鈴鹿:御在所岳
中道から登り、表道を下山後、愛知県知立市の不動信仰の寺・総持寺へ。
- 登山日
- 2014年9月28日日曜日
- ルート
- 百間滝橋-表道登山口-中道-御在所岳-表道-百間滝橋~知立市・総持寺
表道登山口
ラジオは御嶽山噴火のニュースばかり。多数の登山者が死傷したらしい。産経新聞には軽トラック大の石が飛んだとも。火山性地震の情報は承知していたが突然の噴火だった。
鈴鹿スカイラインは冬季閉鎖ゲート過ぎで片側交互通行。湯の山大橋の工事なので当分続きそうだ。裏道、中道の駐車場を見送ると、三ツ口谷入口過ぎでも片側交互通行。こちらは法面工事だった。百間滝橋西側の駐車場に自動車を置いた。先客は1台のみ。




百間滝橋から表道登山口まで下る。石鳥居や不動明王像、覚順行者の霊神碑がある登山道入口から、周辺にある御嶽教の霊神碑を見通せるようになった。ここもササ枯れだ。東多古地谷を渡ると登山道が崩れており、踏み跡が巻いている。中道登山口へ向かった。
中道・山頂・表道


出発が遅れた分、中道は登山者が多くて賑やかだ。心地良い北風がキレットでは強風に変わり、やはり家族連れで渋滞していた。タムシバの実はハジケて赤い実を見せている。東北方向は霞んでおり御嶽山は見えない。登山道は雨水で少し削られたが何時もと変わりない。ただ、ササの密度は落ちてきたように思う。
山頂は爽やかな青空で観光客も多い。紅葉には早いが、夏の深緑は色が褪せたり黒ずんだり。その黒っぽいミズナラはドングリの実が少ない。ドッグランは止めたようで何より。真偽の程を承知していないが、無用の植物を山頂に運び上げないか心配だった。


表道を下って東多古知谷を渡ると、今年もダイモンジソウが咲いている。標高820m辺りで、手すりが現れて西面の巨大なコンクリート擁壁を見下ろすと、不動明王の石像に出合う。現在、百間滝見晴台の標識がある。台座には「知立不動總持寺三河出生講」と彫られており、断崖になった背面には年号があるが危なくて読み取れない。
今日、28日は不動明王の縁日だが、何時もと変わった様子はない。少し下ると10人ほどの団体が昼食中だったので声を交わして早々に下りた。以前から気になっていた知立市の総持寺へ向かう。
総持寺
豊明で伊勢湾岸自動車道を出て、国道1号線の逢妻町交差点から知立市街行きの道に入ると、左側に白幡が並ぶ総持寺の駐車場がある。看板に「流汗不動總持寺」とあった。静かな境内を横断して竜宮門へ廻ると、弘法大師御自作知立不動、天台寺門宗・流汗不動・総持寺とある。






開山堂は本尊・薬師如来ほか、役行者、八大龍王(名古屋市友志会)、八大天狗(豊橋不動講)、牛若丸と僧正坊が登場する義経鞍馬山図(浜松市大慈講会)など賑やかだ。
向かい側には一願出世不動、愛染堂、観音堂など。観音堂は入場するとセンサーが機能して照明が点灯し、正面の本尊を照らす。さらに、天井には六角形のガラス窓があり、天井裏に置かれた観音像と「白寿」の文字も照らし出される。こんな仕掛けは初見。ほかにも地蔵堂、四国お砂踏み霊場、御岳山霊石、烏枢沙摩明王など内容豊富だ。
本堂右側の納経所で、御在所岳の登山道で「三河不動総持寺」とあるお不動さんを見たと問えば、昔は毎月行っていたが、今は地元でやっているとのこと。御神酒を上げて総持寺を出た。
知立市史下巻(昭和54年)は、総持寺は知立神社の別当寺だったが神仏分離で明治6年に廃寺、昭和2年に地元要望で天台宗寺門派として再建。「信者は地元にもあるが、遠く名古屋・豊橋・浜松などに多く、毎月旧20・21日の日には、それぞれバスで団参に来る。(中略)この寺は東海寺門会(大津三井寺系寺院)の支部長にもなっているため、同派各寺からの参集も多く、常に参詣人が絶えたことがない」と書いている。
なお、御在所岳山頂の御嶽大権現については、御在所ロープウエイが「御嶽教の普及に専念していた行者覚順が、『偶々鈴鹿山系の主峰御在所岳が神霊安置の地に最適なり』と明治17年に小社を建立し木曽の御岳神社の分霊をここに移しました。現在の社殿は昭和39年に建立されたものです。」と説明している。秋の大祭で開扉されたおりに、2体の不動明王が祀られているのを見たことがある。
行程表
7:33 | 百間滝橋西側の駐車場 |
7:58 | 中道登山口 |
9:48 | 富士見岩 |
10:56 | 表道下山口 |
12:18 | 駐車場 |