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鈴鹿:釈迦ヶ岳

菰野町側の八風街道から登り、中峠から釈迦ヶ岳まで県境尾根を往復した。下山は八風峠から。段木尾根は取り付きで退却した。

登山日
2024年11月24日日曜日
ルート
中峠-釈迦ヶ岳-八風峠

中峠

菰野町田光から八風街道へ入り、八風キャンプ場を通過すれば岩ヶ峰ルートの駐車場は既に満車だった。林道を障害物が置かれた終点まで入ると駐車場所に余裕があったので自動車を置く。ただし、砂地なので車輪の空回りが厄介だった。

林道跡を歩き、嘉助の碑、八風神社御旅所跡の標識を通過すると「滝谷出合」標識がある。続いて「南谷出合」標識があり、右岸へ渡ると再度「南谷出合」の標識がある。その標識の支柱に段木、急登とあるので下流へ歩いてみると木に赤ペンキで「段木」とあった。しかし、少し登ってはみたが、標高600mの等高線にある岩のマークで早々に撤退した。足下の石に赤矢印があるのだが、前方は足場が悪い急斜面になっている。強引に登って深入りすると引き返しが危険なので此所までとした。

写真1 中峠へ

しばらく右岸を歩き、堰堤で左岸へ戻って登ると八風峠と中峠の分岐標識があるので中峠の道に入る。標識には難路とあるが道は明瞭だ。しかし、その先で道は流されており水晶谷の白い河原へ下りてしまう。ペンキマークを拾いながら登ると二俣になるので右へ入り、二俣の中間尾根を登る。

中間尾根には明瞭な道が残っている。植生は常緑樹から広葉樹に変わるので、紅葉が残る疎林の斜面は良い雰囲気だ。間もなく標識がある中峠に到着した。

釈迦ヶ岳

中峠から釈迦ヶ岳までの県境尾根は少し距離がある。最初の登りは仙香山(P983)だが、以前はピークの東側を巻いていたはず。何時の間にやらピークを通過するように道が変更されている。これを下りると、ササ枯れで登山道から仙香池が丸見えになっている。

三重県側の凄まじい崩壊地を見ながら、冬枯れで展望の良い道を歩いて釈迦ヶ岳の山頂に達した。さすがに日曜日なので、中峠から20人くらいの登山者と出合っている。

写真2 仙香池写真3 釈迦ヶ岳山頂、三角点

ボケ咲きのバイカオウレンを見ながら中峠まで戻った。その中峠で単独者と擦れ違ったが、何処へ行くにも帰りは暗くなりそう。日没は早い。八風峠を目指して歩くと、中峠の北側のピークを指して「北仙香山」の案内標識が設置されていた。そのピークからは展望良好。風が冷たいけれど、この冬の防風はどうしましょうか。考えどころ。

八風峠

八風峠のシロヤシオは葉を落として丸裸。振り返る釈迦ヶ岳の山頂は遠くなった。八風大明神の黒っぽい石碑と朱い鳥居が峠越えの道であることを知らせてくれるが、ここは人里まで遠い僻地でしかない。むしろ心細くなる場所だ。

写真4 八風峠写真5 八風峠から釈迦ヶ岳

八風峠を下り、坂中の地蔵、嘉助の碑、八風神社中の鳥居、伊左衛門の碑など見ながら八風街道を歩く。石碑などの刻字を読んだものが菰野町の資料(八風街道と切畑)にある。坂中の地蔵は刻字があるものは元禄13年(1700)と明和6年(1769)、雪中の遭難碑である嘉助の碑、伊左衛門の碑は「南無阿弥陀仏」とあり文化10年(1813)、山のなかにしては立派な八風神社中の鳥居は昭和3年(1928)の昭和天皇御大典記念とのこと。

毎度のことながら、八風峠を歩くとヒザの負担が大きいと感じる。舗装が剥離した林道跡や、土石流で荒れた川沿いの道は歩き難い。

行程表

8:27駐車地、出発
9:10南谷出合標識(9:10-9:31、段木尾根撤退)
9:58八風峠・中峠分岐標識
10:40中峠
11:50釈迦ヶ岳山頂(11:50-11:54)
13:03中峠
13:32八風峠
14:07八風峠・中峠分岐標識
15:07駐車地、到着
(作成 2024.11.25)