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千種城跡

千種城跡

高台にある千種神社(菰野町)の南側駐車場に自動車を置いて神社を参拝した。この付近はネコ山から東に延びる尾根の末端になる。拝殿の南東側にある少しヤブっぽい小丘上に三等三角点の千種村があった。

地図の大きさ:600×150 600×400

地図の大きさ:600×150 600×400 説明:地図表示について

写真1 千種城跡写真2 「史跡千種城跡」案内板

海蔵川に沿って西へ歩き、遊具がある広場から左へ入れば「史跡千種城跡」の案内板と石段が現れた。案内板には、この城の城主は「戦国期は北勢地方の鄕士の頭領として三重郡二十四郷を領し」とあり「大坂夏の陣で戦死して廃城」とのこと。

階段を登り、植生のなかの道を歩けば、空堀を土橋で渡って広場に出た。ここが案内板にある本丸か。南側には土塁が残っている。

写真3 土橋と空堀写真4 落武者街道
写真5 本丸跡の広場
写真6 土橋と空堀

広場は西端に「千種城趾」の石碑があり、ベンチが置かれて良く整備された公園になっている。南西角のヤブの中に「落武者街道」とあるが何処に出るのやら。怪しいので止めておく。

車道で階段下へ戻り、往路を千種神社に帰れば往復30分余の行程だった。

天保国絵図 伊勢国

江戸時代の国絵図を見ると、千種村、音羽村の西に城跡が大きく描かれている。この位置は千種城跡と思われる。勢陽五鈴遺響の千種城は長文で読む気力が出ないが、いつのまにかユルキ石、西行法師、水無瀬山の話題が続く。

天保国絵図 伊勢国

興味を持ち朝明渓谷からの帰路に自動車で入ったが、周辺の道は狭く、駐車場もないので逃げ帰ったことがある。今回は東にある千種神社から歩いた。

上図は国立公文書館の伊勢国から該当部分を抜粋した。城跡の右にある黒い太線は三重郡と朝明郡の郡界、川沿いの朱線は千種街道だ。何故か、この地図では扱いが大きいが、他の古地図で千種城跡を見た記憶はない。

(作成 2023.01.24)