相聞 ROUND5
本歌 しのぶれど 色に出にけり 我恋は 物や思ふと 人の問ふ迄 (平兼盛)
作品No.25 しのぶれど 腹に出にけり 我恋は 食ひ物や思ふと 人の問ふ迄 (近藤朝臣)
現代語訳 かくしていてもかくしていても、つい私の恋心はお腹の空き具合に出てしまったらしい。「何か食べ物のことを思っていらっしゃるのですか」と人があやしみたずねるほどまでに。
後世の注釈者−御池杣人はこのあたりかなり混乱している。
1)「しのぶれど」について→ノーテンキに「濡れた袖よ〜」と御池岳を彷徨って、迷ってしまい、やさしき郎女様に声をかけていただいて、、これだけ満作氏の「鈴鹿樹林の回廊」のホームページのかなりの部分を借用して、さんざん郎女様と相聞歌?のやりとりをしていながら、いったいどこが「しのぶれど−かくしてもかくしても」なのだろうか。ならば前作までのは何であったのか。
2)「食ひ物や思と人の問迄」→郎女様のお好きな「銘菓・おしくらまんじゅうが食べたいなあ」と自分から言いだしておきながら、シャーシャーと「『何か食べ物のことを思っていらっしゃるのですか』と人があやしみたずねるほど」と平気でうたっている。
この混乱は@もともと御池杣人は、自分のつい先程言ったことを何の悪気もなく、気持ちよくわすれてしまう性癖?があったと伝えられていること。だから先行き不透明な、嘘と偽り多い、ヒトラーと紙一重のインチキ政治の下、どんよりした21世紀の初頭をノーテンキに生きられたのかも?Aこれに加え、この時点ではハナズルズルの意識ボーとなってしまっていることの相乗作用であろうか。いやいや、どうもそうではなく、実はBこの相聞?のパロディー道の険しさ、難しさに、いよいよつじつまがあわなくなり、時空を超え、矛盾もなんのその、ストーリーの展開などおかまいなしの、飛躍につき進み出したのか。案外、この支離滅裂さを楽しんでいるのかも。
管理人解説 なるほど支離滅裂といえば言えるかもしれない。四句が字余りだとか、奥深い御池岳で迷っているのに、問う人などいないではないかとか。しかしパロディー道では理論的矛盾をあまり追及しないのが不文律となっている。それは野暮というものである。
では何でもありかと言えばそうでもない。ある程度のリアリティーが基礎に無いとハイセンスな笑いはとれない。その辺のバランスが、後世の注釈者氏が述べる所の「パロディー道の険しさ」である。矛盾はさておき、言葉の置き換えとしては面白い歌となっている。
なお、本歌、パロディーとも「思ふ」「問ふ」の「ふ」という送り仮名は入っていないが、ルビを付けると鬱陶しいので読みやすいように入れておいた。満作というのは御池氏だけが私のことをそう呼ばれる。通称ではないがあえて原文のまま。
本歌 忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで (平兼盛)
作品No.26 忍ぶれど 顔に出でにけり 我が恋は いいことあったねと 人の言ふまで (柳澤郎女)
現代語訳 朝臣さまのお歌はいつも楽しくて楽しくて、ついウフウフとなってしまい、人から「この頃いいことあったようね」と言われています。 本当のところ私は楽しいのか心配なのか、相当混乱していまして自分が何をしているのか解らなくなっているのです。そうそう、朝臣さまをお迎えに行くはずだったけど、荷物があまりにも重すぎて、三歩と歩めませんでした。これは仕切り直しです。
管理人解説 何かの本で浮気の兆候の一つとして「思い出し笑い」を挙げていた。なるほど。もし奥さんが台所で何も言ってないのに一人でニヤニヤしてるときは怪しいと思われよ。何処かで誰かと楽しい事があったに違いない。
本歌 しのぶれど 色に出にけり 我恋は 物や思ふと 人の問ふ迄 (平兼盛)
作品No.27 霜降れど 芋煮出にけり 我脳裏は ももや思ふと 人のとーふ迄 (近藤朝臣)
現代語訳 秋のノタノ坂は冷え込み、霜が降りている。それを見ていると霜降りの肉のしゃぶしゃぶか、すき焼きを一瞬思い浮かべるが、それよりもお芋の煮っころがしが脳裏に強く浮かんでくることよ。このように何を見ても、食べ物を思い浮かべてしまうことだ。みずみずしい桃のことを思っているのですか、あるいは、若鳥の腿肉の照り焼きですか、はたまた、「ウララウララ・・オモテカラゴハンデスヨ」「アカギノヤマモコヨイカギリ・・チュージゴヨウダ。エドムラサキニゴヨーダ」「ワタシハイナカノエキチョウサンデス。・・トッキュー」の三木のり平のとぼけた名コマーシャルの桃屋を思い浮かべているのですかと、問う人が食べている豆腐まで思い浮かべるように。
後世の注釈者 この歌は杣人がかなりの錯乱状況のわりには、技巧的ですらある。無茶苦茶古文法の立場から解説を加えておこう。掛け詞研究から言って、まこと興味深い。「問ふ」→「トーフ(豆腐)」−−−これは、「かーけ詞」を意味する。では「かけー詞」はあるのか。文法上、当然「かけー詞」もある。例えば、「恋ふ」の「かーけ詞」は「コーフ(甲府)」であり、「カケー詞」は「コフー(古風)」というように。ついでながら「かーけー詞」もある。「こひ(恋)」→「こーひー(珈琲)」となるように。これらは掛け詞の範疇にはいるかどうか、あるいは「ヤケ詞」に分類されるのか、学界ではまだ論争中であり、決着はついていない。筆者から言わせれば、今回のものはヤケクソの香り漂っており、当然ヤケ詞の変種と考えられる。 また、「もも」を「桃」「腿」「桃屋」と三つ掛けている。これは「かけかけ詞」として珍重されている。 したがって、この歌?には、歌の巧拙は別として「かーけ詞」と「かけかけ詞」が使われているということになる。 錯乱下にありながら、あるいは錯乱に近い状況だから、こんな発想ができるのか。いずれにせよ、遊び心を失っていないところ、よろし。
管理人解説 平兼盛の歌を丸ごと食品に置き換えたのはパロディー道の新境地である。個人的な好みとして「人のとーふ迄」も捨て難いが、「物や思ふと」を「ももや思ふと」にした所を買う。これまた個人的な好みでこの場合の「ももや」は絶対「桃屋」であり、せっかくの「かけかけ詞」であるが、桃と腿は不要ではないだろうか。それにしても山本リンダ編までセリフを覚えているとは御池杣人氏恐るべし。国定忠治編に「俺にはしょうげえテメエという オイシイおかずがあったのだ」と言う所も入れて欲しかった。
管理人の曾孫 注釈者氏は「かけ詞」研究にご執心であるが、「けか詞」をお忘れでないだろうか。 今→舞 都→小止み 草→咲く 人→問ひ 等があり、鈴鹿編として 愛知川→我が知恵 天狗の鼻→那覇の軍手 などがある。え?那覇の軍手は苦しい?まあ、ええやないですか。ハブを捕まえるときに使うのです。そして逆さ読みの究極が「歌う(うたう)」である。普通和歌は単に「歌」というが、「歌う」は逆から詠んでも同じ読みの歌のこと。
駄作ではあるが俳句でやってみよう。 「ライタの火 竹やぶ焼けた 火の平」 これは昔の御池岳「池の平」の火事を素材に詠んでみた。ところが和歌は五・七・五・七・七と非対称であるから俳句のように簡単にはいかない。暇を持て余している人は挑戦されたい。ちなみに杣人の本名「近藤」のけか詞は「うどん粉」である。食べ物の歌が多いのも頷けるであろう。
曽祖父は「ももや」を「桃屋」に限定したいと述べているが、そうするとあら不思議、杣人の作品には隠されたもう一つの「かーけ詞」が現れてくるのである。これはもう言わずともお分かりであろう。それが果たして意図されたものかは両人とも故人となった今では知る由もないが、パロディー道の奥深さを思い知らされるのである。
本歌 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける (紀貫之)
作品No.28 人はいいし 心も知ってる ふるっとるのは 今も昔も 池にほれける (柳澤郎女)
現代語訳 わが君のそのお優しいお人柄が、そのお言葉の一つ一つからも伺えて、私は愛して止まないお方なのだけれど、なにしろ池に魂を吸い取られてしまわれた。 私を振り捨てては笹こぎに行って仕舞われる。私は池にジェラシーを感じているのです。 でもとても筆まめでいらっしゃるので、文だけは交わして下さるのです。藪こぎで迷って帰路が解らずになって、相当空腹と戦っておられ、もう錯乱状態のようすです。何でも食べ物に見えてしまうあまり、食べ物の言葉遊びに気を紛わせて見ては、せめてお腹が満たされないかなんて、切ないことでしょう。 こんな言葉遊びが『その時私を救った』と後で発表されたら、各界からかなり注目されると思います。 そして言葉遊びの持つ意義が一段と教育界やさまざまな方面から評価されるでしょう。 朝臣さま、しっかりと心に留めておいて下さいませ。
管理人解説 貫之の歌は初登場?同じ歌が何度も出てくるが、未出の歌もたくさんある。やはりパロりにくい歌というのが有るのだろう。
パロディー作りの一つの手法として本歌の漢字をすべて解体し、ひらがなにして眺めてみるのもいいだろう。漢字は意味が限定されるため、自由な発想の妨げになるからである。ひらがなにして眺めていると、似て非なる珍妙な言葉が浮かんでくる。更に旧仮名遣いをそのまま読んでしまうとなお良い。
この作品も「にほいける」から「・・・にほれける」が発想されるわけで、「匂ひける」からは発想されない。杣人氏の 問ふ迄→とーふ迄 という「かーけ詞」や、私の ころもほすてふ→子どもホステス も旧仮名遣いなくしては成り立たない反則すれすれの技である。
それにしても郎女様の作品第三句「ふるっとるのは」からは、かすかに名古屋弁の香が匂ひけるのである。
本歌 村雨の 露もまだひぬ まきのはに 霧たちのぼる あきのゆふぐれ (寂蓮法師)
作品No.29 (江戸)むらさきも つゆもまどひぬ われの腹 キムチたちのぼる 朝餉の夕御飯 (近藤朝臣)
現代語訳 どこかで桃屋のコマーシャル・三木のり平の忠治姿の幻影を見たような。だから、ずっとその幻影がつきまとい、のーりの佃煮「江戸むらさき」も桃屋の「つゆの素」も浮かんできて、私のお腹は空腹に惑っていたようだ。そればかりか、桃屋の「キムチの素」の香りがたちのぼる 「朝餉」で食べる夕「ごはんですよ」はこたえられないだろうなあとのーりに浮かんでくることよ。
後世の注釈者−空腹の混乱下、桃屋桃屋と一途に思い詰めている姿。郎女様との相聞はどこへいった? わずかに「キムチの素」の「アナタノキームチガヨークワカル」に辛うじて相聞の片鱗が。しかし、朝餉の夕御飯などと二重の矛盾に杣人は陥っている。夕御飯を「朝餉」で食べたいとしていること、桃屋ではなく突然、永谷園の「朝餉」(小さん師匠)が登場し、桃屋の「ごはんですよ」とごちゃごちゃになってしまっている。
寂蓮法師の美しくおりたたむがごとき霧たちのぼる秋の夕暮れを詠んだ歌は、おそらく(今、朝であることをのぞけば、まさに霜降り、朝日に照らされて朝霧立ち込めるノタノ坂の風情そのものだろうに、杣人の眼には入っていないようだ。早く正気?に戻り、郎女様の待ちたまへる茨川方面へ下らんかいと言ってやりたい。
管理人の曾孫氏へ−1)貴殿の曾祖父は「なんのとりえもない人であった」というが、どうしてどうして、即、のり平のかつての雄姿を登場させるなど、なみなみならぬお人であったと見た。おたんちんぶりがただものではない。杣人が「あんぱんの食べ過ぎ」、貴殿の曾祖父が「バナナの皮で滑って」、おたんちんぶりに甲乙つけがたいと言わねばならぬ。2)貴殿がケカ詞の例に出された「ライタの火 竹藪焼けた火の平」は見事だが惜しい。御池岳はササヤブであり、竹藪ではない。例示であったとしても、「ライタの火」と「火の平」があまりに見事であったので、小生もそれを受けて改作してみた。「ライタの火 御池はKO 火の平」−−まことあと少しで池群まで延焼するところであったらしい。そしてかつてのササヤブに回復するまでかなりの月日がかかったと聞く。ダメージは小さくてなかったのだ。
管理人解説 これが果たして相聞歌と言えるのだろうか。原作が一幅の日本画を見るような寂蓮法師の美しい歌だけに、その落差が際立つのである。しかし人間飢餓状態に置かれれば色恋よりも食べ物が真っ先に浮かんでくるのは致し方なかろう。杣人氏のむしろリアリティーを追及した作歌とみる。朝臣の「のーり」には「ごはんですよ」がグルグル回っていたに違いない。
それにしても「朝餉の夕御飯」という奇怪なるフレーズに強い印象を受けるのである。何か深い意味があるのだろうか。ここでぜひとも述べておかねばならなのは、「あさげ」は粉末よりも生味噌タイプのほうが旨いと言うことである。しかし指が汚れるので最後の一絞りを躊躇してしまうもどかしさが残る。
管理人の曾孫 注釈者氏は曽祖父の疑問に一つの見解を示している。氏は朝餉の夕御飯について混乱説をとっているが、杣人がたんに「ゆうげ」より「あさげ」のほうが好きだったという可能性もある。別に夜、「あさげ」を食して悪いと言う法もあるまい。当時名人と言われた五代目柳家小さんが「これでインスタントかい」と述べた事実が文献にある。
曽祖父が生味噌云々を力説していたのは歌と関係がなく、何の意味か分からないが、そういう人だったと思えば追求する気も起きないのである。
注釈者氏の「御池はKO」と言う添削はお見事。竹と笹の違いは筆者も少し気にしていたのである。
本歌 小倉山 峰のもみぢば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ (貞信公)
作品No.30 御池山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの 逢瀬またなむ (柳澤郎女)
現代語訳 わが君に耐えて逢えぬはなかなかな私なのに、周りからは「いい事あったらしい」とすっかり評判になってしまって
『秋の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名は惜しくはなし』
なのですが、私の事はどうでもいいのです、わが君が空腹でおられるのがとても辛いのです。
『小倉ぱん もみじまんじゅう 宅配あらば 今ひとたびの お食べいただかむ』
宅配で送れたら良いのに。そうはいかないから私が行きます。あんぱんと、ジャムぱんと、スーパーのざるそばを持ちました。おしくらまんじゅうが手に入らなかったので、もみじまんじゅうを代わりにして、わが君のお好きなブレンドコーヒー「風」と私の好きな紅茶「マルコポーロ」とを持って。「ごはんですよ」と「朝餉生味噌タイプ」はアツアツの炊きたてご飯でないと美味しくないので置いてきます。
『ひもじさよ 耐えねば耐えね 長らえば 忍ぶることの 弱りもぞする』
と心は急くのです。登り坂で息をついて足を止め空を見上げれば
『あまのじゃく ふり返って見れば かすかなる 三笠まんじゅうに 見えし月かも』
もみじまんじゅうでなくて、三笠まんじゅうの方がわが君の好物だったかしらなんて、心乱れるのです。
ようやく白船峠までやって来ました。なぜここに来たかと申しますと、ここが好きだからで、ここより他に道を知らないのです。
さて、ノタノ坂とやらを確認しょうと、白地図を取り出して見たら、何とコンターが書いてあるだけでノタノ坂は書いてないではありませんか、なんて不親切な地図なんでしょう。白地図は自分で書き込むために白いのだと地図を作っている知人が言ったけど、私の白地図はまっさらだから役に立たないではありませんか。
『白地図に 風の吹きしく 秋の日は つらぬき読めぬ 紙と散りける』
地図を放り出してごろっと寝っころがってみたら、林の中を下から見上げるのは、なんてステキなんでしょう。この樹陰で葉の揺らめきを見ながら、フルオーケストラの青空コンサートが聞けたら、魂が震えるほどの感動を味わえることでしょう。
かく言うはもしかして朝臣さまなら、ご無事でお帰りになられたあかつきには、皆を集めてコンサートをやってしまわれるのではないかという、密かな期待があるからです。この場合私が御著書にイメージした曲のうち「ベートーベンの第6番、第5番」だけで充分お池岳を表現できると思います。
朝臣さまと御池にはもう「運命」しかない!
管理人解説 訳の中にまた歌が入ると言うプログラミングで言う「入れ子」あるいは二重方程式のようなややこしさである。その中で式子内親王の替え歌、「ひもじさよ」はなかなかの秀歌であり、現代語訳の中に入れてしまうのは惜しい気もする。
二人の現在位置がノタノ坂と白船峠となり、逢瀬には困難が生じている。真ノ谷〜土倉間のトラバース道は廃道と化しているのである。最善のコースは朝臣が茨川へ下り茶屋川を遡行、郎女が真の谷へ降りて谷を下っていくと三筋滝辺りで遭えるだろう。ところが朝臣は「あさげの夕御飯」状態であり、郎女は地図を投げ捨てて寝っ転がっているようで、展開を予想する事は競馬を当てるより困難である。
それにしても朝臣のために用意した山のような食料を重いからといってあっさりうっちゃったり、地図を放り出して一人シンフォニーの空想にふけるなど、郎女のあっけらかんとしたこだわりの無さは笑いを誘うのである。若い女性の持つ分裂気味なところを作者は表現しているのかもしれない。あるいは作者自体が分裂気味なのか。