葉里麻呂
本歌 春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山 持統天皇
秋すぎて 冬来にけらし 白船に 標(しるべ)つけたり 炭焼きの山 葉里麻呂
現代語訳
木々がすっかり葉を落とした初冬の白船峠。かつて炭焼きが足繁くかよい、また君ヶ畑との通行に使われた歴史と風情ある峠に真新しい標識を付けた。
(前の名札が朽ちて以来、峠名を示すものがなかったのを白船ファンとして捨て置けなかった)
本歌 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 権中納言定家
来ぬ人を 丸尾の平の 昼どきに 待つやもしもの 気ももまれつつ 葉里麻呂
現代語訳
いったい最後尾はいつになったらやってくるのだろうと、腹を空かせつつ丸尾の広場で待つ。もしや事故でもあったのだろうかと気がもまれることだ。
(聞けば鹿が目の前をドドッと横切ったたら、あーたらこーたら。ちんたら山行のペースになじめない貧乏性の管理人は、ガツガツ歩いて通行手形も見落としたことよ。中でもちんたらの帝王、そまおちゃんと妙ちゃんがうらやましい)
本歌 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを 藤原実方朝臣
かくとだに もはや伊吹に ぺんぺん草 さても知らじな 燃ゆる天気を 葉里麻呂
現代語訳
このようにもはや伊吹山まで雪がなく、青く霞んでぺんぺん草が生えているようです。年末にこんな陽気はかつて記憶にないでしょうね。
(暖冬ここに極まれり。鈴鹿はともかく、木和田尾から見る伊吹に一片の雪もないのはどうしたことだ。急激な温暖化に、陽気とは逆に背筋が寒くなる思いだ。)
・第一首−白船峠は歴史ある美しい峠。かつて奥村師匠の道標プレートがあったが、今はこの名を記す標はない。安全面では重要だけれど美的とは言えぬ「坂本谷立ち入り禁止」の大きな看板が設置されている。
今回のプレートには、葉里麻呂の鈴鹿百人一首の白眉の一つが添えられている。
白船に風の吹きしく秋の日は貫之詠めぬ紅ぞ散りぬる
本歌の「つらぬきとめぬ」を「つらゆきよめぬ」とした見事さ。
そう、秋の白船峠に一人立つ。その風情は、さすがの貫之も詠めぬほどの世界。御池岳の方から風が吹きしきってくる。
・第二首−「まつほ」を「丸尾」、「焼くや藻塩の」を「待つやもしもの」が鮮やかで秀逸。さようであったか。最後尾のちんたら行き(これだけのメンバーが揃っている。だから何も考えずにぼーっと歩ける。一般にはリーダーに迷惑をかけてはいけません。しかし、今日は吟行だ)。妙女様とあれこれ語りながら歩くとなぜかはるかに遅れてしまう。すこしでも風情の中に身を置いておきたいからだろうか。
※池守氏ならば、僕と妙女氏がちんたらやっていて一行の休憩点までやっと到着すると、「さあ、みなさん、充分休憩しましたね。では休憩終わり。出発しましょうか」「待っちょくれ。ちょっと休ませてちゃぶだい」となる。
第三首−内容はこの間の地球の怒りに関わって、背筋が寒くなるほど深刻かもしれぬのに、ぺんぺん草という語感を交えて調子がどこかユーモラス。作者がこの本歌をもとに、いずこの方言だったか、「かくとだに」を「格闘だに−」としたことを反射的に思い出してしまうからか。困ったことだ。
御池杣人