美濃ミッション所属教会

美濃ミッションの設立者と設立について

美濃ミッションは1918年に設立されました。

設立者:セデー・リー・ワイドナー宣教師

セデー・リー・ワイドナー宣教師

ワイドナー師は1900年に来日し、仙台でキリスト教宮城女学校の副校長・校長を歴任し、1913年に辞職して独立宣教師として再度来日するため帰国しました。

設立当初

1918年に再来日し、当時最も伝道困難と言われた大垣市に来て、まず日曜学校を開きました。初回には大勢来たのに次の日曜日は一人も来ませんでした。 その理由を町であった子供に聞くと、その時まで何もしていなかった仏教寺院が一斉に日曜学校を始めたと言うのです。 そこで、ワイドナー師は幼稚園を開設しました。1930年には宣教師3名、日本人教役者16名、信徒数138名、教会6、伝道所6、聖書学校もあったので「美濃ミッション設立願い」を提出しました。

神社参拝拒否事件

当時、主人に先立たれ、息子2人を育てながら聖書学校で学ぶ婦人がいました。1933年にその婦人の長男が小学6年生の時に修学旅行の伊勢神宮参拝を断ったために新聞・ラジオで報道され、市民騒動の形で美濃ミッションは迫害されました。 「国体擁護のため美濃ミッションを排撃しませう」と色刷りしたポスター(現物を美濃ミッションにて保存)が市内至る所に張り出されていたと言います。この時に、3年前に提出してあった「美濃ミッション設立願い」が却下されました。 また、幼稚園児の親たちに退園届けを出させて幼稚園を閉鎖に追い込み、美濃ミッション関係3児童を停学(意地悪な登校停止)処分にしたのです。 ※3人は主の憐れみにより他校で教育終了することができました。

神社参拝拒否事件の詳しい内容はこちらへ

設立者召される 第二次世界大戦に突入

1939年、ワイドナー師が脳内出血で倒れ、帰国途上の船中から天に召されたため、1940年~1946年まで伝道中止を余儀なくされました。しかし、この期間フイウエル宣教師が米国内で戦時抑留者収容所を巡回して、日本語で聖書を教えていた。

戦後の再建

1946年、フイウエル宣教師は中部日本復帰宣教師第一号として来日した。そして、美濃ミッションを再建して、1953年には新宗教法人の認可を得ました。1990年8月にフイウエル宣教師は天へ召され、石黒次夫が主管者に就任した。1992年には「神社参拝拒否事件記録復刻版」を出版し、1994年に伝道新聞「聖書の光」を復刊した。

教団代表者

セディ・リー・ワイドナー 創立者
セディ・リー・ワイドナー
(1918~1939)
エリザベス・アリス・フィウェル 第2代主管者
エリザベス・アリス・フィウェル
(1946~1990)
石黒次夫 第3代主管者
石黒次夫
(1990~2006)
石黒イサク 第4代教団代表
石黒イサク
(2006~)
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