朝刊太郎

 


       杣人の  思い宿りし 大岩の  千代に八千代に 苔の生すまで

  御池杣人氏の山への思いはコクルミ谷の大岩(近藤岩)のようにずっと変わらずにいるのだなあ    

 


 日教組に「君が代」では水と油だが、歌の世界で野暮なことは言うまい。あの大岩に限れば実にしっくり来る表現であり、永遠に鎮座していてほしいものだ。「思い宿りし」は味のある表現。たとえ下の句を君が代から拝借したにしても、上の句との繋がりは抜群で格調高し。これも歌遊びの一形態といえる。ちなみに真ノ谷には「さざれ石」がある。

葉里麻呂


よその国の治外法権の軍事基地を戦後半世紀以上もわが国土上に置いておきながら国民には愛国心を強要する不思議さ。大型破壊兵器の存在というガセネタで戦争協力しておきながら、マスコミは騒がず、結局おとがめなしの不思議さ。少し立ち退いてやるから金を出せと言われ、7000億円も税金から出す。日本は不思議な国だ。しかしここでは僕も野暮なことを言うまい。

新人朝刊太郎のこの歌は、あのコグルミ谷に鎮座まします大岩に託して僕を歌ってくれている。初期の池探しからあの岩は僕のおたんちんな姿をずっとみていてくれた。通いつめるうちにひそかにこの岩を僕のお墓にーとたわけたことを。だからあの岩は僕がひそかにお墓にしたいと一方的に思っているだけのことで、近藤岩という呼称などおこがましいことだ。だけど、朝刊太郎氏のいうように、池探し時から僕のいろんな思いをこの岩に語ってきたことは事実だ。あの岩と同様に、この思いがずっと変わらずにいたいものだ。

御池杣人