都津茶女
童歌(わらべうた)・・・御池の山の池物語
水澄し(みずすまし)じゃありません
霧の雫が池に落ち
水の輪ひとつ広がった
お池に風が吹いたよう
やがてしぃんと静まって
山のお池は水鏡
薄墨色の水面(みなも)には
枝をひろげた裸木が
筆で描いてありました
樹雨(きさめ)ひとつぶ池に落ち
お池の母さん腕の中
ゆうらりゆうらりゆうゆらり
抱かれてお昼寝しています
夕紫に染まる空
お池に月がまんまるの
顔を映して子守り歌
落ち葉のふとんに包(くる)まって
蜆(しじみ)はすうすう眠ります
汀(みぎわ)の古木に住む苔に
玉露きらりきらきらり
星を映して灯ります
夜明けに小鳥が歌うまで
井守もぐっすり夢を見る
色なき風に音もなく
残り紅葉の一枚が
お池の仲間になりました
朝影なでる透明の
水面に浮かぶ船ひとつ
声に出して何度も読んでみました。 あのときの、あの風景がよみがえります。 みんなみんな好きだけど 「枝を広げた裸木が 筆で描いてありました」 が特に好きです。池の中に沈んでいったら、違った世界があるような気がします。人の姿では入れてもらえない世界かな。
小田
御池に魅せられ十数年の余。あの樹林の中の池一つひとつには、こんな物語があったとは。季節の移り行き、一日の移り行き、さらには天候の移り行き、かかる移り行きの中に「雫」も「裸木」も「樹雨ひとつぶ」も、「蜆」も、「井守」も、「残り紅葉の一枚」も登場し、それぞれの物語を展開していたとは。それらを無数に織りなして、御池の物語となっていく。
僕たちは通り過ぎていくだけ。しかし、都津茶女は通りすぎてはいても、一つの池の昼、夕、夜、そして朝の物語を見つめている。余はこれだけ御池に通っても、昼のそれだけしか見えぬのに。結びが、朝日射し込み、また新たな御池の物語が始まることを示していて秀逸。
御池杣人
私も小田さんと同じ箇所が好きです。あと「落ち葉のふとんにくるまって蜆はすうすう眠ります」もいいですね。特に「すうすう」が可愛い。 非科学的だけど。
イモリは井守と書くのか。それは即ち池の守り神ということを意味する。私はその守護神をストックの先でツンツンしてしまった。えらいことをしてしまった、井守様ご勘弁を。 短歌もさることながら、都津茶女さんには詩人か童話作家の才能があるように思う。昨年も確か我々が通り過ぎたあとのことを詩にされていた。その視点と表現力には惹かれるものがある。
葉里麻呂