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大和街道(加太駅~柘植駅)

加太駅-加太北在家

2016年12月24日、降車した加太駅に人の気配なし。無人駅なので出入り自由。トイレはあるが、列車内のものを利用した方が良い。線路沿いに歩いて神福寺に入った。背後の牛谷山には鹿伏兎城跡があるが、ここからの登山ルートは良くない。西の問屋場跡から牛谷山(鹿伏兎城跡)に登った。

写真1 加太駅写真2 神福寺
写真3 屋淵川橋梁写真4 板屋川橋梁

大和街道は梶治ヶ坂峠を越えるが国道25号線を行くと、亀山森林公園「やまびこ」の小規模な施設が現れた。大和街道が峠から下りてくるところだ。「毒蛇による咬傷の応急措置について」との貼り紙がある。物騒な公園のようだ。真新しいトイレを利用できた。

この先で国道が関西線に接近すると加太越え鉄道遺産群「屋淵川橋梁」の標識があり、毒蛇が出没しそうな鉄橋下を加太川に下降できる。板屋行者山にも登りたいが、靴を濡らさずには加太川を徒渉できないので諦める。その先の郵便局手前の板屋橋東詰からは「板屋川橋梁」の橋脚へも下りられた。

写真5 加太郵便局付近から仏ヶ平と大和街道写真6 加太郵便局付近から経塚山

郵便局付近が加太で一番賑やかなところか。飲料の自動販売機がある。これ以降、自販機は柘植駅まで見ていない。仏ヶ平や経塚山など、鈴鹿山脈南限の山々を眺めて歩くうちに大和街道を外れてしまう。

写真7 川俣神社写真8 山神、川俣神社にて
写真9 大和街道架道橋写真10 地蔵

県道へ入ったのでルートを修正すると、木立の中に石鳥居が見えた。平野大明神の石灯籠がある石段を上がると河岸段丘上に川俣神社と加太北在家の在所があり驚く。

加太北在家-加太越え

大和街道が関西線の下を通過するところで花束を持ったオバチャンが斜面を登りだした。地蔵さんへの供養のようだ。しばらくは田畑があり、石地蔵を見るが、やがて山林となりダンプカーが往来する道となる。ダンプカーは側方通過時に速度を緩めてくれるが、下ってくる自転車の集団は傍若無人で危険と感じさせられる。まったく狂気の集団だ。ダンプカーの運転手も困っているのでないか。

写真11 錫杖ヶ岳
写真12 原石山入口と小平山

しばらくで、川沿いにイシバシ工業の加太砕石工場が現れた。原石山は工場の西端から入る。経塚山西面の上部に稼働する重機が見える。

この採石場を通過すると加太不動滝の入口。林道はチェーンで閉鎖されている。滝を往復する元気がないので見送る。続く舗装路は自動車の離合に困るような道ではなく、勾配も緩やかだ。左側の加太川の谷は浅くなり、水音がある細流となった。

加太越え-柘植駅

緩やかな登り道の途中に亀山市・伊賀市の境界があった。伊勢・伊賀国境だが分水嶺ではない。ここから大和街道は二車線道となり、加太越え頂上の一ツ家集落を通過する。加太川の源流は道路の側溝となった。集落には人の姿もあれば、干された洗濯物もある。

大和街道は鈴鹿山脈南限の道だが、一ツ家の伸びやかな雰囲気を見ると、南の大杣山を鈴鹿山脈に数えることを理解できなくもない。鈴鹿山脈と布引山地の境界線は何処が良いのやら。小平山~霊山間の分水嶺は一ツ家が一番低いのだが。

写真13 一ツ家手前
写真14 余野部建材柘植工場写真15 大杣池

集落の西側には余野部建材の柘植工場と大杣池。こちらも採石工場にダンプカーが出入りしている。関西線のガード下を通過すると鴉山池があり、昭和29年の鴉山池竣工碑が建つ。南西方向に曲がる国道を離れて大和街道を柘植駅に向かえば、民家が現れて祠があった。覗き込むと「天照皇大神宮月参」と刻まれた石柱がある。

写真16 天照皇大神宮月参写真17 柘植駅
写真18 マルチプルタイタンパー MTT-1513

柘植駅には駅員がおり、タクシーが待機している。しかし、人の往来は少なく、駅前の喫茶店は営業していなかった。1時間1本の車両を待つうちに構内で奇妙な車両を見た。マルチプルタイタンパー(MTT-1513)、保線作業の機械らしい。

加太駅~柘植駅は直線距離で約8km、足の裏がこすれて痛む。キャラバン製軽登山靴と厚手のスマートウールの靴下の組み合わせだ。両方とも草臥れてはいるのだが。

(作成 2016.12.26、更新 2021.01.23、画像変換 2021.11.16)