鈴鹿:藤原岳
大貝戸から藤原岳の山頂(展望丘)を往復した。山頂部の日向では雪が溶けて一部が泥道になっている。山頂で普寛霊神碑を見つけた。
- 登山日
- 2024年12月20日金曜日
- ルート
- 大貝戸(藤原岳登山口休憩所)-藤原岳-大貝戸
大貝戸道
週初めの四日市から見た鈴鹿の山には入道ヶ岳から藤原岳まで雪があったが、今日の藤原岳東面には雪が消えている。国道306号から大貝戸に入ると北面上部に雪が見えるが積雪量は少なそうだ。
藤原岳登山口休憩所に自動車を置いた。自動車は10台あり駐車率は三割くらい。無風なので過剰な荷物は自動車に置いて8:55に出発した。津の最高気温予報は11℃だ。


二合目の不動明王でシャツを脱いで半袖アンダー+長袖Tシャツになる。四合目の雑木林では霜柱が朝日で溶けていたが日陰には残っている。
八合目で雪が出てきた。日陰の夏道は雪が残っているが積雪は薄い。九合目標識から見る藤原鉱山では鉱石運搬車が猛烈な土煙を上げている。勾配が緩んで日当たりが良くなると泥道になって避難小屋に到着した。
藤原岳(展望丘)と霊神碑
避難小屋から鞍部へ下るが酷い泥道で転倒しそうだ。泥団子で靴が重くなる。登山地図(昭文社)はここに「ナダレに注意」とあるが八合目からの夏道を指示すべきなのだろう。情報の正確さに出版社が熱心でないのは困ったものだ。

滑りそうな雪面に体力を削られながら山頂に到着した。振り返れば避難小屋の右上に白山が真っ白だ。さらに右側には北アルプスや御嶽山が見えている。
昔は「展望丘」の看板があった山頂を歩き回る。ブログ「三岐鉄道車輛大図鑑『きまぐれ日記』」にある北勢電鉄のスキー場案内を見ると、山頂に神社らしいものが書き込まれているので戦前には御嶽教の祠があったのかもしれない。




そして、今更ながら倒れている霊神碑一基に気付いた。「普寛霊神」だろうか。覺禮霊神の東6mほどにある。覺禮霊神のようにメタデータは刻まれていないが、普寛霊神なら不要だろう。「普」の部分が濡れており黒っぽい。これで、山頂にて霊神碑二基を見つけたことになる。
山頂には作成途中と思われる霊神碑一基も残されているが、尾張系の講社なら覚明霊神の計画だったのかも知れない。無風だが身体が冷える前にシャツを着た。
大貝戸道
避難小屋に戻って大貝戸へ下り始めるとトレランの女性が軽装で登ってきた。ローカットの靴で泥道を避けている。自分はズボンの裾まで汚しており、これを過去に何度か経験していることを思い出した。積雪前後の初冬、早春は積雪が少なくてもロングスパッツを用意すべきだった。
藤原岳登山口休憩所に戻ると便所の入口に登山靴を洗ってからとある。ごもっともなので建物南側の洗い場で用意されたブラシを使ってゴシゴシする。
山中で出合った登山者は12人。半数以上がチェーンスパイクなどを装着していた。
行程表
8:55 | 藤原岳登山口休憩所、出発 |
10:28 | 八合目 |
11:16 | 避難小屋前 |
11:37 | 藤原岳山頂(11:37-12:02) |
12:18 | 避難小屋前 |
12:58 | 八合目 |
14:03 | 藤原岳登山口休憩所、到着 |