悦  女

   

 

本歌   筑波嶺の峰より落つるみなの川  恋ぞつもりて淵となりぬる     陽成院

      木和田尾の峰より登るみなの後  汗ぞかいてはおいかけるなり    やまぼうし

現在語訳

 汗をかいて木和田尾を登る人を追いかける。やっと休憩になって見る冬枯れの樹林はなんと美しいことか。

管理人解説

 何はともあれ、このおたんちん形式で送ってくれる人があるとは思わなかった。感激もひとしおだ。しかも作者は誰あろう、花の図鑑を発行された悦女様だ。御池杣人氏が腰を抜かして電話をかけてきたのも頷ける。思わぬ同好の士の登場に二人で喜んだものだ。夕刊には載らなかったが、これはちょっとした事件である。

 さて作品のほうだが、落つると登る、みなの川と皆の後がそれぞれ対応している。みなの川はじつは男女川と書き、当日の男女混成部隊が表現されている。
 当日は尾根を周回しただけのように思えるが、藤原Pから最高点荷ヶ岳の標高差は実に870m強。コグルミ谷登山口〜丸山山頂を150mも上回るけっこうハードなコースだ。しかも初冬とはいえ、あの陽気では「汗ぞかく」のもむべなるかな。

 



本歌    吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐と云うらむ      文屋康英

       吹くからに秋の丸尾をくだるれば あら寒山やコバの窯跡       やまぼうし

現在語訳

 木和田尾の登りはヒーヒーとバテながら前の人に付いて登ったが、丸尾の下りはちんたらできると思っていたのに下りも先を行く人の足の速さよ

管理人解説

 山風が吹くと秋から冬になると言う。季節的に本歌の選定が適切である。草木はしおれたが、そのおかげで明るい陽射しが差し込む落ち葉の上をガヤガヤ、ゾロゾロと下りたことが思い出される。寒山という季節に似合った山名を入れたのも、印象が統一されて良い。

 別に早足で歩いたわけではありませんが、季節は冬至前であり、日没を恐れてゆっくりできなかった事情は斟酌してください。来年は10月末くらいに行きたいですね。ちんたら道の修行をしておきます。

 


本歌     音にきく高師の浜のあだ浪は かけじや袖の濡れもこそすれ     祐子内親王家紀伊

        音にきく杣人の前をあら急に  かけしや鹿の飛びもこそすれ     やまぼうし

現在語訳

 冷川岳へと先行く人の陰はもう見えなくなってしまった。イワカガミが群生し、この葉のなんと美しいことよと話しながら先へと....その時すごい勢いで鹿が駈けてきて御池杣人氏の目の前を飛び去った。ああびっくり。

管理人解説

 浪をかけると鹿がかけるを掛けたもの。この場合の掛詞を駆詞といふ?? 「あら急に」というのもミルキーあんぱん調でおかしみがある。「飛びもこそすれ」を昔の言葉どおりに解釈すると意味が通らないが、そういう厳密なコーナーではない。「飛」という字を使った勢いのある描写を買う。

 

・悦女様がかようなおたんちん道に踏み込まれたこと、感無量。五百五種もの鈴鹿の花を集成した労作の図鑑『鈴鹿の山で見られる花』の発刊にも、毎年の写真展の開催にも、コツコツと地味で大切な世話役をされ、鈴鹿の山への情熱を静かに燃やし続けておられる悦女様。うれし。

 

・第一首−「みなの川」→「みなの後」が秀逸。この歌は最初のみ先頭に立ったがあとはほとんど「みなの後」だった僕の実感でもある。

 

・第二首−「吹くからに秋の丸尾をくだるれば」も快調なるぞ。現代語訳もよろしい。「先を行く人の足の速さ」を完全に無視してノーテンキに歩いていた人もいた。

 

・第三首−僕は別に音に聞かないが、「あだ」を「あら」、「かけしや鹿の飛びもこそすれ」が光る。

 

 「春になればイワカガミがきれいだろうね。冬の葉もツヤがあっていいね」と語っていた時に、眼前を左から右へ猛(なるほど、この字に納得)スピードで。あの二頭の鹿は本当に一瞬を「かけしや」「飛び」であった。あの姿がよみがえる。

 

・「御池相聞五一首」の数少ないであろう読者であった悦女氏の作品。そう思えばなおうれしく。

 

                                                     御池杣人