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  3. 2024年3日7日

鈴鹿:松尾寺山・鎌刃城跡・摺針峠

醒ヶ井から西坂まで歩き、松尾寺山、西坂山、八葉山、竜宮山、鎌刃城跡を徘徊して番場に下り、摺針峠(磨針峠)経由で鳥居本まで。

暖冬のためか雪はなかったが、長い車道歩きに疲れ果てた。

登山日
2024年3月7日木曜日
ルート
醒ヶ井-西坂-松尾寺山-八葉山-鎌刃城跡-番場-摺針峠-鳥居本

醒ヶ井駅・西坂

JR醒ヶ井駅で下車すると、西側にあった「醒井水の宿駅」は解体中だ。霊仙三蔵などの催事会場になり、喫茶店、売店も利用できたが廃止とのこと。駅前が寂しくなる。

その工事現場の直近には霊仙三蔵の銅像がある。相棒は朱いポストだし、鼻先を自動車が往来する落ち着かない場所に置かれている。高僧なのに扱いが悪い。

写真1 醒ヶ井駅 「霊仙三蔵出生地」の像写真2 西坂集落と西坂山

中山道を西へ歩いた。丹生川を渡る国道の橋からは、尖った阿弥陀ヶ峰と雪を残した丸い霊仙山が良く見える。三吉で中山道を離れ、工業団地の車道を西坂集落へ向かうと正面に山がある。鎌刃城跡~松尾寺跡トレッキングマップによれば西坂山だ。

写真3 西坂の丁石写真4 登山口の地蔵堂

西坂集落へ入って道なりに進むと松尾寺山の登山道案内があった。その先で丁石を見るが不明瞭で判読できない。細い道を抜ければ地蔵堂があり、その左側が登山口でハイキングコースや山ヒル注意の標識がある。2017年に「松尾寺参詣道丁石」が米原市の有形民俗文化財に指定され、倒れていた丁石を起こしたそうだが、作業では山ヒルに悩まされたに違いない。暖かい日になったが残念ながら集落内では人に出合えなかった。

松尾寺山

松尾寺への参詣道を登る。送電線鉄塔には「四丁」と刻まれた丁石がある。植林と雑木の尾根で、右後方に琵琶湖が見えるようになる。途中「えみの地蔵」の標識を見たが現物を確認できずに地蔵峠に着いてしまった。見落としたようだ。

地蔵峠には「大日如来(一本杉)」の案内板があるが読める状態ではない。側らの石像が大日如来だろうか。案内板には「印…結び方…胎蔵」の文字があるが、大日如来の法界定印なのかは石像の細部が失われており分かりかねる。付近の丁石にはキリークの種子と「十三丁」の文字が刻まれていた。

写真5 地蔵峠の十三丁の丁石写真6 松尾寺山三角点

せっかくなので地蔵峠から松尾寺山の三角点経由で松尾寺跡へ行くことにした。冬枯れで明るい尾根を歩いて到着した三角点には2002年に来ているが、ササ枯れでヤブは消えており、樹間からは琵琶湖が見える。

落ち葉で分かり難い道を鉄塔北側から本堂跡へ下りる。途中、影向石の案内に従って脇道へ入ったが、どれなのか確信を持てない。基壇が残る本堂跡から鐘楼跡の石垣を見て西へ石段を下り、どうということもないハサミ石経由で地道の車道へ下りた。少し歩くと右上にプラ階段があり、入ると良い道と石垣が現れて「勧善院跡・養運院跡」の標識がある。地蔵峠へのトラバース道だ。西坂からの丁石があり、平坦地が多数残っているが昔の坊院跡なのか。

地図の大きさ:600×150 600×500

地図の大きさ:600×150 600×550 地図表示について

赤線:登山ルート、:西坂地蔵堂、:地蔵峠、:松尾寺本堂跡、:西坂山、:八葉山、:竜宮山、:鎌刃城跡・主郭、:大手口標識、:摺針峠石碑

西坂山・八葉山

地蔵峠に戻った。その峠から尾根を南西へ歩くと、松尾山砦跡の堀切を右に見て西坂反射板に出合う。支柱に昭和60年(1985)製作とあり琵琶湖の展望がある。

反射板から登って西坂山に着いた。旧西坂村と旧松尾寺村の境界で、山頂にヤブはなくて霊仙山が見え隠れしている。

写真7 西坂山写真8 竜宮山

八葉山を目指して下ると関電の鉄塔があるが展望は今ひとつ。ここから滑りやすい斜面を巡視路のプラ階段で登るが、案の定、滑ってズボンを汚した。疲れる急斜面だ。八葉山の山頂は切り開かれて明るいが、植林や雑木で展望はない。ここは旧蓮花寺村の地内だ。

次の鉄塔を通過すると竜宮山の山頂だった。旧番場村の地内で、西側の急崖からは琵琶湖方面の展望が良く、散在するカレンフェルトには注連縄があって八大龍王の小祠が置かれている。雨乞いの火を焚いたのは鉄塔側だろうか。それらしい場所が見当たらない。「竜宮山 540m」の標識が番場・考える会、松尾寺山・保存会の名義で設置されていた。

鎌刃城跡

竜宮山からスリップに注意して舗装林道へ下りる。山道直近にくくり罠の警告表示があり、林道ではバイクを載せた軽四トラックが東へ走り去った。

西へ歩くと林道北側に狭い駐車場がある。その先の林道で鎌刃城跡への山道が左へ分岐しており、直ぐに堀切に到着する。ここでルートは尾根上の堀切を歩いて主郭跡へ行くものと、尾根北側の巻き道を行くものに別れる。七つもある堀切のアップダウンは嫌なので巻き道から鎌刃城の南郭へ入り、主郭、北郭を歩いた。

写真9 鎌刃城跡・主郭写真10 鎌刃城跡・北郭のやぐら

国指定史跡の城跡は良く整備されており、規模も大きい。そして中山道を見下ろせる。築城時には周辺の農民が駆り出されたのだろう。戦なら殺し合いをしなければならない。どのような様子だったかと思う。

下山ルートの案内が見当たらないことを気にしながら、尾根の地形に従って北郭を北西へ下ると、枡形虎口ではなくて、近くの北郭北西端の西側から良い道が下りていた。植林下の整備された道を歩き、西番場・東番場の分岐で標識に従って西番場へ下りれば、溜め池手前の大手口標識で車道になり、高速道路下のフェンスを開閉して中山道へ出た。

摺針峠・鳥居本

番場から高速道路沿いに中山道を南へ歩く。集落を出て振り返ると、暖冬とはいえ伊吹山南面にはほとんど雪が見えない。米原市・彦根市境界の小さな峠に近づくと高速道路の斜面で日向ぼっこをしていたサルが逃げていく。20頭ほどを数えたが、連中からは切迫感を感じられない。

写真11 摺針峠から琵琶湖

摺針峠の「明治天皇磨針峠御小休所」石標前にて琵琶湖が見えた。中山道を京都へ向かえば、ここで初めて琵琶湖を見るのだろうが物足りない。竹木が伐採され、琵琶湖の内湖が干拓される前はどう見えたのか。

急坂の狭い旧道を下りた。こんなのが中山道だったのかと疑う。鳥居本を見ておきたかったので国道を近江鉄道の鳥居本駅へ急いだ。乗車予定の電車を見送って旧道を歩くべきだったが気が回らなかった。

電車は二両連結の一両目後部ドアから乗車して整理券を取り、米原駅の改札で精算する仕組み。250円也。ガラ空き電車でしばらく座っただけで筋肉が固まり、米原駅の階段に難儀する。冬の間にサボったためか、それとも年齢相応と云うべきか。

竜宮山と鎌刃城跡は再度訪れたいと思う場所だったので、機会があれば番場集落から往復してみようと思う。今日は登山者に出合わなかった。

行程表

9:54JR醒ヶ井駅、出発
10:53西坂・地蔵堂の登山口
11:40地蔵峠
11:57松尾寺山三角点
12:15松尾寺本堂跡
12:45地蔵峠へ戻る
13:03西坂山
13:46八葉山
14:06竜宮山(14:09-14:16)
14:31林道へ下りた
14:55鎌刃城跡・主郭
15:36西番場・中山道
16:25摺針峠(16:25-16:32)
16:58鳥居本駅

備考:「西坂山」の山名など

花の山旅」というサイトが『鈴鹿の山ハイキング』を公開しておられる。そこに調査日11/8/24(1999)の「松尾寺山・八葉山」があるが、当時、西坂山はササ藪で、手書き地図には山名がないことを知れる。

明治初期の西坂村(滋賀県立図書館)松尾寺村(同)蓮華寺村(同)の絵図を調べると「霞岳」とか「嶽山」と書かれた山が西坂山のようだ。坂田郡志(国立国会図書館)の山岳一覧にも同様に「霞ヶ岳(一名嶽山)」とある。標識を設置した地元は「西坂山」で満足なのだろうか。なお、蓮花寺の山号でもある「八葉山」は絵図に見えない。

また、番場村(滋賀県立図書館)の絵図には、村の奧に「龍之岩」があり、「鎌ノ刃元頼公古城」は畑として耕作されていたようだ。通勤が大変である。

(作成 2024.03.09)