小野の湊に出現した如意輪観音に帰依した聖武天皇が、天平九年(七三七)に創建したと伝えられている。
良忠が京都から関東に下向の際に来寺し、浄土宗に改めた。
寺領七町を賜ったが、後に寺領が減少した。
正親町天皇は、長島城主・滝川一益に命じて寺領をもとに戻させた。
伽藍が炎上。その後、後陽成天皇の勅願所とされた。
文禄検地の際、寺領は公的に没収され衰微した。
四日市代官・大谷光勝を通じて徳川家康に訴願し、二〇石の朱印を寄せられた。この開創に由来する如意輪観音の像は、頭八つ、足が四本の霊鳥に乗った観音像で、四足八鳥観音と呼ばれ、現在も本堂内にまつられている。
ふだらくや にょいのまつわら わけゆけば
おののみなとに のりのうきふね
補陀洛(ふだらく)の如意輪の松原を分け入っていけば、小野の湊に法(のり)の浮舟が待っている——当山の創建にまつわる「小野の湊」の伝承を詠み込んだ御詠歌です。