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  3. 2024年11月13日

鈴鹿:御池岳

久し振りにコグルミ谷から御池岳へ登り、山頂台地の東半分を徘徊した。

登山日
2024年11月13日水曜日
ルート
コグルミ谷-御池岳-鈴北岳-鞍掛峠

コグルミ谷

鞍掛トンネル東口の駐車場に自動車を置いた。平日だが駐車率は七割くらい。かなりの数の登山者が入っている。国道をコグルミ谷の登山口まで戻る。

御池岳は10年振り。そしてコグルミ谷へ入るのは2004年2月以来のこと。2008年豪雨以降の荒れたコグルミ谷へ初めて入る。

登山口を入ると直ぐに整備された左岸の道で高度を上げる。コグルミ谷は広くて浅い歩きやすい谷との記憶だが、現状は谷底が削り取られて白い石灰岩が露出しており、これを見下ろしながら高巻きになった道を歩く。三岐鉄道の開業六十周年記念(1991年)で整備されたタテ谷の標識が残っているが、周辺の様変わりには驚くばかり。

写真1 長命水から写真2 ジグザグ道にて

右岸に渡り、長命水から谷を離れてジグザグ道で斜面を登る。途中に五合目標識があり、県境尾根(カタクリ峠)に達すると六合目標識があるが、この区間は何故か歩いた記憶がない。県境尾根が近づくと明るくなり紅葉がきれいだ。七合目付近では望遠ズームを持った二人組が斜面を見上げていた。

写真3 九合目写真4 御池岳山頂・丸山にて

真の谷へ下りれば八合目標識があり、東側の真の谷は溝状に削られている。登山道は石灰岩の隙間になり、これを西進して標識にて左折する。最後の登りを頑張って御池岳の標識がある丸山(御池岳山頂)へ到着した。新しい標識とともに残る「八日市山の会」の木柱は相当に傷んでいる。

長命水より下の登山道は崖状の場所があり、弱ってきた爺さんとしてはコグルミ谷の下降は遠慮したい雰囲気だ。

地図の大きさ:600×150 600×300 600×700

地図の大きさ:600×150 600×300 600×700 説明:地図表示について

赤線:登山ルート、:鞍掛トンネル東口駐車場、:タテ谷標識、:長命水、:丸山、:土倉岳下降標識、:T字尾根下降標識、:ボタンブチ、:天狗の鼻、:遭難碑、:鈴北岳、:五合目標識~九合目標識、:池-1、:池-2、:池-3、:幸助の池、:真の池、:元池

この地図は Garmin eTrex32x による軌跡を編集して地理院地図に重ねたものです。

御池岳山頂部

写真5  奥ノ平から東へ歩く、遠方は御在所岳など
写真6 東のボタンブチの手前にて写真7 T字尾根への下降標識を通過して丸山の方向を見る

丸山から奥ノ平(1241m)経由で山頂台地の東端まで歩く。カレンフェルトで踏み跡が曖昧になったりするが何処でも自由に歩けるので困らない。1985年4月には、ササのなかの切り開きは奥ノ平が終点で、引き返して傾いたササのなかをボタンブチへ下りている。ササ枯れした現在の奥ノ平は別の世界ようだ。

東端からは藤原岳の南斜面を一望できる。シカを見なかったが糞は各所にある。トゲがある低木に赤い実がたくさんあるけれどメギか。さすがのシカも食べられないのだろう。

写真8 池-1写真9 池-2
写真10 池-3写真11 幸助の池

冷たかった風が弱くなった。土倉岳、T字尾根への下降標識を経由し、ボタンブチ、天狗の鼻まで戻ると登山者と出合うようになる。途中、ドリーネを見ながら徘徊すると4つの池と出合ったが三つは名称を知らない。四つ目は幸助の池だ。

丸山に戻り、明瞭な道を真の谷へ下りて左右にドリーネを見ながら歩けば左側に真の池が現れる。今日は水が多めか。その先では植生保護のネットフェンスで小さく囲われた中にササが茂っている。やはりササ枯れの原因はシカの食害かとは思うけれど、茂っているササの種類が以前とは違うような。

写真12 元池と鈴北岳写真13 鈴北岳へ

元池を一周して鈴北岳へ向かう。日本庭園と呼称された緑色のコケにはシダが侵入し、枯れたシダにより褐色の色調が強くなっている。

鈴北岳・鞍掛峠

展望抜群というか、ほとんど丸裸の鈴北岳から霊仙山、伊吹山、能郷白山、白山を眺めて鞍掛峠へ下る。タテ谷への下降標識は見当たらない。

県境尾根は人が歩いた跡に雨水が流れて荒れ始めており、しばらくの間は小石に気を遣う。1996年4月のコグルミ谷登山口にて、前年10月付けで「鞍掛峠から鈴北岳までのササを切り払った」旨の案内板を見ている。刈り払いから29年が経過した。

写真14 鞍掛峠にて、地蔵さん

鞍掛峠の焼尾山側は紅葉、その下では植林が成長した。ちょいと怪しい鞍掛地蔵さんは前世紀末の登場と記憶している。鈴鹿山中で、これほど小銭や飴玉が置かれている地蔵さんを見たことはないが、動物のことを考えると食べ物は良くないわ。

峠から下ると間もなく道が一ヶ所で崩れており少々危険だ。傾斜がある砂利っぽい下降路が続くので、将来の爺さんには良くないかも知れない。

御池岳の初登山以降、日本庭園での山火事(1996年5月)、豪雨災害(2008年9月)、ササ枯れと、山の姿が変わる事態が発生している。

1941年(昭和16年)8月と思われる京都第三中学校の登山記録(国会図書館・要事前登録)では、おそらく鈴北岳付近に幾つか小屋があり炭焼きの伐採がされていた。良家のボンボン三人組は、茨川の小学校から茶屋川・真の谷を登り、山頂部での雷雨の後、炭焼きの人に連れられてタテ谷の新道を下山して山口の大正館に宿泊している。僅か80年余り前のこと。今ある風景の一因は炭焼きの結果かと思って眺めてみたりもする。

行程表

7:40鞍掛トンネル東口駐車場、出発
7:59コグルミ谷登山口、出発
8:36長命水
8:58六合目標識(カタクリ峠)
9:23八合目標識(真の谷)
9:55御池岳山頂標識・丸山(9:55-10:00)
11:16土倉岳・御池林道への下降標識
11:26T字尾根への下降標識
12:26ボタンブチ標識
12:44御池岳山頂標識・丸山へ戻る
13:33鈴北岳
14:21鞍掛峠
14:41駐車場、到着
(作成 2024.11.15)