鈴鹿:五僧越
暖かい好天の土曜日、時から多賀大社までの峠と廃村を巡った。毘沙門谷-五僧の間を除けば車道ばかりである。五僧越は霊仙山の南で鈴鹿山脈を横断する道。島津越、江州街道の名もあるようだ。島津越は関ヶ原合戦で島津隊が退路に使ったとされているため。山は意外なほどに人の気配にあふれていた。
- 登山日
- 2000年12月2日日曜日
- ルート
- 時-時山-五僧峠-保月-地蔵峠-杉-杉峠-多賀大社
アプローチ
近鉄・西桑名駅で北勢線の始発電車に乗る。3両連結の電車に乗客は4人だけ。終着の阿下喜駅ではバスの出発まで時間がある。日の出の時刻、朱色に染められた藤原岳を眺めて過ごした。そして「時口」行きバスの乗客は一人だけ。終点のひとつ手前の「時」バス停で降りた。
時山


バス停から西へ舗装路を歩けば、時小学校から朝の放送が聞こえる。正門前を通って牧田川に出ると対岸に烏帽子岳(写真1)が望まれた。広がる田畑は伸びやかで明るい。道に戻って湯葉神社の大樹を見上げる。日当たりが良くて暖かい。
養老カントリークラブへの道を右に分けると民家も途絶える。牧田川沿いの両岸が迫る道に変わると日陰になって寒い。そんな道をしばらくで時山橋を渡り、水資源開発公団の施設に着く。ここは烏帽子岳の鐘釣谷ルートの登山口だ。しかし、真新しい警告板は遭難者の多いこのルートを避け、時山バンガロー村からのルートを取るよう指導している。遭難事故があったのか、登山口に置かれたキクの花は新しく色鮮やかだった。
左に炭焼小屋を見ながら車道を歩く。時山バンガロー村の赤い橋が現れると、欄干に三国岳と烏帽子岳の案内がつけられていた。岐阜県側で最奥の時山集落には売店があり、その先の時山小学校跡から車道が狭くなる。自動販売機でジュースを買い、上石津町が小学校跡に設置した島津越の案内板の前でひと休み。
五僧まで

川沿いの狭い車道が広くなると藪谷橋を渡る。対岸の斜面にへばりついた炭焼小屋に驚きながら車道をたどると、工事中の看板に出会った。時山-多賀林道の開設工事とある。右上へと工事が行われており、若い作業員とあいさつを交わす。毘沙門谷への道は川沿いにあり、狭いが軽四トラックは入るようだ。しかし、この道も毘沙門谷入口の炭焼小屋で終点になる。(写真3)
右手の山道へ入る。植林下の暗い道は所々で崩壊し、丸木橋が渡されている。この道はやがて不明瞭になり、谷へ下りて踏み跡をたどるようになる。
右岸の植林に五僧への印を見つけて谷を離れる。1979年の登山地図(昭文社)では、ここまで単車で入れると書かれていたが現在ではとても無理だ。周辺は二次林に変わり、ジグザグに登る土の斜面の道はあちこちで狭い踏み跡に変わる。勾配が緩やかになると再び植林帯となり、西の空が開けて五僧峠に到着した。
五僧峠


峠の滋賀県側は緩やかで民家が残る。(写真4)付近には小さな石仏。その前に湯飲みと一升瓶。目をそらすと、林道があることに気付いた。未舗装だが、西側から斜面を登って県境で終点になっている。
民家の脇から南へ続く細道へ入った。もう1件民家があり、奥にはガレキの堆積がある。家1軒分にしては少ない。浅い谷があり、炊事場とおぼしき跡にはヤカンが置かれている。民家はきちんと戸締まりされ、庭に日が射し込んでいる。今日の行程は長い。振り返りつつ五僧を出発した。
ツツロ谷へ降りると、舗装された林道に飛び出した。倉庫なのか小屋があり、横に小さな墓所。乗用車が止まっており、墓参するおじさんが1人。付近は日差しで暖かい。橋を渡り、アサハギ谷林道を保月に向かって登る。
保月
林道を登っていくと、霊仙山の山頂部が見え始めた。周辺の紅葉が美しい。アサハギ谷を離れると林道から不法投棄されたゴミが散らばっている。よくもこんなところにと思う。西向きになった林道の周辺は植林帯に変わる。関西電力の自動車など4台が停められていた。巡視作業か。右に分岐した道を見送ると保月に入った。


保月の集落は山間の平地に広がっている。ススキの向こうに見える集落は、どの家も戸締まりがされて荒れた雰囲気がない。ただ、人の姿がないばかりだ。鐘突堂のある寺(写真6)の軒先で昼食を取った。出船山照西寺とある。ここも日差しが暖かい。紅葉した斜面が集落から北へと登って行くが、鍋尻山の山頂は見えない。本堂や忠魂碑には花が供養されていた。出発すると、ある民家の軒先で年配のおじさんがドラム缶でゴミを焼いているのに気付いた。
保月を出て、緩く道を登る。峠状になり、下ったところで振り返るとようやく鍋尻山の山頂部が顔を出してくれた。再び地蔵峠を目指して登る。
地蔵峠(写真7)は保月から近い。スギの大木が3本あり、その前に地蔵の祠がある。ここにも花が供養されている。
杉

峠からは植林帯を緩やかに下るが、いつまでたっても植林帯。嫌気がさした頃、エチガ谷沿いの道に変わり、青空と紅葉が戻ってきた。左に水場があり、竹筒から勢い良く流れ出している。左に高室林道が分岐すると植林帯の登り道に変わり、杉の集落に着いた。
集落では、おおかたの民家は道路から少し北の日当たりの良いところに並んでいる。集落の西端、道沿いに茅葺き屋根の落ちた民家(写真8)があり、廃村のありさまを見せつけていた。
杉峠
杉から暗い植林帯の車道を歩くと、前方が明るくなって峠状になった。ここが杉坂峠。西側は急激に高度を落としていて明るい。付近には、「多賀神木」と彫られた小さな石柱と案内板、そして何本かスギの木がある。展望は樹木で隠されていまひとつ。ここからは山道を下ることもできるが、琵琶湖の展望を期待して車道を選択した。
狭い車道を下って行くと、ときおり展望が広がる。琵琶湖や湖西の山が見えるが、逆光のためか少し霞んでいるのが残念。青竜山や麓の集落が随分と下に見える。ジグザグの下り道は予想以上に時間を要した。紅葉の道が植林帯に変わり、玉鬼山を左に見上げるようになると左岸の道になり、ようやく来栖の集落に出た。五僧から延々と林道沿いに続いていた電線とも、ここでお別れだ。
多賀大社まで
自動車に気を付けながら車道を多賀大社へ歩くばかり。地図を開きながら見慣れぬ山を眺める。多賀大社に参詣し、近江鉄道・多賀大社前駅から米原経由で帰宅。多賀大社前駅の電車は1時間に2本ほどある。翌日の筋肉痛に、長距離の舗装道歩きの疲労が想像以上だったことを知った。
行程表
7:56 | 時バス停、出発 |
8:47 | 時山橋 |
9:14 | 時山小学校跡・売店(休憩7分) |
9:56 | 毘沙門谷入口、炭焼き小屋、谷沿いの山道へ入る |
10:29 | 五僧(散策21分) |
12:03 | 保月・出船山照西寺(昼食休憩16分) |
12:34 | 地蔵峠(休憩5分) |
13:22 | 杉(散策13分) |
13:46 | 杉峠(散策9分) |
15:03 | 来栖・調宮神社(休憩9分) |
15:59 | 多賀大社 |
追記 2004年11月3日
阿下喜駅から時へ行くバスはなくなってしまった。大垣からのバス便は残っていると思う。
追記 2017年11月26日
杉集落の西の峠は、当時の登山地図では「杉峠」だったが、何時の間にやら「杉坂峠」と書かれている。