鈴鹿:鷺ノ湯跡
三重県立図書館で閲覧した古い登山地図・鈴鹿の山(昭和50年、アルプス出版)には、菰野町の「ネコ」(猫正山、三等三角点「柿木沢」614m)の東山麓に数戸の建物とともに「鷺ノ湯跡」の記載がある。菰野町発行の「歴史こばなし第5集」(平成9年)によれば、鷺の湯温泉は文政8年の記録が残されており、大正初年に第一次大戦の不況で廃業したとのこと。多志田山不動尊の霊泉のように、イオウ臭くらいは残っていないかと出掛けたが空振りに終わった。
- 登山日
- 2005年1月30日日曜日
- ルート
- 千種大湯水-林道-猫正谷-鷺ノ湯跡-林道-千種大湯水
石標

朝明渓谷へ入る2車線道が1車線になる手前のカーブ付近に、鷺の湯温泉を案内する「左湯の山道」の石標がある。以前に、ここから西へ歩いてみたが途中で道が判らなくなってしまった。今回は別ルートで行く。
「歴史こばなし」では次のように案内している。「朝明渓谷への道を千種大湯水の分水工から左へとりしばらく林道を歩いて猫正谷の渓谷沿いに登ります。杉、檜の林を登ること約五百メートル、温泉場は三段ぐらいに平らに均してあってよく判ります。」
林道・猫正谷・鷺ノ湯跡
石標から朝明渓谷へ向かい、水田地帯から植林帯へ入ると右側に水利施設が現れたので付近に駐車する。「千種大湯水の分水工」だろうか。ここから南へ2つの林道が延びているが、道路から直角に入る林道を行く。その林道が大きく西へ方向を変えると、地表の砂が運び去られて転石が累々としており、もう林道の用をなさない。ここも昨年の大雨で荒れたようだ。



右側の溝のような猫正谷沿いに歩くと谷が狭くなったので、本流を離れてしまったことを知る。小尾根を南へ越えて、本流の右岸沿いに登る。右下の谷に水音、左は樹高4mくらいのヒノキの植林だ。
猫正谷が少し左へ曲がり、植林が消えると平坦地が現れた。三角点からほぼ真東へ約800m、標高240mの地点だ。羊歯や常緑樹のヤブになっており、瓦や石材を散見する。一段高いところにはレンガ製の水槽(?)があったが、見つけたものはこれだけだ。こんなところに温泉が湧出していたのだろうか。
さらに登るが何もない。左が明るいので行ってみると尾根上に出た。下方はヤブだが、上へは踏まれている。しかし、登ること20分余り。踏み跡が消えて尾根が痩せ、危険になってしまった。地形図では何でもないところ(標高350m)だけれど、ネコへ登るのは諦めて引き返した。
林道跡を見下ろして、いまさらながら気付いた。林道は土砂が堆積した猫正谷の谷中にあった。普段は貧弱な溝に過ぎないが、大雨となれば全体が濁流と化すようだ。
下流には砂防ダムがあり、付近の樹木は地面から40cm位の高さまで白っぽく変色している。表皮を削られたのだろう。恐ろしいものだ。
行程表
14:02 | 千種大湯水・分水工 |
14:30 | 鷺ノ湯跡 |
追記 2016.06.04
菰野町が提供している白地図のうち「千種西」を見ると、上端の中央に「鷲の湯跡」との記載を見つけた。サギがワシになっているが誤記なのだろう。鷺の湯への言及は広報こものにもある。
「猫山の正面の裾野は明治43年に名古屋の陸軍第三師団の演習場に指定され兵舎も建設されました。その上の『鷺(さぎ)の湯温泉』は復興されて、旅館が三館も出来、演習場にきて戦闘訓練を行う将兵の慰安の場ともなりました。」
追記 2019.06.03
鷲の湯について、広報こものに同様の記載を見つけた。
「江戸時代から大正まで『鷺(さぎ)の湯』という温泉がありました。明治末に千草陸軍演習場ができると将兵の休息場となり、一般の浴客もあって賑いました。」
また、三重県三重郡誌(大正7年)に「千種湯の山温泉」が一行あり、
「千種村西方の山麓に在り数十年前までは非常の繁盛を極めたるも其の後殷盛を菰野湯の山温泉に譲るに至り」