1. 鈴鹿山脈/登山日記

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  • 菰野町史(昭和16年版)

菰野町史の旧版。「統治ノ沿革」「傳記編」「湯之山沿革」「舊記類雑録」の4部構成。

第3編「湯之山沿革」に湯の山温泉の伝説・縁起や昭和初期までの歴史が記載されるほか、高山植物の調査記録、温泉や登山に関する文芸作品として、
遊菰野山記(津坂東陽)
菰野温泉紀行(天野信景)
薦野記(横井有也)
おく山ふみ(土方雄興)
冠嶽乃記(同上)
等の資料がある。

国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧。(作成 2013-06-08、更新 2016-08-15)

  • 伊勢国八風峠霊異誌 増補版

  • 編著者:宇佐美景堂
  • 発行:霊相道
  • 1972(S47) 155p B6 書誌

本書は「伊勢国八風峠霊異誌」「八風峠陶埋一件控」「伊勢田光地誌」の3部で構成されている。このうち「伊勢国八風峠霊異誌」は八風峠の「お菊伝説」について「『心霊と伝説』の関連性を明らかにしたもの」とある。

八風峠の周辺地域では、八風峠(八風神社)へ陶器を持ち込めば気象異変が起こると信じられていた。原因は陶器に関わる事件で自殺した「お菊」の心霊が陶器を嫌うため。江戸幕府は峠への陶器携帯を禁じ、寛政8年(1796)からは伊勢・近江の村人による通行人の警戒が夏・秋の米作期間中に行われている。

しかし、この気象異変を利用して周辺地域の穀物相場を操作しようとする者があり、峠に陶器を埋める事件が発生した。この記録が「八風峠陶埋一件控」であり、犯人は江戸へ送られて牢死している。

このような考え方は、明治41年に八風神社が多比鹿神社に合祀されるまで続いたとのこと。平成11年に三池岳に登ったとき、「お菊さんへ」と書かれた粗末な皿がお菊池に置かれていた。100年前なら、戯れ事では済まされなかったことのようだ。なお、発行元の「霊相道」は著者を代表者として設立された宗教法人。四日市市あさけプラザ図書館にて。(作成 2002-03-09)

  • 郷土の山々
  • 鈴鹿山系と大台ヶ原山

  • 著者:大川吉崇
  • 発行:大川学園編集部
  • 1973 (S48) 130p B5

伝説、宗教、歴史に関する一冊。「はしがき」には、全国高校総体の登山競技が大台ヶ原山を中心に開催されることを機に資料をまとめたとされている。

大台ヶ原については、大台教会を開いた古川教主や日本オオカミの話など興味深く読んだ。なお、鈴鹿山系については、後の「鈴鹿山系の伝承と歴史」が詳しい。四日市市立図書館にて。(作成 2002-01-12)

  • 目次
  •  はしがき
  •  須受我嶺
  •   鈴鹿山系の名所・由来
  •   鈴鹿山系と宗教編
  •    原始自然信仰と鈴鹿山系
  •    仏教伝来以降の宗教と山系
  •   伝承の宝庫と夢の世界
  •    変身鈴鹿姫と坂上田村麿、鈴鹿の山賊たち、
  •    鈴鹿峠の歴史と関
  •   民話と伝承を訪ねて日帰り山行
  •    湯の山・御在所・鎌ヶ岳コース
  •   鈴鹿山系の変遷
  •    古生物の時代から自然保護の時代へ
  •   鈴鹿山系 概念図と地名由来・伝承
  •  大平原
  •   大台ヶ原の動物たち
  •    美しき日本ジカ夫妻、幻の日本オオカミ、
  •    人まね上手なドタヤン、山の兄きと酒
  •   大台ヶ原の伝説
  •    一本足のただら、義経と伝承、神代の伝承
  •   大台ヶ原の宗教
  •    自然信仰大台教
  •   大台ヶ原山 概念図と地名由来・伝承
  •  参考文献
  • 鈴鹿山系の伝承と歴史

  • 今昔の史書と郷土を愛する人の地誌
  • 著者:大川吉崇
  • 発行:新人物往来社
  • 1979(S54) 203p A5 書誌 書誌

鈴鹿山系にかかわる歴史や伝承をまとめた一冊。鈴鹿に関わる伝承・信仰が整理されており、混乱していた断片的な知識を整理してくれる。分量がもう少しあればと願うのだが、ないものねだりか。四日市市立図書館にて。

  • 第一編 伝承の宝庫と夢の世界
  •  戦国武将の山越え路
  •  変身鈴鹿姫の山越え路
  •  鈴鹿の山賊たちの棲む山越え路
  •  親王とお椀の山越え路
  • 第二編 信仰の世界と山
  •  御在所岳は修験の山
  •  竜神と農耕信仰の山
  •  道案内の山の神
  •  石仏の安置される山
  • 第三編 三つの山路案内
  •  鈴鹿山系銀座コース
  •  中央渓谷と山越えコース
  •  歴史の一面と自然観察のコース
  • 第四編 伝承と歴史の愚痴
  •  須受我嶺
  •  鈴鹿の関と山系

平成15年、新書版にて伊勢文化舎から復刊された。(作成 2001-11-10)(改訂 2003-06-09)

  • 霊仙三蔵

  • 著者:藪田藤太郎
  • 発行:サンブライト出版
  • 1982(S57) 304p B6 書誌

遣唐僧・霊仙三蔵の物語。伝記。歴史小説。

長息氏の嫡男として生まれ、霊仙山上の霊仙寺で少年期を過ごす。奈良・興福寺で得度して法相を学び、最澄、空海らとともに遣唐使として中国へ渡り、訳経に関わって日本人で唯一の三蔵法師となる。しかし、帰国が許されないままに仏教擁護派の皇帝が暗殺されるや、仏教弾圧下、五台山へ脱出したものの毒殺された。

その後、五台山を訪れた慈覚大師・円仁は、渤海僧・貞素が残した詩文により霊仙の事跡を知る。感動的。(どうにも、涙もろくていけない。)

霊仙に関する資料は非常に少なく、とくに興福寺以前のことは良く解らないらしい。ほかに、「尊意僧正」「宮部継潤」の短篇を併載している。(作成 2004-04-24)

  • ふるさと杉谷

  • 編集:菰野町教育委員会
  • 発行:菰野町
  • 1986(S61) 95p B5

文化庁の「文化財愛護活動推進地区」の指定による成果を総括したものとのこと。内容は次のとおり。

  • 1 尾高の観音堂
  • 2 菰野町の誇る杉谷のクロマツ清英樹林
  • 3 杉谷の喜例踊りについて
  • 4 杉谷地区金石文の調査

本書のうち80ページは「杉谷地区金石文の調査」。石碑や石灯籠などの碑文を各1枚の調査用紙(1ページ分)に写し取った資料集である。「ふるさと田光・切畑」のような読みでのある内容ではなかった。四日市市立図書館にて。(作成 2004-01-26)

  • ふるさと田光・切畑

  • 編集:「ふるさと田光・切畑」編集員
  • 発行:田光・切畑ふるさと運動実行委員会
  • 1988(S63) 74p B5

八風峠の伊勢側、菰野町(三重県三重郡)の田光・切畑地区の地誌。菰野町のふるさと運動を契機に、聞き取りや寺社倉庫の調査になどより、まとめられたもの。

地図、古墳、寺社、城跡、八風峠、伝承、人物、民謡などが、図面や50件ほどの小さな記事にまとめられている。目次に揚げられた項目は以下のとおり。

田光・切畑史跡図、八風峠への見取図、田光・切畑字図、大正2年田光地籍図、ふるさと運動について、田光の移り変わり、切畑村、歴代区長名、高塚古墳、下江平遺跡、多比鹿神社、八風神社、、山の神、多比鹿神社・飛地境内、伎留太神社、九品寺、九品寺の黄金仏、九品寺の石造六面地蔵、光泉寺、光泉寺の鏡、乗得寺、田光城、切畑城、道心塚、清安寺、山田の地蔵、忠兵衛塚、八風峠への道、八風峠の高札、お菊の伝説、八風大祭由来、村相撲、八風の大鳥居、田光の鋳物師、郷倉(ごくら)、八風大石、禿の井、溜池、江平の水論、六谷用水の水争い、女流画家・諸岡清園、藤井喜市先生、歌人・森たね、田光里謡、松阪音頭、江州音頭、伊勢音頭(嫁)、伊勢音頭(道中)、伊勢音頭(別れ)、伊勢音頭(しめ)、大正から昭和30年ごろまでの産業、間屋、大正時代郷倉付近

掲載されている田光・切畑字図には、災害で消滅したという上之茶屋、花市場の字名が見えて興味深い。

ところで、「郷倉」の項に、「北勢の三バカ」なるものが紹介されている。田光の大フラホ、千種の大燈ろう、日野大念仏(巨大な鉦と太鼓)のことで、フラホとは旗竿のこと。オランダ語のフラグがなまったものらしい。明治24年に滋賀県側で切り出した大木を、峠を越えて1年がかりで田光へ搬入。昭和12年ごろまで、長さ37mの竿に広さ28畳の日の丸を掲揚したが、固定が出来なくなって出番が無くなった。

本書の記事のいくつかは、菰野町発行の「歴史こばなし」と重複している。四日市市立図書館にて。(作成 2002-09-16)

  • 鈴鹿山地の雨乞

  • 湖東・養老をふくめて
  • 著者:西尾寿一
  • 発行:京都山の会出版局
  • 1988(S63) 175p B6 書誌

湖東・養老を含めた鈴鹿山地における雨乞の調査記録。

「雨乞の変遷と習俗」と「鈴鹿山地の雨乞」の2部構成。後半は雨乞事例集であり、136例を収録する。しかし、ダム建設などで雨乞の必要が無くなり、雨乞儀礼が途絶えてから時間が経過したため、詳細が忘れ去られたり、雨乞の存在そのものが不確かであったりするものも多数含まれている。

幸い平成13年時点でも在庫があり、ナカニシヤ出版のサイトにて発注・購入。(作成 2002-02-13)

  • 江戸時代の御在所登山

  • 著者:久保田孝夫
  • 1989(H01) 55p B5

  • 江戸時代

  • 御在所岳・鎌ヶ岳登山(改訂版)

  • 著者:久保田孝夫
  • 2007(H19) 106p B5

菰野藩主・土方雄興の登山記録「おく山ふみ」、津藩の顧問学者・津坂東陽の「遊菰野山記」を主として、その他4編の古文書を引用し、当時の湯の山温泉や御在所岳の様子が紹介されている。

  • 天野信景「塩尻」     享保5年(1721)
  • 堀田方臼「護花関随筆」  延享元年(1744)
  • 横井也有「続鶉衣」    宝暦5年(1755)
  • 津坂東陽「遊菰野山記」  安永6年(1777)
  • 司馬江漢「江漢西遊日記」 天命8年(1788)
  • 土方雄興「おく山ふみ」  文政3年(1820)

登山の行程を追いつつ、「江漢西遊日記」「塩尻」から風景図などを引用している。興味津々。虫眼鏡を引っぱり出して詮索して見るが、現在の場所とはなかなか一致してくれない。巻末には、前記の2編と土方雄興の鎌ヶ岳登山記録「冠岳乃記」(文政5年)が収録されているが、古文や漢文には歯が立たない。四日市市立図書館にて。

平成20年に新設された菰野町図書館の郷土資料コーナーで改訂版に出会った。「おく山ふみ」「遊菰野山記」(御在所岳・表道~中道)に併せて、「冠岳乃記」(鎌ヶ岳・武平峠から)で登山の様子を追っている。風景図なども大きくて見やすい。禁帯出なので、昼食抜きで3時間ほど熟読した。もちろん、巻末の原文資料には歯が立たないけれど。(作成 2002-03-09)(改訂 2008-08-03)

  • 鈴鹿霊仙山の伝説と歴史

  • 著者:中島伸男
  • 1989(H01) 149p A5 書誌

霊仙山とその周辺の歴史・伝承を集めたもの。近江側が主であり、美濃側の記述は少ない。気になる霊仙寺は、その存在自体について否定的だ。霊仙三蔵についても、当地出身者であるとの確証はないとしている。

「山の道は、悪い方がよい。道を改修すると、いろんな人物がやってきて事業の目論見をやる。道を悪くしておくのは、村を安全にしておく道だ。」

北尾鐐之助の登山紀行文(大正6年)に登場するガイド役「名物の清太」さんの話に思わず頷いてしまう。しかし、いまは地元の林業組合がブルドーザーで林道を開いてしまう時代だ。もはや、村は昔のような意味での山を必要とはしないらしい。守るべき対象の村そのものが変質、あるいは消失してしまったのだから仕方ない。三重県立図書館にて。(作成 2002-05-06)

  • 目次
  • 一 霊仙寺の仏像
  • 二 霊仙寺について
  • 三 雨乞い行事と伝承
  • 四 霊仙山の清泉と洞穴
  • 五 山名を考える
  • 六 明治以後の霊仙山
  • 論集 三重の民俗

  • 編者:三重民俗研究会
  • 発行:三重大学出版会
  • 2000(H12) 217P A5 書誌

論文10編を収める。そのなかに、筒井正氏による「廃村茨川の歴史と伝承」と題された1編(35ページ分)を含んでいる。

筒井氏は茨川で最後めで残った家族の長男。昭和40年8月、9歳のときに離村された。茨川はこれにより廃村となった。本編の構成は以下のとおり。

  • 1 茨川の歴史
  • 2 廃村茨川の生活伝承
  • 3 萱とイワナの思い出 -茨川に生まれ育って-

何度か治田峠の道を歩いたことがある。トンネル手前の下り藤の付近は少し道が怪しくなってきたが、尾根を登り始めると良い道になり、中尾地蔵の小さな祠の前でひと休みすることになる。当時は生活必需品の買い出しのため、この道を月に2、3度は越えて、新町からバスで治田や阿下喜方面へ出かけたという。

なお、本編は「鈴鹿山麓の民俗」に収められたものを加筆修正したものとのこと。四日市市立図書館にて。(作成 2001-12-01)

  • 霊仙三蔵と幻の霊山寺

  • 編集:さんどう会
  • 発行:さんどう会
  • 2201(H13) 163p B6 書誌

最澄、空海らと同時期に遣唐使として中国へ渡り、日本人では唯一、三蔵の称号を与えられた興福寺の僧・霊仙。その興福寺の資料に近江・丹生郷の所在として名称が残された霊山寺。それぞれ史料が少なく、霊山寺に至ってはその存在すら疑わしいほど。

本書では、石山寺、興福寺での史料確認の様子などを紹介しながら、現在までの霊仙研究の成果を概観していく。また、その他に最近の霊仙顕彰の動きや霊仙山の雨乞いの紹介もされている。

  • 第一部 霊仙三蔵
  • 第二部 霊仙山と幻の霊山寺
  • 第三部 霊仙三蔵顕彰の旅
  • 第四部 霊仙山の雨乞い伝説

決死の覚悟で日本の朝廷との間を往復し、再び訪ねた五台山で霊仙の死(毒殺?)を知った渤海の僧・貞素の嘆きはいかばかりか。その12年後、荒廃した寺院で貞素が書き残した板書を読み、「入唐求法巡礼行記」に書き移した慈覚大師はどうか。誰しも、篤い思いがこみ上げてくるに違いない。それにしても、霊仙が一万粒以上の仏舎利を日本に送ったとされているとは知らなかった。

なお、編集・発行の「さんどう会」は有志で結成され、名称は鞍掛峠越えの「参宮街道」から取られたとのこと。サンライズ出版のサイトにて購入。(作成 2002-09-07)

  • 山本の昔いま

  • 発行:山本町郷土史研究会
  • 2003(H15) 161p B5

入道ヶ岳の山麓、鈴鹿市・山本の町民編集による郷土史。入道ヶ岳との関わり合いも大きなテーマとして取り上げられている。特に、明治の国有地払い下げによる山頂付近の土地の落札者と中腹の入会山の所有者・山本村との間で発生した境界線紛争は、終戦の直前まで続いた40年裁判として記録されている。平成15年、椿大神社・社務所にて購入。(作成 2003-06-01)

  • 第一章 山本のうつりかわり
  • 第二章 椿大神社の歴史
  • 第三章 清岸寺と消えていった寺々
  • 第四章 山本を襲った試練
  • 第五章 山本の仕事と産業
  • 第六章 豊かな山本への挑戦
  • 第七章 山本を大きく変えた出来事
  • 第八章 山本の昔の生活
  • 第九章 山本に息づいてきた文化や行事
  • 第十章 想い出
  • 付録一 入道ヶ嶽四十年裁判の記録
  • 付録二 入道ヶ岳の自然
  • 付録三 関連事項略年表
  • 関町埋蔵文化財調査報告書13
  • 新道岩陰遺跡

  • 編集:三重県鈴鹿郡関町教育委員会
  • 発行:三重県鈴鹿郡関町教育委員会
  • 2003(H15) 13p A4

新道岩陰遺跡は、鈴鹿川と加太川の合流点(大和橋)から約500m遡った鈴鹿川右岸の岩陰に位置する古墳時代の遺跡。「関町文化財調査委員である木崎嘉秋氏が平成11年1月に、関町大字新所町字新道の鈴鹿川右岸の崖下の岩陰に、多量のアカニシ、ハマグリ等の貝殻とともに、S字状口縁台付瓶や高坏片等の土器片が散布しているのを発見したもの」とある。

遺跡は最大5mのオーバーハングした大岩下、落盤石に囲まれた狭い空間で、中へ入るには岩の根元の隙間であるくぐり穴を通る。エリア内の南側の岩の背後、2m×0.5mの範囲に遺物が散布しており、土器、獣骨、貝殻等が採取された。土器から遺跡は4世紀のものと推定され、磐座信仰の時代には少し早い。ハマグリ製貝製品が1点見つかっているが遺物の祭祀的性格は薄い。

磐座の一般的成立が5世紀であること、祭祀遺物を含まないことから、信仰の場であることを否定はしないが磐座には否定的。人骨が出土していないので葬所も否定的。日常的な生活には適さない場所であることから、キャンプ的生活の場であること言及しているが、遺跡の性格は良く解らないとしている。楠公民館図書室にて。(作成 2014-01-19)