濡れ覚悟ならともかく、お立ち台と中望遠のズームレンズを使って少し離れた場所からの撮影が都合良さそうだ。それほど写真に凝っているわけではないので、遠い安全なところからポチポチと撮影しながら走った。




「火焔みこし」は21:12に御在所ロープウエイのまつり会場へ入り、観衆のなかを周回するように練り歩く。
そして、会場外へ出れば、即刻、待機していた消防団により消火されてしまう。「火焔みこし」の炎は不動明王の火焔という物語なら作法も必要だろうが、実際はチャッカマンの火なので遠慮がない。松明への点火から40分で「火焔みこし」は終了となった。

帰りの時刻になり、大橋を渡って自動車へ向かうと背後でスターマインが何度か弾じけた。この花火が終われば「お旅所」の不動明王も三嶽寺へお帰りになるのだろう。
さて、無粋なことかもしれないが、この「火焔みこし」の実態は観客の直近で行われる炎と高温金属の運搬という危険作業だった。面白おかしいアトラクションだけれど、これ、何時まで続けられるだろうか。
追記 2024年10月28日
中日新聞による当日の動画などを見つけたので追記しておく。