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鈴鹿:臼杵ヶ岳・安楽古道

ウス岩・キネ岩の登山道(難路)から臼杵ヶ岳へ登り、帰路に安楽越の旧道「安楽古道」を探して歩いた。

安楽古道は3月に途中まで歩いている。仙の石さんの「魅惑の安楽古道」に資料(2005年5月)があり、その後に古道全域でササが枯れている。各所に残された道跡は歩かれている気配が薄く、場所によってはササに代わって若い常緑樹が茂り始めていた。

登山日
2023年10月29日日曜日
ルート
林道安楽越線-ウス岩・キネ岩-臼杵ヶ岳-安楽越-相場振山-安楽古道-林道鈴鹿南線

ウス岩・キネ岩

石水渓の研修施設前を通過し、道路脇の小さな駐車場に自動車を置いた。広かった車道はキャンプ場で狭い舗装路・林道安楽越線に変わる。

キャンプ場を通過し、堰堤から河原に下りて対岸へ渡り、標識がある太閤腰掛石(二代目)に寄り道をした。この石から下流へ15mほどのところに谷があり、安楽古道の新路が登っていくが、河原からは谷であることが分かり難い。少し登れば左側(東)に建物の基礎やトタンがあり、3月に下降に使ったときは良い状態で道が残っていた。

林道に戻ると鬼ヶ牙の東側の登山道が通行止になっており、亀山七座トレイルの名義で「登山道狭隘のため船石登山口の利用をお勧めします」とある。

写真1 ウス岩・キネ岩

林道を左折すると「京道」と「臼杵山登山口」の標識があるので臼杵山の登山道に入る。急登ばかりのルートで、2001年に登ったときの記憶は最後にウス岩・キネ岩を岩尾根から見上げたことくらいだ。

掴まるものがない危険な斜面の横断とか、このルートを選択したことを後悔しながら最後の岩尾根に飛び出せばウス岩・キネ岩は成長したマツに隠されそうだ。

展望良好だが風が強い。亀山7座トレイルの標識がこのルートを下降路として矢印表示しているが、足腰や反応速度が劣化した爺さんなので下降に使う気にはなれない。

岩の西面にあった「JNR名工山岳部」の落書きは歳月の経過で消えている。愚かな振る舞いだと思う。黄色のペンキだった。列車へ落書きをしていた国鉄の連中は弁償したのだろうか。

臼杵ヶ岳

ウス岩・キネ岩からは良い道になる。小高いところが臼杵山か。誤解を招きそうだし、この山名には何だかなぁと思う。急下降して登り直せは北東から植林尾根の道が上がってきたハズだが明瞭でない。ササ枯れで雰囲気が変わっている。県境尾根に出れば直ぐに臼杵ヶ岳に到着した。東側が伐採されて展望良好、風も幾らか穏やかだ。

写真2 臼杵ヶ岳山頂写真3 臼杵ヶ岳から仙ヶ岳、野登山

御在所岳、鎌ヶ岳の頂上部、仙ヶ岳、野登山、その右に四日市のポートタワーが見え、背後は知多市の出光興産の付近。名古屋駅は野登山に隠れている。さらに右には知多半島や神島など。朝熊ヶ岳方面も見えるが判別する力量がない。錫杖ヶ岳など南の山は逆光の中に沈んでいる。おにぎりを食べて休憩した。

穏やかな植林の県境尾根を下降し、明るくなれば東海自然歩道の案内板があって、かもしか高原に下りる。もっと広々としていた記憶があるのだけれど。自然歩道の階段道を歩き、林道安楽越線の舗装路に下りた。

相場振山

安楽越線から南へ登れば旧道の峠がある。ここから県境尾根を相場振山まで登った。「旗振り山」(柴田明彦,2006,ナカニシヤ出版)によれば、山女原の人が「10時にはいつでも宮の谷を登って、頂上で旗を振っていた」とのこと。

その山頂は平坦で、コの字形の土盛りは小屋跡だろうか。小さなものだ。旗振り通信が鈴鹿山脈を横断していた場所だが、現在は東西ともに展望はない。山名板が幾つかぶら下がっていたが、地形図とGPSによる山頂位置が合致しない。見誤ったか。

次の地図は Garmin eTrex32x により取得した軌跡を編集して国土地理院の地形図に重ねて表示したものです。

地図の大きさ:600×150 600×400

地図の大きさ:600×150 600×400 説明:地図表示について

赤線:登路、紫線:下山路・安楽古道、緑線:3月19日のルート、駐車場、太閤腰掛石、ウス岩・キネ岩、臼杵ヶ岳、相場振山、:安楽越の旧峠、:堰堤、:カーブミラー(西)、:カーブミラー(東)、:黄色の土砂、:滑滝、:林道に逃げた、:石水渓開発小屋(廃屋)、:「京道」標識、:「京道」石標、:太閤石下降標識(新路下降口)、:「京道」標識(林道鈴鹿南線)

安楽古道

旧道の峠から東へ下りる。安楽古道だ。左へ曲がっていき、前方に林道のガードレールが見えると道は消えてしまう。

歩けるところを探して谷の左岸を歩けば、植林になって道があったりなかったり。堰堤の下流側を横断すれば、道跡は林道に接近して急斜面になるので林道へ逃げた。カーブミラーと吹けば飛ぶような安楽越分収造林地の表示がある。

次のカーブミラーから再び植林に入る。川へ下りて左岸を歩けば、林道側が崩壊して黄色い土砂の斜面になっている。これを横断すると雑木の急斜面を細い踏み跡が横断していく。少々危ない。これを抜けると、所々でカマ跡を見ながら雑木の左岸を行くが道は不明瞭だ。崩れているのだろう。川中の滑滝(岩盤)に下りた。左岸側に道跡が続き、気がつくと林道沿いを歩いていた。この付近はガードレールがない。

写真4 滑滝写真5 石水渓開発小屋

林道へ逃げると指導標に「石水渓キャンプ場2.1KM」とある。安楽古道に引き返した。ここは既に3月(地図の緑線)に歩いているが、平坦な雑木林の中に幾筋かの道跡が残っている。ただ、倒木や若い常緑樹が邪魔をして歩けないので、つかず離れず東へ進むうちに林道が接近してきたので逃げてしまった。

ここで右岸側へ行くべきだったが、3月に歩いているので見送った。林道を歩き、石水渓開発小屋の廃屋を見て登山口に戻った。3月には、石水渓開発小屋前のガードレールの東端から安楽川へ下りて対岸の安楽古道を西へ歩いた。

写真6 「京道」標識、林道安楽越線側写真7 京道石標

登山口には京道、すなわち安楽古道の標識がある。固定ロープがあるところから安楽川に下りる。岩盤状の川の中を下流へ歩き、対岸の植林へ入ると溝状の道跡があるので登れば良い道に出合う。このT字路に京道の石標がある。裏面に大正三年とある石標については安楽古道の資料に詳細がある。

写真8 太閤石下降標識写真9 「京道」標識、林道鈴鹿南線側

良い道を東へ登り、南へ方向を変えて下ると太閤石への下降標識がある。左(東)へ下りる新路のルートだが、南へ直進する旧路を行く。明瞭な道が続くが崩れていたり、倒木があったりするうちに植林になり、同じ京道の標識がある林道鈴鹿南線に下りる。

安楽古道は出入口に京道の標識がある区間は新路、旧路ともに明瞭な道が残っている。三ツ渕の悪場を迂回する山道なので、川沿いのように荒れていない。ただし、東進する場合は安楽川の徒渉が分かり難かった。これに対して林道安楽越線に沿った古道は、植林なら道跡が不明瞭でも歩き良いが、雑木林は枝・倒木で道跡を歩き難くい場所がある。川沿いでは崩れて道跡がないところがあるが、カマ跡が幾つもあった。

行程表

8:45駐車場、出発
9:27臼杵山登山口標識
10:32ウス岩・キネ岩(10:32-10:39)
10:32臼杵ヶ岳(11:16-11:30)
12:16安楽越・林道
12:26相場振山(12:26-12:32)
12:37安楽越・旧峠
13:02林道・カーブミラー
14:05林道に逃げた
14:25臼杵山登山口、京道標識
15:04林道鈴鹿南線、京道標識
15:15駐車場、到着

備考:臼杵ヶ岳など

臼杵ヶ岳の名称はウス岩・キネ岩から登山者がテキトーに命名したものと思っていた。しかし、江戸時代の勢陽五鈴遺響(国立国会図書館)に臼杵ヶ岳の名称が出てくる。「三箇山に相並ぶ臼杵ヶ岳と云あり。時として鼓声の鳴動することあり。古昔より然り」。これはウス、キネの音なのか。怪しい話で興味深いが、そこへ「臼杵山」を並べるなんて何だかなぁと思ってしまった。

また、甲賀郡誌の山女原(国立国会図書館・送信資料)に「安楽越は本郡東境より伊勢国鈴鹿郡野登村大字池山に達する道路にして此地を迂曲し霧ヶ岳方丈嶽の渓谷を踰ゆるなり」とある。安楽越の南が霧ヶ岳なので、方丈岳は北だろうか。甲賀郡誌には多数の山名があるが、どの山のことなのか良く分からないでいる。

京道の石標については、1961年の「鈴鹿の山」(国立国会図書館・送信資料)の安楽越えに、キャンプ場を過ぎたところで「『京道』と刻まれた石の道標が間隔をおいて立っている」と書かれているが、見たのは一つだけだった。それも、安楽古道の資料にあるように、土崩れで倒れた石標を移動したために左右が逆になったとのこと。

京道は、亀山市のサイトにある「石水渓ガイドマップ」(2006.6)に書き込まれいるが、整備されている雰囲気はない。植林以外に歩く目的がなく、未利用区間が何時かヤブに還ることは仕方ないと思う。東海自然歩道のように整備してしまうのも何か違うような気がする安楽古道だった。

(作成 2023.10.30)