迷 猫
マイホーム 皆に覗かれ お気の毒 奥で小さく 愛想の地蔵
新しい家の奥にちょこんと座る地蔵さん。
あんなに小さかったんか?
真冬の峠の雪の塊に座っていた地蔵さんはとっても大きかったですね。
「おー、よーきたな〜」って感じで。
親子鹿 人との出遭いに 平静 子供を思う 母の強さ
堂々と、りっぱなお母さんでしたね。
子鹿も動揺することなく安心して着いていきました。
男はやっぱり気が小さいので、ちょっと人が近づくとすぐバタバタするんでしょうね〜。
それとも、我々が風景に溶け込んでいて見えていなかった?
迷猫氏の初作品。氏がどのような作品をものになさるか楽しみにしておった。おもしろい。人のそれぞれの思い、感性の多様性、豊かさ。
1、鞍掛地蔵様。新しいホーム。
そうか。
「真冬の峠の雪の塊に座っていた地蔵さんはとっても大きかったですね」
こうした経験がこの歌へと成っていく。
真冬、せっぴが生じているあの尾根。峠に鎮座まします鞍掛地蔵様。氏にはとっても大きく見えたのだろう。
雪の単独行の心模様。氏の山行きの奥行きを知る。
2、堂々たる「母性」を謳う。
あの鹿の母子。吟行の結びを飾る予期せぬ名場面。
そこから「母性」を歌う迷氏。
1,2ともなかなかユニークな視点を提示していて、独特の味を感じさせる。
まずは迷猫氏の投稿うれし。短歌なんか興味ない、作ったことない、生理的にきらい・・・そういう人は必ずおられる。だからミルキー参加の必須条件ではなく、作品の強要もしない。とはいえ、投稿していただければやはり嬉しい。気が乗らなくてもやってみれば新しい自分が発見できるかも。
だいたい管理人のような短歌のドシロートがやっているのだから、敷居の高低以前に敷居自体が存在しないのである。お気楽に投稿していただければよいし、管理人のコメントなどは何かほざいとるな・・・程度に読んでいただければよいのである。作者の意図を曲解したり、作者の苦心した箇所を見落とすなどの御無礼は最初から謝っておかねばならない。
(御池杣人さんのコメントは、ある程度真に受けてよい)
@ 「マイホーム 皆に覗かれ」という発想はなかった。なるほど言われてみればそうである。住宅展示会じゃあるまいしねえ。
往路では行ってきまーすと頭を撫で、帰りはここまで来るともう着いたような気になってほっとする。
何かいいですね、お地蔵さんが居ると。仏像よりも気楽で親しみやすくて。
「愛想の地蔵」と書いてあるのは、そういう意味だと思う。
A ヤブコギネットで、兎夢さんの母親が亡くなったときの迷猫氏のメッセージを思い出す。
引用はしないが、シカの母子に重ね合わせているような。