養老公園名所圖繪
- 発行:吉田初三郎
- 1919~1922(T08~11)
- 国際日本文化研究センター
養老公園の鳥瞰図。国際日本文化研究センターの吉田初三郎式鳥瞰図データベースに収録。
絵師は吉田初三郎。記載内容とWikipedia(養老鉄道養老線)の記事から、発行は大正8~11年と思われる。養老公園のサイダア製造所(養老サイダー)が気に懸かる。(作成 2021-01-15、更新 2022-07-18)
養老鐵道案内
- 作画:金子常光
- 発行:揖斐川電気
- 1923(T12)
- 国際日本文化研究センター
養老鉄道が揖斐川電気に合併後の鳥瞰図。国際日本文化研究センターの吉田初三郎式鳥瞰図データベースに収録。絵師は金子常光、印刷所は日本名所図絵社。
多度神社、行基寺、養老公園、大垣城、金生山、谷汲山など鉄道全線に渡る観光地が案内されている。(作成 2021-01-15、更新 2022-07-18)
関西第一の仙境 菰野湯の山温泉名勝図絵
- 作画:新美南果
- 発行:澤田文精社
- 1924(T13)
- 国際日本文化研究センター
湯の山温泉や御在所岳の鳥瞰図。大正13年発行。絵師は新美南果。国際日本文化研究センターの吉田初三郎式鳥瞰図データベースに収録。
南側の雲母峰上空から湯の山温泉を見る構図で、サクラと紅葉が同居する派手な色彩だ。右端が四日市鉄道(現在は近鉄)の終点。菰野富士の東には第三師団演習地、その南の清気橋の上に「鍵山」とある。聞かない山名だが、他の鳥瞰図でも同様の記載を見ている。
鉄道終点から三滝川沿いの県道を西へ入ると、自動車2台と駕籠一丁が書き込まれている。大正末でも駕籠は現役、自動車は香雲橋手前の「共楽園花や」が終点だろうか。最後に板橋(涙橋)を渡れば温泉場に到着する。志賀直哉の「菰野」の冒頭を思い出させる。(菰野町図書館:志賀直哉の『菰野』)
御在所岳の登山道は表道、裏道、中道(地蔵石まで)が描かれている。表道は大石付近が一合目、石鳥居や不動尊像、覚順行者の霊神碑などがある登山口が五合目。山頂には建物ふたつと開山岩屋とある。何処にあったのか。裏道は老朽化で撤去された蒼滝橋から登山口の石鳥居を潜る。他に、武平峠越えの道(江州街道)と、三嶽寺旧蹟から一ノ瀧、ユルギ岩、天狗岩経由で国見岳に登る道が見える。
鳥瞰図の右の写真には湯の山温泉の遠景がある。左端は望城閣や湯元だろうか。これらより高い位置にも建屋が見えるが何か。
裏面には名所案内の写真があり、地蔵石、負れ石、大石、長石、揺石、天狗石、立石などのほか、桃石の写真には「温泉場より四十五丁國見ヶ岳の背面石門の北にあり」とある。現在は地名として固定された大石、長石以外は岩と書かれるので「桃岩」となるのだが。
山頂の御嶽神社の写真には左右に四角い摩利支天の石像が見える。神社まで「温泉場より五十丁往復登山三時間」は表道でも健脚すぎるし、桃岩と比べて距離感が違うけれど。駕籠(山駕)の写真も面白い。
この鳥瞰図は三重県の地図ぶらりにも掲載されている。プラットフォームの提供者であるStrolyからも閲覧できるがアイコンが邪魔だ。いずれも鳥瞰図のみで、裏面の写真などは掲載されていない。(作成 2022-07-15、更新 2022-11-16)
近江鉄道沿線名勝之栞
- 発行:近江鉄道
- 1928(S03)
- 近江デジタル歴史街道
近江鉄道沿線の鳥瞰図。近江デジタル歴史街道に『近江鉄道沿線名勝之栞』として収録。
鳥瞰図裏面の「案内記発刊の辞」は昭和3年5月付。滋賀県立図書館は鳥瞰図の著者を新美南果としているが、幾つかの鳥瞰図にある南果の署名とは異なる。また、鳥瞰図の左端下部には「凸版印刷株式会社印刷」とある。なお、同図書館の資料に近江鉄道について書かれたものがある。
琵琶湖上空から東方を見た構図。左端に伊吹山。そして近江鉄道の背後に、霊仙山、鍋尻山、日本コバ、綿向山、鈴鹿峠が並ぶ。鍋尻山に近江高天原とあること、天理教協会が3ヶ所に、また日本コバ近くに寺坂吉右衛門ノ墓(赤穂浪士)が書き込まれていることは時節というものか。鳥瞰図としては極端な強調がなく、全体に上品な色彩で好ましく思う。(作成 2016-06-26、更新 2023-01-21)
養老電鉄沿線名所圗繪
- 作画:吉田初三郎
- 発行:養老鉄道
- 1928(S03)
- 国際日本文化研究センター
国際日本文化研究センターの吉田初三郎式鳥瞰図データベースに収録。この鉄道は譲渡、合併を繰り返しており、Wikipedia(養老鉄道養老線)の説明と鳥瞰図の発行者名が何故か食い違っている。
鮮やかな色使いとなり、石津御嶽やおちょぼ稲荷が見える。(作成 2021-01-15、更新 2022-07-18)
三岐鉄道沿線案内
- 作画:新美南果
- 発行:三岐鉄道
- 1931(S06)
- 三岐鉄道車輛大図鑑「きまぐれ日記」
鳥瞰図。藤原岳、竜ヶ岳、宇賀渓を背景とした三岐鉄道沿線のもの。個人サイト:三岐鉄道車輛大図鑑「きまぐれ日記」が公開しておられる。三岐鉄道50年の歩み(国立国会図書館)にも掲載されているが、こちらの方が鮮明で良い。
発行時期は三岐鉄道開業時とのこと。絵師は新美南果。名古屋大津町澤田文精社印刷とある。
桜と紅葉を派手な色彩で同時に描いた鳥瞰図らしい一枚。宇賀渓や藤原岳には登山道があるが竜ヶ岳にはなく、裏面にも竜ヶ岳の解説はなし。治田峠道には鉱山の記号が見える。平野部には、西藤原から関ヶ原、木ノ本への鉄道延伸だけでなく、保々から四日市港への計画も書き込まれている。沿線のつつじ山、躑躅ヶ丘、寺山遊園地などのことを聞かないが、開発や植林で消滅したのか気に懸かる。
同ページには宇賀渓パンフレットなど多数ある。また、藤原大スキー場御案内! も。(作成 2016-06-26、更新 2024-07-01)
近江長浜案内
- 作画:新美南果
- 発行:縣社八幡神社
- 1933~37(S08~12)
- 国際日本文化研究センター
- 近江デジタル歴史街道
関西随一の仙境 伊勢湯の山温泉御案内
- 作画:吉田初三郎
- 発行:三重鉄道
- 1936(S11)頃
- 国際日本文化研究センター
湯の山温泉の鳥瞰図。国際日本文化研究センターの吉田初三郎式鳥瞰図データベースに収録。
Web地図の資料館が公開している吉田初三郎の鳥瞰図の説明には発行時期が「昭和11年頃」とある。裏面解説に伊勢電鉄の名称があるので、1931年(昭和06)~1936年(昭和11)には違いない。「著作権並び版権所有者 京都市東山祇園神社南門前 吉田初三郎」、印刷所は同所在地で観光社出版部とある。
湯の山温泉の鳥瞰図は、新美南家や出口対石が作画した四日市鉄道時代のものを承知しているが、これらより新しい吉田初三郎の鳥瞰図は湯の山温泉が詳細に描かれている。現在の車道はなく、三嶽寺の東には特徴的な大浴場の施設が見え、蒼滝橋の石灯籠、寿亭の水雲閣、湯元などの歩道、「千種陸軍演習地」や温泉背後の御在所岳・鎌ヶ岳など見ていて楽しい。(作成 2016-06-26、更新 2021-01-15)
新興の四日市
- 発行:四日市市役所
- 1936(S11)
- 国際日本文化研究センター
四日市市の鳥瞰図。国際日本文化研究センターの吉田初三郎式鳥瞰図データベースに収録。
空前のイベント、四日市大博覧会(例えば絵葉書)が開催された昭和11年の鳥瞰図。手前に博覧会会場の新港、後方には万古焼工場の煙突が並ぶ。背後には御在所岳、鎌ヶ岳と湯の山温泉など。
驚いたのは高いアンテナが並ぶ「対歐無電局」が見えること。刈谷市の依佐美送信所と対になる四日市受信所(対欧無線電信海蔵受信所)として建設され、昭和30年代まで一部施設が残っていた(今昔マップ)が記憶にない。米軍が潜水艦無線に使用したという依佐美送信所は近年まで残っており、何度も付近を通過していたのだが。(作成 2021-01-16)
なお、三重県のサイト「四日市ぶらり」にも同名の鳥瞰図が収録されている。同様の構図で、印刷は名古屋の澤田文精社。博覧会会場は閑散としている。strolyのマップ詳細を調べると1935年とあるのだが。(作成 2021-01-16、更新 2022-07-17)
大垣と養老
- 作画:前田虹映
- 発行:大垣市役所
- 1939(S14)
- 国際日本文化研究センター
大垣市観光図。国際日本文化研究センターの吉田初三郎式鳥瞰図データベースに収録。絵師は前田虹映。
大垣市街の背後に養老公園。右に伊吹山、赤坂、谷汲が見える。養老公園には養老の滝、スキー場、笙ヶ岳放牧場など。当時の放牧場には車道はなかったと思うが、ハイキングコースの尾根を歩いていたのか。(作成 2021-01-15)
観光と産業の八日市
- 作画:吉田朝彦
- 発行:八日市市/八日市商工会議所
- 1954(S29)~
- 国政日本文化研究センター
- 近江デジタル歴史街道
八日市市の鳥瞰図。国際日本文化研究センターの吉田初三郎式鳥瞰図データベースに収録。近江デジタル歴史街道にも『観光と産業の八日市』として収録されている。
発行時期は八日市市の成立が昭和29年なので、それ以降となる。「京都市中京区河原町三条 六曜社作製、吉田朝彦」とあるので、作者は二代目初三郎、吉田朝太郎。
中央に八日市市と太郎坊宮、延命公園、瓦屋寺が、背景に琵琶湖が描かれ、右端の鈴鹿山脈には日本コバ、永源寺、愛知川ダムなどが見える。(作成 2016-12-14、更新 2023-01-21)