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  3. 2002年9月29日

鈴鹿:松尾寺山

米原町・醒ヶ井駅から鈴鹿北端の峰、松尾寺山(503m)へ登った。山頂付近の松尾寺は霊仙七ヵ寺のひとつ。最澄、空海とともに唐へ渡った僧・霊仙が修行した寺といわれている。下丹生から登り、林道・松尾寺線を歩いて醒ヶ井養鱒場へ下った。

登山日
2002年9月29日日曜日
ルート
醒ヶ井駅-下丹生-松尾寺山-醒ヶ井養鱒場-醒ヶ井駅

登山口

写真1

醒ヶ井駅から南へ歩いて名神高速をくぐる。橋を渡ると「右 霊場松尾寺道」の小さな石柱を見つけた。裏面には昭和2年とある。道路敷設のために移動されたものか、なんだか落ち着かない場所にある。

採石場なのだろうか、むき出しの垂直の壁を見上げて、丹生川沿いの自動車道へと歩き出す。ここへは2回来ている。目的は霊仙山だったが、いずれも登らず仕舞い。伊勢側との気象の違いを教えられた。今日も雨が降りそうな曇り空だが、目的地は松尾寺山である。

送電線下を過ぎてバス停のある坂口橋に着いた。地形図では下丹生から2つの波線路が西の松尾寺へ登っている。南側のものを登るつもりだったので、次の橋(上堂橋)まで歩く。その上流にも橋(下松尾橋)が見えるが、上堂橋を渡ることにした。

しかし、舗装路を西へ入っても登山口らしいものが見あたらない。ビニールハウスの脇を通り抜けて南へ歩くと、下松尾橋からの道に出た。そして、この道の山側終点の民家の軒先から、下草が茂る斜面を登っていく道を見つけた。

おばさんがいたので尋ねると、ここからでも坂口からでも良い。右上へ登れとのこと。登り始めると背後から「ヘビに気を付けろ、多いから」と、有り難いような、そうでもないようなアドバイスをいただいた。

松尾寺山

写真2写真3写真4

そのとおりに登って行くと、右から登ってくる良い道に合流した。掘り込まれた幅広い道だ。左折して登ると、キリークの種子が刻まれた三丁の丁石が倒れている。(写真2)

往時は丁石が立ち並ぶ参道だったのだろう。しかし、今は場所によっては下草が茂り、枝が張り出している。クモの巣に頭を突っ込みながら、落ち葉の詰まった道を登る。ときおり現れる丁石はどれも倒れている。やがて、戻るように斜面を登ると八丁の丁石が「立って」おり、朽ち果てた木の階段道になった。(写真3)

そして、六地蔵の立つ水平の道に登り着く。標識に右は「夫婦杉」とある。左折して、南へ下り気味にトラバースして行く。前方を逃げて行くのは小さなイノシシのように見えたが、たちまち姿を消してしまった。

十二丁の丁石と「一本橋」の標識を過ぎると、松尾寺への道が右上に分岐しているので石段を登った。

しかし、そこには基壇が残ているだけ。(写真4)昭和56年の豪雪で本堂は崩壊したと説明がある。また、「『霊仙三蔵』慰霊の塚」(1999年)の説明板もあり、霊仙が永眠する中国・五台山の土をここへ置いたようだ。

さらに基壇の背後から登る。鉄塔脇を通ればベンチが置かれており、右へ入れば直ぐに三角点のある山頂に着いた。展望はないが、少し先にはアンテナ施設があり、そこから思いもよらなかった琵琶湖の展望が水墨画のように広がった。

下山

クモの巣に辟易としたので、醒ヶ井養鱒場へ下る林道を歩くことに決める。松尾寺から石段を下りて道を南へ降る。山門に出合うと地道の林道終点になっていた。明るい林道を歩くが曇り空で展望は得られない。最後にゲートを通り抜けて養鱒場に到着した。

養鱒場に立ち寄り、醒ヶ井駅まで自動車道を歩く。小雨が降り出した。ホコリがたたなくて良い。JR醒ヶ井駅では、道の駅「醒井水の宿駅」にて開催されていた「霊仙三蔵展」に立ち寄った。

行程表

9:19醒ヶ井駅
9:44上堂橋
10:37松尾寺(10:37-10:54)
11:03松尾寺山・山頂(11:03-11:16)
11:24松尾寺
12:03醒ヶ井養鱒場(12:03-12:35)
13]53醒ヶ井駅(天神水に立ち寄り20分を使う。)
(作成 2002.10.01)(改訂/書式等 2013.07.07)