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  3. 2023年11月3日

鈴鹿:高室山

佐目集落から登り、南後谷集落へ下山した。南後谷へのジグザグの下降路は登山地図(昭文社)では赤色破線の難路になっている。

高室山の山頂は全方向に展望があり、周辺では紅葉が始まっていた。

登山日
2023年11月3日金曜日
ルート
佐目-高室山-南後谷

駐車場

鞍掛峠を越えて大君ヶ畑、佐目トンネルを通過すると佐目集落に出る。しかし、駐車場の場所が分からない。うろうろして集落と佐目トンネル西口の間にある駐車場を見つけた。ダンプカーが駐車していたので事業所と勘違いして通過してしまったのだ。

ダンプカーが出て行けば自動車は6台(8:00)で、収容能力の3割くらいの状態。祝日だがとても余裕がある。鞍掛峠周辺は満車だったのだが。ここはトイレを使用できる。

高室山

植林の登山道には雑木林が混じり、ドングリが落ちて残っている。登り始めや、550mからの谷沿いの道は一直線の登りでキツイが、大休憩が欲しくなる前に林道に飛び出した。ここまで3人の下山者に出合っている。

轍が残る林道を歩き、標識から山道へ入る。左はヒノキの植林、右は紅葉が始まった雑木林の道で、760mの曲がり角で植林にドリーネが隠れていることに気付いた。木漏れ日で石灰岩が白い。最後に落ち葉で隠れそうな道を登って山頂に達した。誰もいない。

写真1 山頂手前写真2 高室山山頂
写真3 鍋尻山と霊仙山写真4 高室山山頂

北に鍋尻山と霊仙山。その左は杉坂から男鬼方面に赤白鉄塔が見えるようだが、あまり行ったことがないので判断が付かない。烏帽子岳、御池岳、遠方の御在所岳や雨乞岳は逆光で青いばかり。下方の原石山からは機械音が聞こえてくる。

登山者(2組、9人)が増えてきたので山頂をお暇する。林道までに10人くらいの登山者と出合った。

南後谷へ下る

地道の林道を下る。軽四1台分の幅だが、下るに従って広くなり路面も良くなる。地図にある作業道が東へ分岐すると、玉切りされた木材が積み上げられている。これ、どうやって降ろすのか。権現谷林道は通行止だし、杉坂を下りるのは大変そうだ。今日は黄色い林業機械はお休みだった。

標識があるので左折して植林の山道へ入る。地図にない作業道を二回横断すれば植林を出て、送電線下の切り開きになる。巡視路なので夏草は刈り払われており快適に歩ける。関電の鉄塔があるが番号が見当たらない。昭和61年施工とあるのは塗装のことか。剥げ落ち初めているが長持ちするものだ。

写真5 関電鉄塔から西隣の鉄塔を見る写真6 地蔵

少し歩くと石像がある。北向きだ。小さくて分かり難いが地蔵さんだろうか。送電線下なので背後のサクラが切られて奇妙な樹形になっていた。

刈り払いの終端に標識があった。直進は南後谷。左方向は高室山だが、やや草が茂っている。下方を覗くと南後谷の家々が見えた。

次の地図は Garmin eTrex32x により取得した軌跡を編集して国土地理院の地形図に重ねて表示したものです。

地図の大きさ:600×150 600×600

地図の大きさ:600×150 600×600 説明:地図表示について

赤線:登路、駐車場、関電鉄塔、地蔵、南後谷への下降口、谷へ下りる、:「癒され谷」石碑

急斜面をジグザグ道で南後谷へ下る。最初はあまり踏まれていない感じで、道形が不明瞭なところがある。下方の植林に入るまで、日当たりの良い場所では草が繁茂していることがあるが、現状は道が分からないほどではない。登山地図では赤色破線の難路に格下げされているが仕方ないか。

植林になると良い道だが、谷へ下りたところが荒れており面倒くさい。谷の中を歩くが、それも僅かで道が現れて「憩され谷」の石碑がある。ここからは地元のウォーキングコースらしい。

南後谷・佐目

南後谷の東屋「つかって舎」に下りた。意外と広い南後谷集落の車道を歩いて佐目へ向かう。途中で民家の間の石段を上って八幡神社に参拝し、下降口にあった鉄塔を見上げる。石段の砂にはシカだか、イノシシだかの足跡が多数ある。夜中には玄関先まで来ているのだろう。

佐目集落で十二相神社に参拝し、無事登山の御礼をして駐車場へ返った。神社手前には十兵衛屋敷跡がある。十兵衛とは明智光秀のことで、淡海温故録に記載があり、地元にも口伝があるのだとか。佐目十兵衛会のサイトがある。

行程表

8:12駐車場、出発
9:19林道に出る
9:50高室山(9:50-10:15)
11:00林道から山道へ入る
11:10関電鉄塔
11:28ジグザグ道の下降開始
12:01「癒され谷」石碑
12:10南後谷、つかって舎
13:09駐車場、到着

備考:地蔵さんの周辺

地理院地図で閲覧できる空中写真(1961~1969)にGPSの軌跡を重ねてみた。これは国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスを調べると1967年(昭和42)の空中写真(閲覧には同意をクリックし、再度このリンクをクリック)らしい。この爺さんが若かった昭和の時代だ。

次図はそのうちの地蔵さん周辺の部分だ。

畑だったのか。鉄塔から南後谷への下降口まで、かなりの範囲に広がっている。鉄塔から西側は南後谷の領地なので、集落から標高差300m余りのジグザグ道を登って耕作地まで通勤していたのだろう。

大方は植林になったが、送電線下の切り開きを見ると畑跡でも違和感はない。耕作されなくなり、植林以外の利用がないので、ジグザグ道の最上部が廃れるのは仕方ないか。(地理院地図へのアイコンの表示は閲覧環境によっては「不可」かも知れない。)

(作成 2023.11.04)