山々の記憶 ~古い登山記録と案内~
備忘録。明治・大正・昭和の鈴鹿山脈の登山記録や案内など、ネットで閲覧できるものを一覧にした。行動範囲の伊吹山を含む。各タイトルにリンクを設定してある。
なお、国立国会図書館の昭和の多くの資料は、閲覧するために「個人向けデジタル化資料送信サービス」の事前手続きが必要になる。閲覧の可否は著作権調査によるものか、ときに変更される。また、『山と渓谷』など多くの雑誌がネット非公開。本件は「本棚」では扱い切れないので、ここに置いた。
目次
伊吹山 霊仙山 御池岳・藤原岳・竜ヶ岳 釈迦ヶ岳 愛知川 日本コバ 銚子ヶ口
御在所岳・鎌ヶ岳 湯の山温泉 入道ヶ岳・野登山周辺 鈴鹿峠
高畑山・那須ヶ原山・油日岳 鈴鹿全般
「伊吹山」:登山案内【伊吹山】
川崎義令、『山岳 2(3)』P115、1907(明治40)、収蔵:日本山岳会(山の資料)
上野、弥高、太平寺、上平寺、古屋から。山頂南側の東西道もある。採取者が増えて植物が減少した。国立国会図書館(個人送信)でも閲覧できる。(登録 2026.06.30)
「大正三年 - 日本近代登山の側面史」:一般書【伊吹山】
西岡一雄、『登山の小史と用具の変遷』、1958(昭和33)、収蔵:国立国会図書館
伊吹山スキー場の開設。余談にサルやワシ(或いはタカ)が・・・(登録 2026.06.30)
「伊吹山」:登山記録(時期不明)【伊吹山】
河東秉五郎、『日本の山水 山岳編』、1915(大正04)、収蔵:国立国会図書館
案内人とともに五月末の登山。花が豊富。上野の登山案内所で先達一人につき一円の案内料を徴収とある。(登録 2026.06.30)
「伊吹山雪中登山」:登山記録(大正4年2月20日か) 【伊吹山】
越馬 境、『山岳 10(3)』P56、発行:1916(大正05)、収蔵:日本山岳会
京都大学学友会登山部による上野からの30余名による登山。P173に大坂毎日、大阪朝日の記事がある。(登録 2026.06.30)
「伊吹山」:登山記録(時期不明) 【伊吹山】
北尾鐐之助、『山岳巡礼』、発行:1919(大正08)、収蔵:国立国会図書館
上野からの登山は案内料を徴収していた時期のこと。これを無知な村人と書いた。村の人が出ない雪の日に入山し、江州へ戻るのが嫌で岐阜県側へ下りた。(登録 2026.06.30)
「伊吹山夜行」:登山記録(時期不明)【伊吹山】
近畿登山研究会、『近畿の登山』、1924(大正13)、収蔵:国立国会図書館
伊吹山の夜間登山。大阪を16時頃発、近江長岡に21時頃着。駅を出るとおびただし数の登山者白衣の群れ。上野を0時頃に出発すれば登山者の長蛇の列。茶店多数。日に千人の登山者と聞く。お花畑で僅かにご来光を仰いだ。なお、本文の前に登山案内あり。(登録 2026.06.30)
「伊吹山雪中登りの記」:登山記録(昭和3年1月1日)【伊吹山】
辻寛一、『狆の近吠』、発行:1931(昭和06)、収蔵:国立国会図書館
伊吹山へ登り(征服だ!)、山頂測候所で一泊して初日の出。(登録 2026.06.30)
「螢の伊吹」:登山記録(昭和6年7月17日か)【伊吹山】
今村夜詩三、『山小屋 (6)』、1932(昭和07)、収蔵:国立国会図書館
胡散臭い二人連れの登山。ヒメホタルの時期、登山者が多い夜間登山の様子がある。六合目小屋は茶屋跡だった。山頂で女学生が賛美歌を歌う。(登録 2026.06.30)
「伊吹山雑記」:登山記録(時期不明)【伊吹山】
北尾鐐之助、『近畿景観 第6編』、1942(昭和17)、収蔵:国立国会図書館
登山の思い出など。虎姫地震による崩れ、セントエルモの火など。(登録 2026.06.30)
「伊吹登山記」:登山記録(昭和16年10月11日~12日)【伊吹山】
岩佐義朗、『三角点 第5号』、1942(昭和17)、収蔵:国立国会図書館
京都府立京都第三中学校山岳班O.B.会の発行誌。著者は巻末の名簿によれば旧制中学の二年生。約20人で夜間登山。登山日は班記には9月との記載がある。山頂の対山館で「まづいぜんざいが運ばれる」。「蛇の穴」とは何処か。Wikipedia:京都府立京都第三中学校(登録 2026.06.30)
「秋の伊吹山」:登山記録(昭和33年10月か)【伊吹山】
早田道治、『登山 (6)』、1959(昭和34)、収蔵:国立国会図書館
笹又から登り、雷雨に打たれて上野へ駆け下っている。(登録 2026.06.30)
「連載 日本百名山 その五十八 伊吹山」:登山記録(昭和36年4月)【伊吹山】
深田久弥、『山と高原 (298)』、1961(昭和36)、収蔵:国立国会図書館
上野から、混雑を嫌って4月の登山。『深田久弥』(国立国会図書館)によれば昭和36年4月とのこと。(登録 2026.06.30)
「伊吹山」:登山記録(時期不明)【伊吹山】 ネット閲覧不可
深田久弥、『山岳遍歴』、1967(昭和42)、収蔵:国立国会図書館
伊吹山の登山時期は、あとがきに、昭和38年の著者の還暦前後、数年のこと。この後に御在所岳をロープウェイで登り、表道を下山と書いている。
現在、ネット閲覧不可になってしまった。(登録 2026.06.30)
「霊仙岳」:登山記録(大正6年9月) 【霊山山】
北尾鐐之助、『山岳巡礼』、1919(大正08)、収蔵:国立国会図書館
案内人の山田清太郎と登っている。ルートは榑ヶ畑-山頂-漆ヶ滝。大鷲が飛んでいた。お虎ヶ池、仁平ヶ池などの地名が記され、霊仙七箇寺の話題が出てくる。村役場の好意で担ぎ上げた昼飯を食べているが、新聞社による霊仙山の広告を意図したものか。
登山日は『近畿景観 第6編』に大正6年9月とある。(登録 2026.06.30)
「雪の霊仙山」:登山記録(大正13年1月18日か)【霊仙山】
榎谷徹藏、『山岳 18(1)』P16、1924(大正13)、収蔵:日本山岳会
榑ヶ畑からの人夫一人と共に往復。榑ヶ畑にて、初めて見る学生の幕営を村民たちが気味悪がった話を聞いている。(登録 2026.06.30)
「十一月の山案內 鈴鹿山脈・靈仙岳」:登山案内【霊仙山】
山田奈良雄、『山小屋 (34)』、1934(昭和09)、収蔵:国立国会図書館
登山案内。前日夜に醒ヶ井養鱒場の旅館・香炉園泊。個数15,6戸の榑ヶ畑を経由して霊仙山へ。帰路は山女原の河内風穴へ寄り、多賀から彦根駅釈へ。上丹生村にチョンマゲの山田清太郎という老ガイドがいるとのこと。(登録 2026.06.30)
「靈仙山」:登山記録(昭和16年3月16日)【霊仙山】
木村義照、『三角点 第5号』、1942(昭和17)、収蔵:国立国会図書館
京都府立京都第三中学校山岳班O.B.会の発行誌。著者は巻末の名簿によれば旧制中学の四年生なので十六才くらいか。京都を出発し、多賀駅から榑ヶ畑、雪が残る霊仙山、谷山谷、醒ヶ井と歩いた日帰り登山。(登録 2026.06.30)
「霊仙山」:登山記録(時期不明・12月)【霊仙山】
木村次郎、『山 (165)』、1949(昭和24)、収蔵:国立国会図書館
時山から薮ヶ谷経由で霊仙山に登り、榑ヶ畑へ下りる。往路は桑名から時行きのバスに乗り、終点手前の打上バス停から歩いている。(登録 2026.06.30)
「霊仙岳」:登山記録(昭和32年春か)【霊仙山】
早田道治、『登山 (2)』、1958(昭和33)、収蔵:国立国会図書館
醒ヶ井出発。谷山谷から登り柏原道を下りている。(登録 2026.06.30)
「近江カルストの山々」:調査記録(時期不明)【杉】【保月】【五僧】
小牧實繁、『地球 23(2)』。1935(昭和10)、収蔵:国立国会図書館
杉坂から登った杉、保月、五僧の山村の様子。(登録 2026.06.30)
「江濃境上に於ける美濃の山村」:調査記録(時期不明)【時山】
秋山桓士、『地球 24(1)』、1935(昭和10)、収蔵:国立国会図書館
旧上石津町時山の様子。(登録 2026.06.30)
「五僧越(保月峠・杉坂峠)」:登山記録(時期不明)【五僧峠】
伏木貞三、『近江の峠』、1972(昭和47)、収蔵:国立国会図書館
五僧に残っていた老人たち三人と話をしている。(登録 2026.06.30)
「近江の廃村をゆく」:調査記録(昭和63年)【杉】【保月】【五僧】
諸角三男、『あしなか (209)』、1988(昭和63)、収蔵:国立国会図書館
昭和63年の杉、保月、五僧の様子。(登録 2026.06.30)
「御池岳」:登山記録(明治期)【御池岳】
美濃部春民、『続員弁雑誌』、収蔵:国立国会図書館
奥書によれば、本書は岡田静堂の「員弁雑誌」の補遺に相当し、著者は明治34年に60才で没しているので、江戸末~明治期の登山と思われる。それとも伝聞か。
大字山口から登山して二里あまり。山頂は広く数十の縦穴がある。うち、水があるのは三つで、最西のものをモミジヶ池と呼ぶなど。(登録 2026.06.30)
「御池岳登攀」:登山記録(昭和16年8月6日~12日)【御池岳】
木村義照、『三角点 第5号』、1942(昭和17)、収蔵:国立国会図書館
京都府立京都第三中学校山岳班O.B.会の発行誌。伊勢側から茨川へ入り、分教所を借りて宿泊している。真ノ谷側から御池岳に登れば、山頂部には炭焼きの道や小屋がある。雷雨があり、逃げ込んだ小屋からおじさんたちと共にタテ谷を山口へ下り、大正館で宿泊。伊勢側から茨川へ戻り、永源寺からバスに乗っている。
著者たちは旧制中学の生徒なので、「おじさん」からすれば子供で保護対象だったか。3月の竜ヶ岳では「オツサン」扱いだが心境の変化か。真珠湾攻撃はこの年の12月になる。(登録 2026.06.30)
「藤原が岳」:登山記録(大正11年か)【藤原岳】
小菅敏治、『三重の山水を廻りて』、1923(大正12)、収蔵:国立国会図書館
聖宝寺から急峻な道を登って八合目に達し、天狗岩まで。下山は、最東南端の三角標から野バラにやられたりして西野尻へ下っている。
著者の小菅敏治は自動車で三重県内の観光地を巡っており、その見聞のなかに登山記録が幾つかある。(登録 2026.06.30)
「萌え出る山草 鈴鹿連峰の春」:花の案内【藤原岳】
櫻木泰行、『山 (169)』、1950(昭和25)、収蔵:国立国会図書館
藤原岳の春の花。御在所岳の周辺も少しある。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿山脈 龍ケ岳、宇賀谷くだり」:登山記録(昭和7年6月5日か)【竜ヶ岳】
山田奈良雄、『山小屋 (10)』、1932(昭和07)、収蔵:国立国会図書館
日帰りの予定で、7時15分大阪発。正午に石榑南でハイヤーを降り、遠足尾根から竜ヶ岳へ。17時10分過ぎに山頂三角点を出発。石榑峠への下降を誤って宇賀渓へ下り、彷徨って23時頃に炭焼小屋に入る。ヤマビルに喰われながら宿泊し、翌朝に巡見街道の茶屋で朝食となった。月曜日の仕事はどうしたのやら。(登録 2026.06.30)
「龍ヶ岳」:登山記録(昭和16年3月25日~27日)【竜ヶ岳】
木村義照、『三角点 第5号』、1942(昭和17)、収蔵:国立国会図書館
京都府立京都第三中学校山岳班O.B.会の発行誌。丹生川を出て幕営、遠足尾根で竜ヶ岳山頂に達したか。山中ではツツジを切りに行くオッサン二人組に道を教えられている。下山後、下野尻の藤原館で一泊。(登録 2026.06.30)
「釈迦ヶ嶽」:登山記録(大正11年か)【釈迦ヶ岳】
小菅敏治、『三重の山水を廻りて』、1923(大正12)、収蔵:国立国会図書館
八風峠から「ドウダンの木の多い草叢を押し分け」て往復。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿 釋迦嶽(遺稿)」:登山記録(昭和6年11月末)【釈迦ヶ岳】
三谷慶三、『山小屋 (13)』、1932(昭和07)、収蔵:国立国会図書館
釈迦ヶ岳へ庵座川から登り、山頂北の県境尾根で一泊して八風峠を八日市へ下りている。釈迦ヶ岳の登山道は、赤坂谷からは長時間が必要、八風峠からの尾根通しは廃路、庵座川は猛烈な藪潜りとのこと。著者は、上記の『鈴鹿山脈 龍ケ岳、宇賀谷くだり』に「晩冬三月、槍ヶ岳雪の登行に不慮の死」とある。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿紀行」:登山記録(時期不明)【お金明神】【釈迦ヶ岳】
桑原武夫、『桑原武夫紀行文集 第3』、1940(昭和15)、出典:『山小屋・昭和15年2月号』、収蔵:国立国会図書館
滋賀県側からお金明神への道に入り、釈迦ヶ岳へ登っている。佐目子谷に「愛知川ハイキングコースの」の標識があった。大正13年に白滝谷から釈迦ヶ岳の中腹まで登っているとのこと。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿 愛知川渓谷」:登山案内【愛知川】
中京山岳会、『山 (171)』、1950(昭和25)、収蔵:国立国会図書館
愛知川渓谷遡行の案内。また、廃村前の茨川からの茶屋川下降もあるが、林道が出来る前のことで厳しい道のようだ。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿日本コバ」:登山記録(昭和16年6月8日)【日本コバ】
淺田祐二郎、『三角点 第5号』、1942(昭和17)、収蔵:国立国会図書館
京都府立京都第三中学校山岳班O.B.会の発行誌。バスで永源寺に入り、シロギ谷から登り、小代への当時のハイキングコースの尾根を下りている。山中で出合った「田舎翁」に道を尋ねている。既に小代や牧の地名は地図にない。(登録 2026.06.30)
「銚子が口と日本コバ」:登山案内【銚子ヶ口】【日本コバ】
牧野芳光、『山 (170)』、1950(昭和25)、収蔵:国立国会図書館
朝明渓谷から愛知川へ越え、谷尻谷右岸側を巻いて大峠から銚子ヶ口へ。杠葉尾へ下りて日本コバに登り、永源寺からバスで八日市へ。(登録 2026.06.30)
「おく山ふみ」:登山記録(文政3年頃)【御在所岳】
土方雄興、『おく山ふみ』、収蔵:こもの電子図書館
菰野藩藩主になった土方雄興(Wikipedia)の御在所岳登山。近藤家旧蔵『おく山ふみ』を現代語表記に改めたもの。『菰野町史』(昭和16年版、国立国会図書館)にも「文政天保頃」として『おく山ふみ』が掲載されている。
登山時期は『江戸時代 御在所岳・鎌ヶ岳登山(改訂版)』(久保田孝夫,2007)に文政3年とあったので、これに従えば文政3年9月2日(1820.10.08)のこと。さすがに紅葉には早そう。「御在所岳もことのついでなれハ、のぼりてん」と、一ノ谷の紅葉を愛でて一杯やったが、案内人に急かされて表道-中道を歩いた。(登録 2026.06.30)
「冠嶽乃記」:登山記録(文政5年)【鎌ヶ岳】
土方雄興、『菰野町史』(昭和16年版)、収蔵:国立国会図書館
菰野藩藩主になった土方雄興(Wikipedia)の鎌ヶ岳登山。
登山時期は文政5年9月7日(1822.10.21)のこと。一ノ谷では「猶木々の梢みどりなるもあり、あるはちしほ(千入)なるもあり」で、紅葉には少々時期が早いかったようだ。武平峠から往復の様子。(登録 2026.06.30)
「伊勢菰野山植物採集紀行」:植物採取記録(明治20年8月)【御在所岳】
梅村甚太郎、『植物学雑誌第十五号』、1888(明治21)、収蔵:J-Stage
表道から登り、測量点、御嶽神祠を歩き、裏道を下山して「銭滑ヶ淵」で休憩している。(登録 2026.06.30)
「御在所嶽と鎌嶽」:登山記録(大正11年か)【御在所岳】【鎌ヶ岳】
小菅敏治、『三重の山水を廻りて』、1923(大正12)、収蔵:国立国会図書館
表道から登る。山頂に御嶽神社があり「遠近の賽者は頗る多」く、六合目当たりでは躑躅、さんしゆう、木蓮、石楠花が……となっている。登路を下りて湯山越から鎌ヶ岳へ登っているが、こちらは「登攀者が希薄なので頗る難路」だ。(登録 2026.06.30)
「御在所岳山頂のツクシシャクナゲ」:写真(時期不明)【御在所岳】
武田久吉、『日本地理大系 別卷 山岳篇』、1930(昭和05)、収蔵:国立国会図書館
「山頂はブナ、ミヅナラ等の闊葉樹に蔽われていたものが、今は全く伐採され尽くされて笹生の薮・・・」。発行年は著者が京都大学講師に着任後の時期。(登録 2026.06.30)
「山」:登山記録(時期不明)【御在所岳】
福山順一、『伊勢ゆのやま』、1930(昭和05)、収蔵:国立国会図書館
湯の山温泉について書かれた一冊。「大分前のこと」として、山岳会の人達に案内されて裏道から御在所岳へ登った短文がある。しろやしほ、あけぼの躑躅の色合いとあるが、当時は同時に咲いたのか。山頂へは湯下駄で行ける平易さとのこと。祠の瑞垣には落書きが目に付いたとある。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿山脈の一名山 御在所山」:登山記録(昭和6年10月下旬か)【御在所岳】
村地孝一、『山小屋 (3)』、1932(昭和07)、収蔵:国立国会図書館
湯の山温泉を出発し、茶屋で柿を買って表道を登り、おそらく裏道を下山して鉄道会社経営の温泉に入っている。「温泉から往復3時間許」「大木は無い」とある。鎌ヶ岳は道がないが「湯山越の頂上からガシャガシャに登りゃいいのさ。わけはないよ」との伝聞を書いている。文中のシーメンス事件(Wikipedia)は大正3年に発覚した海軍少将などの汚職事件か。(登録 2026.06.30)
「雪の御在所嶽登山」:登山記録(昭和7年1月19日)【御在所岳】
著者:福田榮 掲載書:『山小屋 (6)』 発行:1932(昭和07)
湯の山温泉を出発して登路は裏道、帰路は表道で一の谷スキー場へ下りている。スキーを担いだ8人組。平年の積雪は山頂で一丈(≒ 3m)とのこと。藤原岳は山嶽スキー場として既に折紙が付けられているとある。(登録 2026.06.30)
「春の鈴鹿」:登山案内【御在所嶽】【鎌ヶ岳】
佐々木正一、『山と高原 (259)、1958(昭和33)、収蔵:国立国会図書館
御在所岳は中道を登り、御池鉱山跡、甲津畑を経て永原寺まで。佐目峠から直接に永源寺へ行く道はあまり利用されていないとのこと。
鎌ヶ岳は湯の山温泉、武平峠から宮妻峡へ。表道の石鳥居の先は山麓スキー場だが整備されていない。ここは「一鐘」と言い、何処かで鐘が鳴ると不吉なことがあるとして山越えの人は引き返したとか。また、山頂に神社と三角点があったが、昭和19年の東南海地震で崩壊。(登録 2026.06.30)
「冬の御在所岳」:登山記録(時期不明)【御在所岳】
深井英司、『登山 (2)』、1958(昭和33)、収蔵:国立国会図書館
裏道から登り、山頂ヒュッテで昼食後に東多古知谷(百間滝)を下っている。(登録 2026.06.30)
「御在所岳 一ノ谷の大政小政」:登山記録(昭和32年)【御在所岳】
芝川雅好、『登山 (6)』、1959(昭和34)、収蔵:国立国会図書館
中道にあるオバレ石の下付近に自殺者の遺骸が埋められている。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿湯の山を中心とした三滝川について」:登山案内【三滝川】
石川正夫、『山と高原 (250)』、1957(昭和32)、収蔵:国立国会図書館
三滝川本流、北谷、長石谷、潜門谷(稲森谷)、ソウリ谷の支流の名称が詳細に書かれている。焼筈谷、ラカン石谷、幽森(湯女守)などの温泉縁起にち因む名称もあり興味深い。冒頭で愛知川とともに「鈴鹿の上高地」が出てくる。(登録 2026.06.30)
「鎌ヶ岳三ツ口谷・鎌尾根紀行」:登山記録(昭和59年1月、56年1月)【鎌ヶ岳】
奥村光信、『日本の名山 10 (白山・大台と近畿の名山)』、1984(昭和59)、収蔵:国立国会図書館
一ノ谷茶屋が稼業していた頃のこと。(登録 2026.06.30)
「湯の山」:記録(大正11年か)【湯の山温泉】
小菅敏治、『三重の山水を廻りて』、1923(大正12)、収蔵:国立国会図書館
四日市鉄道で温泉へ入り、寿亭の松仙閣で内風呂に入って蒼滝など見物している。(登録 2026.06.30)
「湯の山の思い出」:記録(時期不明)【湯の山温泉】
北尾鐐之助、『近畿景観 第9編』、1942(昭和17)、収蔵:国立国会図書館
湯の山温泉の様子や古い思い出。ガソリンが少なくなったという時期のこと。山へは登っていない。(登録 2026.06.30)
「入道ヶ岳」:登山案内【入道ヶ岳】
塩田良居、『登山 (4)』、1959(昭和34)、収蔵:国立国会図書館
入道ヶ岳の二本松尾根、北尾根、磐座尾根など。近江側は既に「田中営林跡」とある。地元が山道を刈り払って道を開いたようなことが書かれている。(登録 2026.06.30)
「野登山」:登山記録(時期不明)【野登山】
伊藤和明、『アルプ (136)』、1969(昭和44)、収蔵:国立国会図書館
山頂の野登寺で寝ている。中継所や道路が出来る前のこと。(登録 2026.06.30)
「北勢紀行」:記録(時期不明)【湯の山温泉】【石大神】【屏風岩】
久保天随、『山水写生』、1914(大正03)、収蔵:国立国会図書館
菰野から湯の山温泉まで歩いて一泊。司馬江漢が画いた石大神を見に歩いて後悔。石大神から富士山は無理。(登録 2026.06.30)
「石大神」:記録(大正11年か)【石大神】
小菅敏治、『三重の山水を廻りて』、1923(大正12)、収蔵:国立国会図書館
対岸から石大神を見て、屏風岩から引き返している。(登録 2026.06.30)
「菰野から椿へ」:記録(時期不明)【石大神】【椿大神社】
北尾鐐之助、『近畿景観 第9編』、1942(昭和17)、収蔵:国立国会図書館
神官の山本さんに会い、御船磐座を見ている。(登録 2026.06.30)
「羽黒山と雞足山」:登山記録(大正11年か)【羽黒山】【野登山】
小菅敏治、『三重の山水を廻りて』、1923(大正12)、収蔵:国立国会図書館
展望の良い羽黒山に登り、案内者を雇って坂本から野登山(鶏足山)に登っている。国分寺(白木)に火災があったとのこと。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿峠より」:登山記録(大正6年11月11日か)【鈴鹿峠】
鮫島近二、『行雲流水』、1918(大正07)、収蔵:国立国会図書館
「峠の頂に山崎屋という一軒の掛茶屋がある、私はここで昼餉を」との様子。トンネル開通前のこと。関西本線の柘植-四日市間は明治23年(1890)に開通しており、坂下宿の大竹屋小竹屋の跡は水田桑畑。
名和昆虫研究所を見学したり、伊勢古市で伊勢音頭(壁塗りの如き舞)を見たりしている。一週間後には湯の山三嶽寺にて鼠蚤の施餓鬼供養をしているが、四日市でのペスト流行の件か。(三重県唯一のペスト流行-感染者63人 大半が死亡:三重県文化振興課歴史公文書班)(登録 2026.06.30)
「鈴鹿越」:登山記録(大正11年か)【鈴鹿峠】
小菅敏治、『三重の山水を廻りて』、1923(大正12)、収蔵:国立国会図書館
関町を出発し、片山神社からトンネル工事の発破音を聞きながら鈴鹿峠へ登り、旧土山宿まで歩いたか。Wikipediaによれば、トンネル工事の期間は1922年6月~1924年7月。道中の話題は豊富だが、鈴鹿峠は展望がなくて松並木があるとしか書かれていない。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿峠を越えて」:登山記録(大正12年前後)【鈴鹿峠】
荻原井泉水、『芭蕉を尋ねて』、1934(昭和09)、収蔵:国立国会図書館
坂下側から鈴鹿峠を越えている。「あっけないような気がした」には同意。「新道を作っていた……ハッパの音」とあるので、上記の大正12年の資料と同様の時期に訪れたらしい。峠の茶屋はないとのこと。牛車が通行していた。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿峠」:登山記録(時期不明)【鈴鹿峠】
西川正治、『日本山岳風土記 第7 (近畿の山々)』、1960(昭和35)、出典:『旅・第14巻第9号』、収蔵:国立国会図書館
滋賀県側の土山から、トンネル開通後は人通りがない鈴鹿峠の旧道を越えて関まで歩いている。大正十年に新道が通ってからは旧道を行く人はほとんどなく、峠の茶屋も下方の新道に移って屋敷跡のみが残り…と書いている。峠の頂上には田村神社や昔の関所、旅宿跡の石垣があるとのみ。三重県側の新道に茶屋が一軒あった様子。トンネル開通時期は事実関係の記述が怪しい。
深田久弥編の『峠』(昭和16)に掲載があったが閲覧不可になってしまった。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿越の関」:登山記録(時期不明)【鈴鹿峠】
北尾鐐之助、『近畿景観 第9編』、1942(昭和17)、出典:『旅・第14巻第9号』、収蔵:国立国会図書館
「鈴鹿峠の上の茶屋で甘い『ぜんざい』を食べた」とある。訪れたのは『近畿景観 近江山城編』(発行:昭和12年)以降のことらしいので、何処にあった茶屋のことやら。関は寂しく、大名の宿泊や雲助の話など興味深い。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿峠」:登山記録(昭和18年3月)【鈴鹿峠】
田部重治、『旅路』、1943(昭和18)、収蔵:国立国会図書館
土山から歩いている。峠は草が茫々。伊勢側へ下ると新道に出たところに茶店があり、甘酒を注文し、団子を買っている。戦時中のこと。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿峠の茶屋」:一般書【鈴鹿峠】
大熊喜邦、『江戸建築叢話』、1948(昭和23)、収蔵:国立国会図書館
鈴鹿峠の茶屋、堺屋五右衛門の店の見取図。5軒の茶屋の内、最も展望に優れ、公家諸侯に利用されたとのこと。嘉永3年(1850)頃の坂下宿の家並図が『鈴鹿関町史』にあり、左端に峠の茶屋がある。堺屋五右衛門には本陣茶屋とあり、田村社の向かい側(北側)に立地していた。ここからは、立木がなければ伊勢の海が見えたはずだ。
明治22年(1889)の『伊勢参宮道中独案内』では堺屋五右衛門は既にないが、翌年の『伊勢参宮名所図絵 : 一名・東海道鉄道名所案内』には「いせ屋の茶店あり……例の善哉餅を試したり」とある。(登録 2026.06.30)
「常夜燈の残る峠道」:一般書【鈴鹿峠】
相馬 大、『近江の古道』、1985(昭和60)、収蔵:国立国会図書館
鈴鹿峠周辺の絵図にバス停(若宮口、坂下)が書かれている。まだ、路線バスが営業していた時代のこと。(登録 2026.06.30)
「南鈴鹿縦走コース」:登山案内【高畑山】【那須ヶ原山】【油日岳】
滋賀県甲賀町山岳部、『登山 (4)』、1959(昭和34)、収蔵:国立国会図書館
油日岳~高畑山の縦走コースを始め、幾つかのルートの紹介がある。概念図に小那須山とある。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿」:随筆【鈴鹿全般】
細野重雄、『山小屋 (7)』、1932(昭和07)、収蔵:国立国会図書館
当時の鈴鹿の様子を覗えるが良く分からない。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿の春」:登山案内【御在所岳】【藤原岳】
佐藤野里路、『山小屋 (147)』、1948(昭和23)、収蔵:国立国会図書館
主に御在所岳と藤原岳の登山案内。御在所岳には「一の谷という猫の額程のにスキー場も…春陽四五月頃は県下学校の遠足で盛んにされ」という状態。藤原岳山頂には藤原御嶽神社が残っていた。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿(近江側)」:登山案内【綿向山】【雨乞岳】【銚子ヶ口】【日本コバ】
京都山岳会、『山小屋 (164)』、1949(昭和24)、収蔵:国立国会図書館
山中で炭焼きの人達に出合い、炭焼小屋や植林小屋を利用できた時代のこと。これも炭焼きの道を利用しての山登りだったが、シキロ谷のように炭焼きが終わればヤブに還って利用できなくなっている。杉峠の二本の杉は既に一本が枯れていた。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿の山々」:登山案内【鈴鹿全般】【国体】
上田竹三、『山 (176)』、1950(昭和25)、収蔵:国立国会図書館
鈴鹿が国体の会場になったことから、その簡単な案内がされている。対象は、御在所岳、鎌ヶ岳、釈迦岳、藤原岳、雨乞岳、霊仙岳、御池岳、愛知川渓谷、冬季スキー場。スキー場として開かれているのは湯の山の一ノ谷のみ。藤原岳のスキー場は小屋がなくなったとのこと。
国体登山特集なので、口絵や、団体登山部門コース概説、木地師、愛知川でマムシにかまれた話などが掲載されている。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿小景」:登山案内【鈴鹿全般】
森本次郎、『日本山岳風土記 第7 (近畿の山々)』、1950(昭和25)、出典:『山と渓谷 (137)』、収蔵:国立国会図書館
国体の関係で、当時の湯の山温泉や御在所岳の様子など。まだ、炭焼きの煙があった時代のこと。(登録 2026.016.19)
「鈴鹿連峯概説」:登山案内【鈴鹿全般】
四日市高等学校山岳部、『山と高原 (230)』、1955(昭和30)、収蔵:国立国会図書館
御池岳・藤原岳~鎌ヶ岳の間の案内。ほぼ三重県側。概要図付き。何故か雑誌の目次に記載がない。(登録 2026.06.30)
「関西スキー場案内」:案内【伊吹山】【藤原岳】
登山編集室、『登山 (2)』、1958(昭和33)、収蔵:国立国会図書館
伊吹山スキー場、藤原岳スキー場の案内がある。伊吹山にはリフトがあり、山小屋は暴利とある。藤原岳山頂の藤原ヒュッテは番人が常住しており、1泊2食事付きで350円とある。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿 宇賀谷・長石谷・庵座谷」:登山案内【宇賀谷】【長石谷】【庵座谷】
高場昌三、『山と高原 (261)』、1958(昭和33)、収蔵:国立国会図書館
概念図を付けて、それぞれを詳細に案内している。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿の文献」:文献調査【鈴鹿全般】
辻昭一郎、『登山 (4)』、1959(昭和34)、収蔵:国立国会図書館
多数の文献が掲載されている。リストのうち『関西山小屋』はデジタル化されていない。『岳人』,『山と渓谷』、『ハイカー』はネット閲覧不可。(登録 2026.06.30)
「鈴鹿・愛知近郊の山 解説付き概念図」:手書き地図【鈴鹿全般】
奥村光信、収蔵:日本山岳会東海支部
手書きの地図が大量に収録されている。不可解な記述もあるけれど、読むと楽しい。(登録 2026.06.30)