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鈴鹿:鑵子山・長坂山・愛宕山

瀧樹神社を起点に、甲賀市甲賀町岩室の鑵子山から小佐治の愛宕山へ歩いた。徳本桜と甲賀もちふる里館が今日の目的だ。

登山日
2026年4月5日日曜日
ルート
瀧樹神社-徳本桜-鑵子山-長坂山-愛宕山-瀧樹神社

瀧樹神社

瀧樹神社の駐車場に自動車を置いて参拝する。本殿がふたつ並んでおり、向かって右に瀧樹神社、左に天満宮とある。拝殿では来月に開催されるケンケト踊りの旗が風に揺れていた。野洲川に出るとユキワリイチゲの花が残っていたが、もう残骸でしかない。

東海道を伊勢神宮へと群行する斎王に水を供したという御場泉に立ち寄り、岩室橋を渡って大福寺へ向かった。

地図の大きさ:600×150 600×450

地図の大きさ:600×150 600×450 地図表示について

赤線:往路、青線:復路、:瀧樹神社・駐車場、:御場泉、:大福寺・徳本桜、:鑵子山・津島神社、:秋葉神社、:愛宕山・愛宕神社、:甲賀もちふる里館

この地図は、GPS(Garmin eTrex32x)で取得した軌跡をデータ量削減などの目的で間引き編集し、国土地理院の地理院タイルに重ねて表示したものだ。

大福寺・徳本桜

大福寺には枝を広げたしだれ桜「徳本桜」が1本あり、少し散ってはいるが見物客が出入りしていた。周辺のソメイヨシノは満開なので、徳本桜の満開はソメイヨシノに比べて2~3日くらい早かったのだろう。自宅(四日市)周辺のソメイヨシノは今朝から散り始めている。

隣の津島神社の祠では午前中から年寄りたちが花見酒をやっていた。余りに時間が早いためか盛り上がってはいない。

徳本桜の横には独特な文字で「南無阿弥陀仏」と刻まれた徳本上人名号碑がある。ここにも徳本講があり、講の世話人がサクラを植えたと消えそうな案内板にある。もちろん大福寺は浄土宗であり、徳本桜の名称は念仏行者・徳本上人に因むものだ。この名号碑は近隣の日野町蔵王周辺でも何基か見ている。

未明までの雨だったが、期待したように天候は回復せずに曇り空なので、帰路に再度、立ち寄ることにして鑵子山へ向かった。

鑵子山・津島神社

大福寺から県道を西へ歩いて標高280m余りの鑵子(かんす)山へ向かう。その山頂には津島神社がある。

写真1 鑵子山と岩室橋

この鑵子山を東海道から見ると、大した山ではないのだが、背が低い正規分布曲線のような端正な形をしている。鑵子(湯沸かし)の底のような形ということなのだろう。

県道を離れて舗装林道を登り、植林が途切れると前方に岩室配水池の施設が見える。右へ地道が分岐するので、これを歩き、終点から山林へ入ると道がなくなった。仕方なく西へ戻るように登ると参道を見つけたが、細い溝道であり使われている雰囲気はない。これを登ると石鳥居と「奉納牛頭天王」と彫られた灯籠が現れて津島神社へ達した。

写真2 津島神社(鑵子山)写真3 津島神社(鑵子山)

祠のなかを覗き見ると津島大社のお札が見えた。祠の南西側にはこもり堂がある。現在の道は神社から西へ歩き、配水池施設の西側(岩室配水池の入口)へ出る。

散弾銃の薬莢が落ちている茂みで長坂山の三角点を確認して、地道の車道を西へ歩く。雨上がりの地面に軽トラらしい轍があるが何だろう。猟期は過ぎたので、罠の見回りではないだろうに。道路南側にはフェンスが延々と続き、フタがされた水路施設が道路脇に消えたり現れたりする。

愛宕山・愛宕神社

地形図の「山手」を通過すると水路施設に弁らしいものがあり、大原ダム云々とある。この水路は大原ダムからの農業用の配水施設なのか。それにしては水路が細いように思われる。南側には地蔵と徳本上人名号碑2基があった。

写真4 愛宕神社(愛宕山)写真5 愛宕神社(愛宕山)

「CAMP SITE」を通過すると「枡形池」の標識があるので、ここから南へ入り、ネットフェンスを開閉して竹林へ入ると直ぐに佐治城跡である愛宕山山頂だ。愛宕神社があり、石の祠には太郎坊天狗が彫られている。

竹林のなかの道を南へ向かうと民家の裏に飛び出した。ちょっと気まずいけれどウロウロして道路へ出た。東西の県道に出たところには、また徳本上人名号碑があり、西の佐山小学校手前で「どっこいしょ」と呼ばれる湧水を見て引き返した。

甲賀もちふる里館

佐治神社前の甲賀もちふる里館へ入った。切り餅など販売しており、週末は飲食を出来る。「つきたて餅」と「焼きもち」を頼むと少しの時間をおいて、「つきたて餅」が出てきた。やや固くて良く伸びるが、木臼を模した入れ物は深さ5センチ程度なので、たちまち食べてしまう。

遅れて出てきた「焼きもち」は砂糖醤油で美味い。こちらは柔らかいので爺さんでもノドに詰まらせる心配はないかも知れない。これだでは足りないので「力うどん」を追加。皮がやや固い米粉の「鯛焼き」を囓りながら県道を瀧樹神社へ帰った。かなりお高い支払いになってしまった。

大福寺・徳本桜を再訪

瀧樹神社の駐車場へ帰ると西の空が晴れ始めたので大福寺へ自動車で戻った。

写真6 徳本桜(大福寺)

樹齢200年余りのしだれ桜とのことだが散り始めているので、機会があれば満開のときに再訪しましょう。サクラに気を取られて本堂へ上がることを失念してしまったので。再訪の時刻は朝がよさそうだ。

このあと、大鳥神社、甲賀市甲賀図書情報館へ行き、夕刻には満開になった「咲くや鮎河千本桜」を訪ねた。うぐい川両岸のソメイヨシノがライトアップされているだけだが、立地を考慮するとかなりの人出といえそうだ。

行程表

9:46瀧樹神社駐車場、出発
10:30大福寺(10:30-10:36)
11:14鑵子山・津島神社
11:28長坂山三角点
12:27愛宕山・愛宕神社
13:03甲賀もちふる里館(13:03-13:35)
14:51瀧樹神社駐車場、到着

備考:鑵子山について

鑵子山の名称は、江戸幕府が作成した上図の『東海道分間絵図』(国立国会図書館)にある。市場の左下に「くワん春山」だろうか。旅行案内書である『東海木曽両道中懐宝記』(滋賀県立図書館)でも同様だ。

この山名が誰にも知られず使われていないなら引っ張り出すことはないけれど、『広報あいこうか(2008.9.1)』に津島神社での御湯神事を書いた記事があって鑵子山の山名が使われている。

宝暦10年(1760)に江戸へ下ったお公家さん・土御門泰邦の『東行話説』(国立国会図書館)では、この鑵子山を「釜をうつぶせたる如し」として歌を詠んでいる。「峯の畑」とあるので、当時は山頂付近まで耕作されていたのか。

写真7 甲賀もちふる里館、つきたて餅(大根おろし)

この『東行話説』は東海道の食べ歩き紀行とのことで、桑名では松笠で焼いた焼蛤で一杯やっている。もちろん絶賛である。蟹ヶ坂飴は記録されていないが感想を聞きたかったものだ。さて、土御門泰邦が甲賀もちふる里館で餅を食べたら、どんな反応をしただろうか。「つきたて餅」と「焼きもち」ではかなり食感が違い、良く伸びる「つきたて餅」に対して、質量感のない「焼きもち」は良く分からなかった。

なお、地形図の鑵子山にある八幡神社は正体不明だ。滋賀県立公文書館で明治期の神社明細帳を検索すると、岩室には津島神社三件(鑵子山、大福寺隣地、大福寺南西460mか)が出てくるだけ。滋賀県神社庁でも八幡神社は出て来ない。

(作成 2026.04.07)