相聞 ROUND9
本歌 立ち別れ いなばの山の 嶺に生ふる まつとしきかば 今かへりこむ (中納言行平)
作品No.49 立ち別れ 御池の山の 池に生ふる ふすとしきかば 今かへりこむ (近藤朝臣)
現代語訳 郎女は病に臥しているのか。あなたと別れて、御池の山に行っても、御池岳の池の畔に生えている「附子−ふし」という花の名のように、あなたが病に「臥し」ていると聞いたならば、私はすぐにでも帰ってきましょう。
(注)「ふし」とは御池岳の池畔に晩夏に咲くカワチブシ(トリカブト)のこと。
葉里麻呂の説(2001・9・2「御池岳取材同行記」)による。葉里麻呂の解釈によれば、カワチブシとは河内附子と書くという。その「附子」と郎女が病に「臥し」ているという「臥し」の掛け詞。
後世の注釈者 「ふし」という聞き慣れぬ花の名。この(注)が正しいか、『広辞苑』を調べてみた。確かに「ふし−附子」もある。しかし、「ふし−附子」はどうも意味が違うようだ。「ふし−附子」とは若葉などにつくアブラムシによって瘤状になった部分をさすらしい。念のために「ぶし」を調べてみると、あった。「ぶし−附子」(とりかぶとの塊根・・・をとって乾した生薬)とある。なお、「ぶす」とも言う。かつて葉里麻呂がこの説にもとづいて、「かわちぶす」とも読むとして、難波の乙女・淑女と楽しい?やりとりをしていたと『樹林の回廊』の当時の記録に残っているが、読み方は間違いではなく、その通り「ぶし」とも「ぶす」とも読む。
御池杣人のこの歌は「ふし」を「附子」と「臥し」との掛け詞としているが、厳密には「ぶし」と「ふし」、「ぶす」と「ふす」の「がけ詞」が正しい。「ぎりぎりです」と言いながら、しぶとく下手な技巧をこらそうとしているところがいかにも「ミルキーあんぱん」である。
管理人解説 筆者が附子をぶすとしたのは太郎冠者、次郎冠者が「一口食えども死なれもせず、二口食えどもまだ死なず・・・」という有名な狂言の題名による。トリカブトは優雅な外観に似合わず根に毒を持つ。しかし附子は少量なら強心剤や鎮痛の薬にもなるようで、これを郎女に飲ませてやりたいと言う朝臣の切ない願いが暗に読み込まれているのかもしれない。
管理人の曾孫 本歌の「まつ」は「松」と「待つ」の掛け詞である。杣人の作品は同じ箇所で「附子」を「臥す」に掛けている。注釈者氏は「ミルキーあんぱん」としているが、さにあらず。これはなかなか巧い。それどころか植物つながりで掛詞の使い方まで模写した、まれにみるスーパーテクニックと言っても過言ではない。曲がりなりにも某大学で先生と言われていただけのことはある(別に曲がってはいないのだが当時曽祖父は御池杣人に会った印象を「とても大学の先生には見えん」と語ったと祖母に聞いた)。 ところで私の曽祖父は次の歌を遺している。
本歌 難波がた みじかきあしの ふしのまも あはで此のよを 過ぐしてよとや
難波方 みじかき夏の 附子のまも やまで此のよを 過ぐしていしや
訳 大阪のあのお方はカワチブシの咲く短い晩夏の間でさえ寸暇を惜しんで山に登っているのだろうなあ。
これはたぶん杣人の歌を見て思いついたのだろう。この作品のモデルと言われる巴菜女は勤め人だったにも関わらず、年間50回も山に入るという凄まじき珍記録を打ち立てた人である。歩けなくなった晩年に重度の山中毒による発作で亡くなっている。亡骸は遺言によって丁字尾根のブナの袂に埋葬されたと聞く。
本歌 難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき (皇嘉門院別当)
作品No.50 難は越え 愛の変らぬ おひとゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき (柳澤郎女)
現代語訳 ようやくわが君がお帰りになられると聞けば、この病の身を奮立たせずには居られましょうか。思えば ーぬれにぞぬれし 帰路はわからずー から何と長い苦難の道のりであったことでしょう。よくぞ、お命が持ちこたえられたものと、よろずの神に感謝したい気持です。私の命も持ちました。 愛する事が生きる事のエネルギーの源泉であることを、深く知った思いが致します。 渾身の力を出して、暖かい物でも持ってその辺りまでお迎えに参りましょう。おぼつかない有様ですが、心は弾んでいるのでございます。
管理人解説 筆者は男の身ゆえ女心はよく解し得ない。紀貫之は女性の筆に仮託して「土佐日記」を書いているが、よくそのような器用な真似ができるものだと思う。
恋は男の人生の一部であるが、女性にとっては人生のすべてと言う説がある。皇嘉門院別当の本歌も「旅の一夜のはかない契りのために、生涯身を捧げて恋い続けなければならない」という女の恋心の哀れさを詠んだものである。だから郎女が愛する事が生きる事のエネルギーの源泉であるというのも納得できるのである。朝臣が帰ってきそうだという予感に郎女の生命の灯が蘇ってきたようだ。
本歌 君がため 春の野に出て 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ (光孝天皇)
作品No.51 霧か雨 治田に出て あまな見ゆ わがこい汝に 時はふりつつ (近藤朝臣)
現代語訳 夜が明けてきた。ぎりぎりのフラフラではあるが、伊勢谷を登り郎女様待つところへ帰ろう。よれよれと治田峠に出てみれば、ヒロハノアマナが小さく咲き、風に揺れている。おかしい。今は秋なのに。峠に立てばやさしい光、春爛漫。この峠に、可憐な花が葉に一筋の白を浮かべて咲いているような。錯覚か。ふと気づけば秋の霧か雨か。そうか、私と汝との恋も、たった二晩のビバークの間のことなのに、今、霧雨が音もなくふっているように、何カ月も時が経過(ふる)したような。お互い短くない茫々たる月日だったような気がしてならぬ。さあ、気を確かにして戻ろう。あとはこの峠を下っていくだけだ。
(結)
管理人解説 あの治田峠に秋にもかかわらずヒロハノアマナを見たというのは、二人の間に春が訪れる展開を予感させる。「さあ、気を確かにして戻ろう。あとはこの峠を下っていくだけだ。」という結びは山本素石の名エッセイ「山家独居の記」を彷彿とさせる。狭隘な山間部である茨川から、伊勢湾が光る治田峠へ出たときの晴々れとした気分の高揚が見て取れるのである。
「時はふりつつ」と言う置き換えは見事でなかなか味わい深い。様々な意味を内包して余韻を持たせたのは結びの一首に相応しいと言えよう。
写真: ヒロハノアマナ (ユリ科) 花期3〜4月 葉の中央に白線がある
長らくご愛読いただいた朝臣、郎女の相聞は以上をもって終了させていただきます。最後に連載を終えての三人のあとがきと読者感想も併せてご覧頂けたらと思います。