伊勢:国束山・女鬼峠
玉城町原のアスピア玉城から国束山へ登り、南の度会町平生にある國束寺へ下山した。県道を西へ歩き、多気町相鹿瀬から女鬼峠(熊野古道)を成川に越えて出発地に戻った。
國束寺ではカワヅザクラが満開。長距離の県道歩きは疲れた。
- 登山日
- 2021年2月27日土曜日
- ルート
- アスピア玉城-国束山-國束寺-県道-女鬼峠-アスピア玉城
国束山


玉城町原の入浴施設・アスピア玉城に自動車を置いて南下、伊勢道の高架下を通過し、新池を左に見て植林の舗装路を登る。右岸へ渡ると弘法石と林道のゲートがあり、その先の研石を通過すると国束山(度会町の山紹介)の標識が左にあるので登山道へ入った。
植林の登山道は良く歩かれた道だが小石がゴロゴロ。唐突に現れた丁仏は、此より十丁、夢現童女、施主田所七左衛門か。石仏は地蔵菩薩にしか見えず、夢現童女は正体不明。傾いた「従是西南禁殺生」の標石が左に現れ、植林が明るくなると國束寺跡へ到着した。


樹木が伐採されているのは本堂跡か。樹林の中にも平坦地が見えるので、それなりの規模の寺だったらしい。標識に従い山頂へ行けば、白山社跡や夜奈塚があり、僅かながら東方向に展望がある。
寺跡に戻り、下山標識「國束寺まで2.1km」に従うと道脇に耕運機の残骸があった。國束寺は昭和28年に平生へ下りている。耕運機の普及はそれ以降だろうから、寺跡で畑作をしていた時期があるのか。


平生への道は弁天社石碑の手間で左折(東)すると下降が始まる。以降、耕運機が通過できそうな良い道が続き、天保十五年の丁仏が幾つか現れる。
「南無阿弥陀仏」の六字名号碑を通過すると前方に車道が見えるようになる。車道沿いに山道を東へ歩けば「従是國束寺境内」の石碑がある上ノ登山口に着いた。車道下を南へ潜れば、やがて國束寺東側駐車場へ到着する。ここに昔の國束寺の絵図があり、山上で視認したものは寺跡の一部でしかないことを知る。
國束寺






現在、聖徳太子の開基と伝わる國束寺は四天王寺の和宗の属している。「禁諸肉五辛」とある境内に入ると十八丁など見つからなかった丁仏が幾つかある。そして、カワヅザクラが満開だった。風に吹かれたのか少し散っている。良く咲いている成長した木は数株しかないのだけれど、メジロが何羽か来て花のなかにクチバシを入れている。
女鬼峠
県道を西へ歩く。東の大日山、的山経由で戻るべきだったと後悔する。獅子ヶ岳の風車を数えたり、庚申塔を見つけたり、宮川へ下りたりする。坂井集落を通過すると清水橋手前で三角点標柱を見付けるが標石が見当たらない。予想以上に退屈で、そのうえ疲れた。
多気町に入り、國束寺から約2時間。ようやく相鹿瀬の女鬼峠登山口(案内板)に到着した。傍らの石碑には西面に「國束寺観音道」とある。三十丁とあるので清水橋からの登山道経由か。北面には「くまのみち」とあるようだ。




女鬼峠へは植林の広い地道を歩く。砂利が蒔かれ軽四車の轍が如意輪観音堂の付近まである。これを通過すると峠の切り通しになった。手前に展望台の標識があるので高所へ登ると獅子ヶ岳、七洞岳方面が見られる。戻って切り通しを通過。狭い。荷車がギリギリで通過できたのだろう。切り通しの北側には茶店跡、展望台標識、周辺の案内図がある。こんな日陰に茶屋があったのか。
女鬼峠の北側も植林の良い道だが軽四が入っている雰囲気はない。忘れた頃に「轍跡」の標識があり、岩盤上に荷車の轍を見る。車幅を見れば、あの切り通しを荷車が通過できたのかと改めて思う。
ようやく成川の県道に出たところで熊野古道を打ち切った。度会町側以上に退屈な舗装道歩きで玉城町に入り、ナノハナが咲くアスピア玉城に帰る。アグリ焼とか食べてみた。女鬼峠の散策は五桂池側からの往復(百五銀行「すばらしき三重」)にすべきだった。
道草:宮リバー度会パーク
自動車で度会町の宮川沿いにある宮リバー度会パークへ行った。東へ行くと車道沿いにカワヅザクラが植栽されており、歩道には河津ロードの標識がある。木はまだ小さめだが、国束寺ほど花は落ちておらず満開直前の様子だった。
行程表
8:27 | アスピア玉城、出発 |
8:55 | 弘法石(8:55-8:59) |
9:02 | 登山口 |
9:46 | 國束寺跡・国束山山頂(9:46-10:04) |
10:54 | 上ノ登山口 |
11:00 | 國束寺(11:00-11:49) |
13:40 | 女鬼峠・相鹿瀬側登山口 |
14:18 | 女鬼峠・切り通し |
14:41 | 県道・栃ヶ池 |
15:13 | アスピア玉城、帰着 |