あ と が き 2


 

相聞の終わりにあたって

                                 郎女

朝臣さまとはネット上で出会い、相聞歌を交わし、恋が成立するとは、人間とは何と知覚の生き物であることでしょう。知的感覚と感受性と想像力とで構築した世界です。

文字だけの世界で、こんなに自由に心を遊ばせることが出来ることに驚きと感激をしています。

そこに「山、鈴鹿」という共通の基盤があるから、お互いに解り合え一層心を育てることが出来るのだと思えます。

現実の身分、立場、年齢などのバリアを越えて自由に行き交うことが出来ることは、私の物語の中でしかあり得ないことでした。

朝臣さまとはネットでなければ決して接点は無かったでしょう。

ああ!もしかしたら山でお逢いしていたかも知れませんが・・・

 

この相聞から数々の名作が生れたと思います。

かくとだに 君は伊吹の さしも草 さしもじらしな 燃ゆる思いを

こりゃまどこ 行くも帰るも わからずに じらすもじらさぬも ノタ坂の月

この一対はこの相聞を通じての頂上だったと思います。

とても気に入っています。

 

歌は言葉の数が限られているため、説明なしでは意味が通じにくいところが多々ありました。

たとえば 伊吹の さしも草 は伊吹山は薬草の山であり、伊吹ではお灸の絵が描いてある袋に入ったもぐさが沢山売られているし、本歌ももぐさを指しているから、万人共通の認識だと思って説明抜きでしたが解かりにくかったようです。

 

この相聞は三脚であるところに一番の特徴があると思います。

お互い歌を詠み交わしているだけであるならば、ただのラブレターの交換ですが、葉里麻呂さまの立会いを通して成り立っているというところに特異性があります。

別な見方をすれば、お互い葉里麻呂さまに内緒で抜けかけしても意味がないし少しも面白くないのです。

葉里麻呂さまの解説がいかにこの相聞の世界を構築するのに大切だったかと感じます。

思えば朝臣さまが

霧雨降る 視界もきかず 御池岳 空晴れないに 笹くぐる汝は・・・と誰かいってくれないかなあ・・・とご自分の願望を詠まれた歌に

吾を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしずくに 成らましものを

と葉里麻呂さまが万葉の石川郎女の歌でもって応えられたその知識と感性がすべての始まりです。

そのままこのお二人で歌をやり取りしてもとても面白かったと思います。

そこに「私でよかったら郎女役を務めましょう」と私が郎女に成りすましてしまったので、このおかしなおかしな歌の詠み合いがは始まったのでした。

願望は言ってみるものですね。

葉里麻呂さまの名解説に拍手!

朝臣さまは古今東西に並ぶ者なしの詠み手であります。(あんな歌は絶対に誰も作れません)またどこかでその名作を拝見したいものです。

 

それともう一つ。この相聞歌は私を救ってくれました、病院に入っている時、早く元気になって歌を交わしたいという思いが、精神的に早く立ち直らせてくれました。

たとえ「砂上の楼閣」であったとしても、そこに喜びを感じたことはまがいも無く幸せなことでした。

近藤朝臣さま、葉里麻呂さま、応援して下さった皆様と「鈴鹿樹林の回廊」に感謝。


御池杣人氏(朝臣)    管理人(葉里麻呂)      戻る