読者投稿    nori様 

御池杣人氏講評


本句     五月雨を あつめてはやし 最上川      松尾芭蕉

本歌     もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし   前大僧正行尊

        秋雨をあつめて清水の沢登り 磐(いわ)より他に知る人もなし

現代語訳 

 大雨の後で山から流れ出る清水が登山道にもあふれて、まるで沢を登ってるようだ。こんな状況になっていることは、そこにある岩くらいしか知らないのだろうなあ。昔、日本代表だった清水エスパルス沢登を、今では同じ静岡のジュビロ磐田の選手しか覚えていないように・・・(真偽不明)

管理人解説

俳句に和歌を接ぐなどという奇想天外にして驚天動地の歌である。しかし和歌の「上の句」と俳句は同じ字数なのだから、俳句と和歌の融合と見れば不自然ではない。今の言葉で言えばハイブリッドか。
 作者が非凡な才能の持ち主であることは、サッカー選手の栄枯盛衰を書いたことで分かる。同音異義語を使って一方では自然の風景を、もう一方では人の心情を詠みこむ。これが本当の「掛詞」だ。既存の枠に収まらない発想と、高い技術を併せ持った同人の登場に拍手を送る。


本歌    これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関      蝉丸

       これやこれ!往きに買えるも忘れては せっかく作った梅のノリ巻き

現代語訳 

 これや、これ!テーブルの上に忘れてますよ。往きにコンビニで買えると言っても、せっかく作った梅干入りの海苔巻きなのですよ。

管理人解説

 上の句の原作への対応は見事。 特に「行くも帰るも」を「往きに買えるも」としたところは秀逸。「これやこの」の「や」は詠嘆の間投助詞であるが、それを関西弁に転換したところは吉本新喜劇に詳しい作者らしい。しかも!マークまでついているところは歌に勢いがある。
 手作りがコンビニに勝ることは明白である。せっかく作った海苔巻きは是非持って行っていただきたい。しかし唯一残念なのは、管理人は梅干が嫌いなのである。
「そんなことはあんたの勝手で、歌に関係ないやろ!」
「ごもっとも」


本歌    ふるさとの 訛りなつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく    石川啄木

       コルという名前おかしき熊笹の トンネルの先にそを確かめにいく

意訳    

 ガイドブックには、笹のトンネルを抜けたところにコルがあると書いてある。いったいコルって何?へんな名前だ。それを確かめに行ってみよう。(本歌が消えかけてますが、啄木です)

管理人解説

 せっかくササを抜けても、そこにコルというものが落ちているわけではない。とぼけ加減がいい味の歌だ。山岳用語には一般人が聞くと妙な語感のものもある。日本語にすれば鞍部だが、これも非日常的な言葉だ。誰にも分かるように言えば、両のオッパイの間と思えばいい。例えがおかしいって?ええのええの。


本歌    花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに   小野小町

       肌の色は移りにケロヨンいたずらに 落ち葉踏みしむ我が足の間に

現代語訳

 周りに合わせて茶色に変色した蛙さん、まるでケロヨンと名を変えて世を欺く新興宗教のように、落ち葉を踏むわたしの足の間にうずくまっているのだなあ。

管理人解説

 アマガエルやイカ、タコなどに見られる保護色の変移を「肌の色は移りに」としたことは秀逸。しかも「移りにケロヨン」とは作者以外詠めない(御池杣人という御仁もそうとう奇妙な置き換えをなさるが)感性である。管理人などはまだまだ保守的であると思い知らされる。下の句はオリジナル短歌に使えそうで格調高し。
 ところであの新興宗教のニュースは笑ってはいけないのだが、ケロヨンなどという名前では深刻さが伝わらなかったなあ。しかしケロヨン様の肌が環境に合わせて変わっていく様子は見事である。これはものすごいハイテクである。人間は高等動物とされているが、こんな芸当は全くできないので威張ってはいけない。