相聞  ROUND6 

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本歌    春すぎて 夏来にけらし 白妙の ころもほすてふ あまのかぐ山  (持統天皇)

作品No.31 だるすぎて あずきたべたし 白船の (あん)ころも欲すけふ 赤の福やら  (近藤朝臣)

現代語訳  空腹と風邪と疲労でだるい。三木のり平ばかりか、「ごはんですよ」までが頭の中でぐるぐると回っている。これは錯覚だろうか。そんな朦朧とした中に突如、ジャジャジャジャーンと荘厳な「運命」がここノタノ坂まで聞こえてきたような。気がつけば白船峠のあたりからかすかに聞こえて来る。その「運命」の音色とともにかすかに漂う小豆の香り。郎女様かもしれぬ。だが人間の嗜好とは気まぐれで不思議なものだ。小豆一般ではなく、今日は小倉百人一首を鑑賞する際の定番と言われている−あんころもちが食べたくなった。その中でもあのお伊勢の赤の福とやら言われているものを。

後世の注釈者  この有名な歌をパロッた迷作に管理人の「子どもホステス あまの来る山」がある。杣人のこの歌はそれなりの苦心の作であろう。「ころもほすてふ あまのかぐ山」を「子どもホステス あまの来る山」とすっきりとパロッている切れ味は、かつてQちゃんが「あまの橋立」を「鎌の端だけ」とした切れ味と共通している。それを踏まえて、この歌をどうパロディー化するか。切れ味はないが、トロさは出ている点にいかにも杣人の作といえよう。
 「貫之詠めぬ」ほどの美しい風情の秋の峠、白船峠。ここで郎女様は白地図を放り出してごろっと寝っころがって秋風と葉の揺らぎを鑑賞しておられる。まさに山愛する人の至上の時ではないか。そんなときでも「赤福食べてゃー」。杣人の好きな「絶景かな、美味かな」のフレーズを取れば、「美味かな」は言わずもがな、せめて「絶景かな」の心を取り戻さんかいと言いたくもなる。

管理人解説  「春すぎて」を「だるすぎて」は秀逸である。そして疲れたときに甘いものが食べたくなるのは生理学の理にかなっている。上の句はパーフェクトだ。しかし下の句はやや苦しいのではないだろうか。(あん)と言う説明書きが入るのはスマートではない。しかし良く考えると、ころもとして(あん)をくっつけてあるのは赤福の形態を模写しているのかも知れない。こうして深読みするのもパロディー鑑賞の楽しみである。
 赤福を赤の福としているのは妙な言い回しだが、銭形平次が心臓を心の臓と言っていたのと同じである。赤福の創業は宝永4年(1707)であるからこれは妥当である。「やら」は「やあらむ」から転じた終助詞で、不確かな想像を表す。しかしこの場合「とやら」を付けるのは水戸の御老公が身分を明かした後さっきまで親しくしていた町人に「清兵衛とやら」などと言うのと同じで、朝臣が貴人であると同時に赤福が庶民的な食べ物である事を表していると見ることができる。


本歌     あひみての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり   (権中納言敦忠)

作品No.32  あひみての のちの心に くらぶれば 今の寂しさ 思はざりけり   (柳澤郎女)

現代語訳   まどろみの中で夢かうつつか「運命」の第1楽章を聞いたような気がします。 この至福の時も我に返ってみれば、こうしてはいられない!わが君をお迎えに行く処だったと思い出しました。
 ノタノ坂はいったいどっちの方向なのかしら。「ノタノ坂は茨川に下る」とどこかで誰かが言っていたのを思い出しました。その茨川は「治田峠を越えて行く」と前に豊年満作氏が言っていたこともよみがえって来ました。治田峠なら県境尾根をずーと南下して行けばいいのだから、ひとまず目標を治田峠に決めて、さあ出発。私の大好きなルンルンの尾根歩き。ここは「ベートーベンの第6番第1楽章」あたりから聞いて行きましょう。ルンルンだなんて朝臣さまのことが心配ではないのかって?こういう場合には2通りの人種があるようです。

@心配のあまり最悪の事態を想像して、もうそういう事が起こってしまったがごとく心傷に陥ってしまう人・・・・・こういう人はとても痛々しく見えて心の弱い人のように思われるけど、最悪の事態に対する心の準備をしているのです。本当に何かあった時は心の防御の出来る人です・・・・・
A私のように心の弱い者は、朝臣さまが憔悴し、へろへろになって谷底に転落して息も絶え絶えなんて絶対に思いたくない!茨川へよろよろと下ったところに「廃村茨川研究」のために訪れた殊勝な人に偶然助けられているかも知れないと思ったり、無事にお帰りになってからの楽しい事を思うようにしているのです。
 お帰りになられたら先ず「赤の福とやら」を熱いお茶で召し上がって下さい。それからアツアツの御飯に「ごはんですよ」と「朝餉生味噌タイプ」で霜降り肉でも芋煮でも何でもたっぷりと召し上がって頂いて、ゆっくり休養して風邪を治して頂きたいわ。その後にはこんなに私を心配させたのだから、その償いはして頂きますわ。  まず、フランス料理とコンサートに連れて行って頂きましょう。フランス料理は朝臣さまとちょっと意見が合わないかも知れないけど、ここは私のわがままを通させて頂きます。それから美術館に行って私のお気に入りの絵を一緒に鑑賞して頂きたいのです。それからまだまだあるのです、覚悟して下さいませ。

管理人解説  この作品を原作の訳に照らし合わせて直訳すれば短いものになるが、作者の現代語訳は想像を膨らませて自由奔放である。 男はふざけているようで律義、女はまじめなようでアバウト。理論的と感情的と置き換えても良い。世の中はそういうものである。
 それにしても白船峠から治田峠へ行くには藤原岳を越えて行かねばならない。しかしそういうことはこちらの関知するところではなく、お互いかすかなテレパシーでいずれ逢瀬がかなうことであろう。



本歌    おくやまに 紅葉踏分 なく鹿の 声きくときぞ あきは悲しき (猿丸大夫)

作品No.33 おくやまに 紅葉踏分 割くイカの 恋急くときぞ 味は七色(ななしき)  (近藤朝臣)

現代語訳  今いるノタノ坂は伊勢側からは新町から治田峠を越え、伊勢谷を廃村茨川へと下り、さらに上ったところ、近江側からは最奥の集落君ケ畑よりさらに奥にある。まさにこの奥山に、一面に散り敷いた紅葉を踏み分け踏み分けて来たことよ。だが、「ごはんですよ」がまだ頭の中をグルグル回っていて、しかも菰野町あたりから眺めた鈴鹿山脈までがグルグルと回っており目が回る。しかし、そんなことは言っておられぬ。
 ザックの中に何かないか? 赤の福とやらが入っているはずはない。でも何かないか。無駄とは知りつつザックの奥を探る。ナント半年前のスルメの残骸がさらにペチャンコになって雨具の下から出てきた。そのわずかなイカをさらに小さく割いて口にふくみ、何度も何度も味わう。ボーッとしていてはいかん。恋心急かるるときこそ、このスルメの味は深い。かめばかむほど、これまでの汗も塩味に転化し、味は絶妙な変化を遂げ、まさに七色であることよ、この空腹の身には。

管理人解説  猿丸大夫は好きな歌の一つである。暮れ行く晩秋の奥山に悲しく響く鹿の声。これほど見事に秋の寂寥感を表現した歌は無い。猿丸大夫は「何レノ代ノ人トモ知レズ」と言われる謎の人で、そのこともいっそう寂寥感に深みを与えている。山に登る人ならこの歌の哀愁が良く分かるだろう。
 さてパロディーの方だが、この物悲しくも美しい歌に唐突にスルメが登場するところは御池杣人氏の典型的な作風である。このあほらしさには爆笑である。しかしあほらしいだけの歌ではない。なく鹿→割くイカ  あきは悲しき→味はななしき はよく工夫されている。本歌と並べて声を出して読んだとき、違和感が無くて響きのいい歌はパロディーとして優れていると言えよう。
 原作の鹿の声はつれあいを慕う声であり、「郎女様恋し」と言う気持ちにうまく掛けてある。そして秋はもの悲しいのと同時にものすごく腹が減るのだが、この原作を選んだことで空腹感をいっそう強調する事に成功している。作者は「歌もスルメも噛むほどに味が出るのだぞ」と言いたいのかもしれない。


本歌   ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは  (在原業平朝臣)         

作品No.34 気ははやる 制御もきかず 下り坂 まだつかないに 日がくるるとは    (柳澤郎女)

現代語訳   天狗岩に立ちいでて ながむれば いずこも同じ もみじの錦 であることか・・・・・・・・この一面の漠として広茫の世界に・・・・・・あらら、朝臣さまのことばかり考えていたら、思考回路まで朝臣さまに似てきたみたい。  藤原岳を越えたらもう日が山の陰に入ろうとしている。瞑想にふけっていたのが長すぎたようね、私の悪い癖だわ。疲れてきて足はブレーキが利かず、滑ってお尻滑りするし、つんのめって転ぶし、もうダルマ状態です。恋の道とは険しいものよ。

管理人解説   ちはやぶる→気ははやる、水くくる→日がくるる は良く考えられている。「制御もきかず」は山へ登る人なら良く理解できるだろう。疲れてくるとエンジンブレーキが利かず走り出してしまうものである。特に藤原岳から治田峠へヘ向かう下りは急で、良く感じが出ている。
 天狗岩から眼下一面の錦繍はさぞや見事であったことでしょう。今夜は稜線でビバークとあいなりましょうが、お気をつけ下さい。


本歌     夕されば 門田の稲葉 をとづれて あしのまろやに 秋風ぞ吹  (大納言経信

作品No.35    夕されば 黒田の窯場 ことづけて あっしはまめやと 秋風ぞ吹     (近藤朝臣)

現代語訳 (もう「日がくるる」のか。困った。するめの端切れをちびちびなめて、七色の珍味を味わっておったら、何もしないうちに日がくれてしまった。何をしていたのだ。ボタンブチからのボーとした眺めがグルグルと回っておったような気もするし、「真っ赤な太陽〜 沈んでいく〜 果てない御池の 大空に〜 とどろきわたる雄叫びは〜〜」と突然三橋美智也のかつての熱唱が時を越えて聞こえてきたような。そうだ、「怪傑ハリマオー」なのじゃ。しかも、それは誰のものでもない。「ボクラーノハリマオー」なのだ。歩かねば−−−)
 グルグルフラフラハリマオーと「制御もきかずに」茨川へ下っていくと、知らぬ間にはやくも夕方。日がくれつつある時に、どこからか炭焼きの煙が。あれ、この炭焼きの窯場は、確か茨川研究の発展として茨川で炭焼きを始めた管理人黒田満作氏のものではないか。そういえば、過日ボタンブチで逢ったとき、「花の山旅」の金麻呂氏と緊張した顔でテレビカメラにむかってそんなことを語っておったなあ。僕は近江の太郎麻呂氏らと勝手におにぎりを食べていたけれど。そうか。あの時語っておったのはこの窯場か。残念ながら今は不在で誰もいない。ただ、煙りだけが静かに茨川を流れている。煙よ。秋風に運ばれて郎女様に伝えておくれ。あっしはまだ元気でござんすと。ああ、その思いが通じたのか、秋風が今清浄に吹き抜けていく。

管理人解説  いったい朝臣は御池杣人氏の創作上の人物なのか、あるいは同一人物なのか。時代考証はどうなっておるのか。フィクションなのかノンフィクションなのか・・・ そんな事を追求してはいけない。すべては茫として漠なのである。御池岳を茫と表現する杣人氏は自身も「ボー」っとしているようで、しかもスルメを舐めているうちに日が暮れるとは呆れかえった「ボー」である。家庭内での地位が向上しないのも、その辺に原因があろう。そう言えば近江のゴム長評論家の太郎麻呂氏も指摘されていたように、杣人氏は「ボー(棒)」を振り回しておられた。
 「あっし 〜 ござんす」などと言う表現は昔の渡世人の言葉で、流浪生活に対する憧れが見て取れる。氏は晩年に諸国行脚の旅に出られるそうで、多分修行僧になるのだろう。得度したなら私は棒の好きな氏に「でくの坊」を名乗る事を提案する。近未来、読者諸兄の前に「拙僧はでくの坊と申すものじゃが・・」と言う怪僧が現れるかもしれない。その頃私は茨川で炭を焼き、郎女様は流行作家となり、金麻呂氏は「火星の山に咲く花」を執筆しているかもしれない。


本歌    憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを (源俊頼朝臣)        

作品No.36  憂かれおる 人を治田の 山おろして 暗くなれとは 祈らぬものを      (柳澤郎女)

現代語訳   こけつまろびつようやく治田峠にたどり着きました。もうとっぷりと日が暮れてしまったわ。さあこれから私はどうしたら良いのかしら。ここは落ち着いて考えなくてはいけない。 考え方の順序として
★ この行動の目標(目的)は何か
★ これを遂行するための内的条件・・知力、体力、外的条件・・気象条件、装備はどうかということを総合的に考慮してすべて自己責任において行動決定しなければならない。 そこで今の私の状態にあてて考えると
★ 朝臣さまを茨川にお迎えに行きたいが
★ 瞑想にふける時間が長すぎて日暮れになってしまった
★ 食べ物のことばかり考えてツエルトも持参しなかった
★ もう体力が限界に来ていて霜降る夜をビバーグに耐え得る体力が無い
★ 茨川への道はまだ行ったことが無い と考えて来てやむ無く下山することにしました。とても後ろ髪を引かれる思いだけど・・・ ここは朝臣さま恋しさのあまり茨川へと突き進むと「近松物語」になって、格好な話題を提供するにはいいけれど。女心としてはここまで来たのだから引かれて行ってしまいたい気持ちなのです。 だけど朝臣さまは案外ご自分のおかれている状況を楽しんでおられるような気がするのです。そういうお方だから・・・

管理人解説  あらら、治田峠から下山してしまうのですか。青川から新町ということになりますか。朝臣はどうなるのでしょう。
 ところで相聞に相応しくないことは承知だが、現代語訳の箇条書きに時節柄
 ある事件を連想してしまう事は致し方ない。現在世界を震撼させている事件である。各条項をこの事件に当てはめて連想すると、なかなか意味深長である。茨川への道は文字通り茨の道なのか?相聞の行方も日本の行方も混沌としてきた。


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