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鈴鹿:牛谷山(鹿伏兎城跡)

加太市場(亀山市)の旧加太宿・問屋場跡から牛谷山に登った。山頂には鹿伏兎城跡があり、途中には明治期の観音菩薩石像が並ぶ。

登山日
2016年12月24日土曜日
ルート
加太駅-神福寺-牛谷山(鹿伏兎城跡)-大和街道-柘植駅

登山ルート

写真1 神福寺写真2 三重県指定史跡・鹿伏兎城案内板 神福寺にて

加太駅北西の牛谷山は城山とも呼ばれ、山頂に鹿伏兎城跡がある。最近はネット情報が増加しており、登山系サイトでは神福寺から急斜面を登り、山頂から北西に尾根を歩いて林道に下りるものが多い。しかし、脳筋な力業で面白くない。

一方、登城記系サイトでは神福寺からの登りを諦めるか、散々な目に遭ったと表明しているものが多い。しかし、加太宿の問屋場跡付近から昔の登城ルートを登るものを何件か見つけた。(例えば鹿伏兎城(伊勢国)

実際、亀山市史の鹿伏兎城跡の項目には古地図が掲載されており、問屋場、高札場の付近から古城跡へ登る道が書き込まれている。亀山市観光協会のハイキング地図にある三十三観音経由の道もこれか。なお、三重県亀山市加太地区まちづくり協議会によれば、三十三観音(観音山)は関西鉄道開設工事の犠牲者を弔うために安置されたとのこと。この道を登ることにした。

地図の大きさ:600×150 600×400 600×600

地図の大きさ:600×150 600×400 600×600 説明:地図表示について

赤線:登山路、青線:下山路、:問屋場跡石標、:一番石像、:井戸跡、:三十三番石像

この地図は、GPS(Garmin eTrex30)による問屋場跡から鹿伏兎城跡案内板までの軌跡を編集して地理院地図に重ねたもの。

牛谷山(鹿伏兎城跡)

無人の加太駅で降車したが他に乗降客はなし。神福寺に立ち寄り、国道25号線(大和街道)を西進して民家の敷地境界にある問屋場跡石標に来た。西側に水田があり、故陸軍歩兵伍長・・・の石碑に出合う。勲八等功七級と彫られた立派なものだ。その背後の畦道が登城路。水田の西端の畦道から入ったが隣家の飼い犬に吠えられた。

水田への灌漑用水路に沿って歩き、慎重に関西線を横断する。溜め池の土手に上がって右折すると木製の階段道となり石仏二体に出合う。尾根に乗ったところで南東に歩くと一番の観音像があった。戻って尾根を登ると小ピークで道が二分する。この辺りが観音山か。右が登城路、「ここより城址までおよそ100米」とあり、左には石仏が並ぶ。登城路を150m程で石垣が現れ、その北西端で関町教育委員会の案内板に対面した。

写真3 観音山写真4 鹿伏兎城跡・石垣
写真5 観音山写真6 観音山

井戸が残る城跡は、牛谷山最高点の北側の尾根沿いに約80mの範囲で存在するが広くもない。植林されており、下生えは少ないので自由に歩けるが未整備だ。神福寺側の斜面に道らしいものは見えなかった。

下山は往路を引き返して、分岐で石仏が並ぶ道を下降した。こちらの方が道は良いだろうか。溜め池近くまで下りると三十三番があった。登城路は整備された道だったが荒れ始めている。夏草が繁茂する時期は入りたくない雰囲気だ。水田の東端の畦道を歩いて石碑で大和街道に下りたが、同じ飼い犬が吠える。見逃してくれなかった。

大和街道

写真7 板屋川橋梁写真8 川俣神社
写真9 民家の軒先にて、柘植写真10 マルチプルタイタンパー MTT-1513と旗山、柘植駅にて

一部の山道を迂回して、大和街道を柘植駅まで歩いた。鈴鹿山脈南端の道だ。何ヶ所か鉄道遺産の表示があるが、それも加太北在家まで。関西線下を通過すると人家が絶える。舗装路を歩いたが、二ヶ所にある砕石工場を出入りする大型車両でホコリっぽい。歩くなら日曜日の方が良いかも知れない。

行程表

9:35加太駅出発
9:56問屋場跡石標
10:25牛谷山、鹿伏兎城跡(10:25-10:36)
10:55大和街道に下りた
11:08亀山森林公園やまびこ、手洗いあり
12:13大和街道架道橋(加太北在家、関西線下を通過)
13:01亀山市・伊賀市境界
14:06柘植駅
(作成 2016.12.25、OpenLayers2 → に変更 2022.01.19)