相聞 ROUND4
本歌 わたのはら 八十嶋かけて 漕出(こぎいで)ぬ 人にはつげよ あまのつりぶね (参議 篁)
作品No.19 われもまた やけくそかけて 解説こきぬ 人にはつげよ あまのするまね (近藤朝臣)
現代語訳 わたしもまた やけくそに「やけ詞」をかけまくって もがもがと解説こいていたのですよ それはあなたのなさっている真似なんですよと、いとしいあの人にだけは告げておくれ、(管理人よ。)
作者注−郎女さまの新説「やけ詞」は、無茶苦茶古文法研究にとって、またパロディー和歌研究にとって、新たな視点を提示していると思われる。 かつて良寛さんが、古今、新古今はよむにあたわず、万葉のみ(よむにあたいする)と、看破されたことは、この新説に照らして考えるとうなずけるのである。良寛さんは多分、古今、新古今のもっぱら技巧にはしりがちな、貴族趣味的な歌を批判したのかもしれない。それは「やけ詞」と紙一重の域なのだと。
それに比すれば、万葉の東歌、防人の歌などの素朴さは、「やけ詞」の世界の対極にあるのだろう。したがって、こうしてパロディーが成立するのは、東歌、防人の歌ではなく、貴族趣味と「やけ詞」がかなりまじる万葉以降の歌なのかもしれない。少なくとも筆者は東歌や防人の歌をパロディー化できないし、したら失礼なような気がする。この郎女様との相聞は実は「やけくそ詞」の応酬となりつつあり、これはこれで相聞の発展としていいのだ。
管理人解説 この作品は一見オチャラケのような印象を受ける。しかし仔細に見ると丁寧に本歌に対応しつつ、返歌としても深い意味を内包していることが分かる。作者は道化の仮面をつけた哲学者とでも言おうか(やっぱりパンダの皮をかぶったタヌキぐらいにしておこう)。
ついに万葉と古今以降の対比解説まで登場し、教養講座の趣。子どもと手まりをついていた良寛さんはそんな事を言わはりましたか。百人一首には八世紀以前の歌もあるし、相聞がある万葉集を知っておく事も大切である・・・てなことを古典の授業中にヨダレを流して熟睡していた管理人が言っても説得力が無いか。
でも「新古今和歌集」仮名序に「かの万葉集は歌の源なり」と書いてある。
本歌 かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思いを (藤原実方朝臣)
作品No.20 かくとだに 君は伊吹の さしも草 さしもじらしな 燃ゆる思いを (柳澤郎女)
現代語訳 もがもが言ったり、キツネと遊んだりして、道草しておられるのはどうしてなのかしら?あなたは、まるで伊吹のもぐさのようなお方なのね、 ジリジリと思いが熱くなるタイミングを待っていて、なかなか来ては下さらないのねー
その高等テクニック!にくい!わかっていても降参してしまうわ、こーゆーの「ほれた弱み」って言うのかしら
管理人解説 さても熱烈な歌であることよ。本歌はかなり技巧的な歌なのだが、この作品も「知らじな」を「じらしな」としたところなど秀逸。
艾草(もぐさ:ヨモギの異称)は朝臣の道草に掛かっているのだろう。なかなか技巧的だ。それはともかく久々に山の地名が出た事嬉し。もとは鈴鹿百人一首なのでした。
じらしが高等テクニックなのかは恋の道に暗い管理人には分かりかねるが、男の照れも多少有るような気がする。
後記 作者より注釈が入り、今回のもぐさはお灸の意で「ジリジリと熱くなるタイミング」に掛けてあるそうです。歌の解釈も難しいものよのお。しかし意図はせずとも道草と二重の掛詞になっていて、うな重のようなおいしい歌になりました。
本歌 これやこの 行(ゆく)も帰るも 別れては しるもしらぬも 相坂の関 (蝉丸)
作品No.21 こりゃまどこ 行くも帰るも わからずに じらすもじらさぬも ノタ坂の月 (近藤朝臣)
※ ノタ坂とは、伊勢の新町から茨川経由して近江の君ケ畑へと越えるところをいう。今はノタノ坂と言われるが、鈴鹿の大著、西尾寿一氏の『鈴鹿の山と谷』では「ノタ坂」とも呼称していたと記されている。管理人の着々たる茨川研究がこの地についてさらに深めてくれることであろう。
現代語訳 (明るくなってきたけれど、)なんとこりゃまあ、私は今どこにいるのだろう。行く道なのか、帰る道なのか、それさえ時折わからなくなりながら、ズルズルはなを垂らしながら歩いている。だからじらすもじらさないもないのです。お目にかかりたい一心で、ズルズル、もがもが、ゆらゆらなのですよ。立ち止まれば、明け方の月。なんとここはノタノ坂ではありませんか。(どういうルートでここまで来てしまったのでしょう。はなみずズルズルのぼーとした頭で、揚げをあげなかったきつねに化かされたのでしょうか)
管理人解説 これまた本歌の選択が光る一首。料理法もほぼ完璧で、パロディー道免許皆伝か。行くも帰るも分からずにとうとうノタノ坂へ来てしまったとの事。と言うことは土倉岳を経由してきたのだろう。
HP仲間のS氏は冬にT字尾根から御池岳へ登ったのに、帰途ノタノ坂を逆に茨川に降りてしまい「日の暮れた茨川林道を4時間半かかって杠葉尾へ 、それからタクシーで小又谷へ5000円でした。」と述べている(実話)。なぜそんなヘマをしたのかと尋ねれば「キツネに騙されたんです」とのお答え。作者の現代語訳はこれを裏付ける話である。今度あの辺りを通る方は必ず油揚げを持参の事。
本歌 忘れじの ゆく末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな (儀同三司母)
作品No.22 忘れじの ゆく末までも かたければ 今日限りでと 祈っています (柳澤郎女)
現代語訳 もしかして、わが君は本当に遭難してしまわれたのかしら、きっと疲労憔悴しておられることでしょう、お助けに行かなければ・・
でも、ゆく末までも共にと、お誓いしたお方だから、絶対に自力で下山されると信じて、今日こそはと祈っています。
管理人解説 なにか胸にじんと来る切ない歌である。本歌の方は後鳥羽院も愛唱せられた歌。平安朝の女性はかくも一途に恋に生きていたのかと思うと傷ましい。
藤原定家が門弟にこう教えた。「恋の歌を詠むには、凡骨の身を捨てて、業平の振る舞いけん事を思ひ出でて、我身を皆業平になして詠む」・・・ 朝臣も色男になりきれるか。「麿は凡骨ではあらしゃいません」と言われそう。
本歌 忘らるる 身をば思はず ちかひてし 人のいのちの おしくもあるかな (右近)
作品No.23 凡骨の 身をば思はず ちかひてし 人の愛しの おしくらまんじゅう (近藤朝臣)
現代語訳 (管理人がもがもが解説こいておりますが、) 凡骨(平凡な器量の者−広辞苑)である私の身のことは、どうでもいいことで、なんとも思いません。ただ,あれほど誓ったあなたのことを思って歩いていると、私自身が凡骨であるがゆえに、はたまたあまりの空腹に、あなたが大好きよ、と語っておられた銘菓「おしくらまんじゅう」を思い浮かべ、食べたいなあと一方で思ってしまうのですよ。
作者注−孤高の人、単独行の加藤文太郎は確か甘納豆と小魚の干物の揚げたものを絶えずポケットにしのばせていたのではなかったか。まだまだ修行が足らぬのう。空腹に「銘菓・おしくらまんじゅう」を思い浮かべるようでは。しかも、そんなとき、なぜかミルキー・あんぱんが脳裏に登場してこない。一貫していないなあ。いや、郎女様のことを思うがゆえになのだろう。ああ、熱に浮かされ、揺れ動く心のさまよ。
後世の注釈者−「ミルキー・あんぱん」といい、銘菓?「おしくらまんじゅう」といい、御池杣人が凡骨ゆえにか、彼の歌?には、俗な食べたいもの、美味なる嗜好品が登場する。逆に考えれば、百人一首にそうしたたぐいの歌はどれだけあるだろうか。食べることは恋の世界と簡単に比較できないが、しかし、人間にとってどちらも生きていく上での最重要事に違いあるまい。とするならば、なぜ百人一首に食うものの歌が出てこないのか。百人一首にせよ定家にせよ、人間としてのリアリティーに欠けているのではあるまいか。憶良の「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば ましてしぬばゆ いづくより 来たりしものぞ・・・」には食べることがでてきていたのに。その意味で、凡骨たることは人間的であり、貴族趣味に陥らぬ人間的品性なのかもしれない。しかし、そうはいっても、この歌の水準はミルキー・あんぱんのレベルであることは確かであるが。
管理人解説 解説に苦慮するような歌だが、朝臣は何を食べて命を繋いでいるのかは懸念された所である。やはり空腹であったのだ。加藤文太郎は甘納豆、干小魚の他に饅頭を揚げたものを携行していた。それが愛しい人の好物である銘菓「おしくらまんじゅう」であったかは定かでない。
ところで近年、本来のおしくらまんじゅうを目にしない。もはや死語と言っていいだろう。雨乞いの「かんこ踊り」とともに「おしくらまんじゅう保存会」の設立が急務となっている。
管理人の曾孫 文芸評論家K氏の指摘は鋭い。中世の和歌などは所詮人民からの搾取によって、喰うに困らぬ貴族の遊びであったので生活臭が無いのであろう。その点、御池杣人は富裕階層であったにもかかわらず一連の著作には執拗に食い物が登場する。これは「食」が生命維持から道楽(グルメ)に変遷し、エンゲル係数が意味を持たなくなった時代背景と関連するのであろうか。しかしその割に御池杣人は大したものを食っていない。そこが貴族趣味に陥らない品性であろうか。いずれにしても今後の研究が待たれる所である。
人、老いれば凡骨である人もあらざる人もみな平等に白骨となれり。凡骨嘆くにあたわず。及ばざるは過ぎたるに勝れり -- 曽祖父遺訓 --
ひいじいさんは凡骨の標本のような人だったと聞く。
本歌 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな (左京大夫道雅)
作品No.24 今はただ 御無事であらむ とばかりを 独り言ならで 言っているかな (柳澤郎女)
現代語訳 私はジッとしてはいられないのです。わが君をノタノ坂とやら辺りまでちょっとお迎えにいってきます。二次遭難の恐れ?大丈夫、私は一般道しか行きません。
装備は先ず食料 ミネラルウオーター、コーヒー、ヒマラヤンシェルパティー、ウーロン茶、スポーツドリンク、カマンベールチーズ、ヨーグルトチーズ、生ハム、ビーフシチュー、コーンクリームスープ、アサリの味噌汁、焼きおにぎり、カツサンド(わが君がお好きだから)、パックのおかゆ、梅干、シーフードドリア、クロワッサン、みかん、さくらんぼ、グレープフルーツ、ミニトマト、気付けにバーボンの小瓶を一本忍ばせて。こんなにどうするの?私も食べるのです。着替えはフリーサイズにしておきましょう。ロープとカラビナは重量の関係で置いていこ。風邪薬は必携。
人は食べなければ生物学的に死んでしまいます。だから生きることは先ず食べることであります。でも人間は他の動物とはっきりと一線を画しているのは、人はパンのみに生きるにあらず、だからです。わが君は疲労憔悴と飢餓の極限にあっても、私のことを思っていて下さる。人の品格とは何をもって計測するのでしょう。極限にあって空腹に耐えながらも、人を愛することが出来るこの精神性こそ品性そのものであり、生きることの根源的意味を内包しているように思います。私は朝臣さまのお心をあだやおろそかには受け止めません。
ちょっと荷物が重すぎたようで病がまだ癒えぬ身にはちとふらふらしますが、恋する女はやわではありません。朝臣さまのご無事をひたすら願って行きます
管理人解説 人は一人でいるときでも感動が強いと声に出して言ってしまう事がある。「ご無事であらむ」とおもわず言葉に出てしまうという事は思いの強さを表す。優れた歌である。
それにしてもぎょうさん持って行かはりますなあ。コッヘルもガスコンロもいりますわなあ。あとジャムパンとアンパンとスーパーのざるそばを持っていかはるとお喜びになります。朝臣はんは尾張のお人やから、ういろうときし麺もよろしおすなあ。あとエビフリャー。そないに食べたらお腹壊しはるやろか・・・。ほんなら行き違いに気ぃつけておくれやす。