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鈴鹿:福王山

春季大祭の日。福王神社から福王山(598m)に登り、奥ノ院の南尾根を下った。

登山日
2026年4月11日土曜日
ルート
駐車場-福王神社-福王山-奥ノ院-南尾根-福王神社-駐車場

福王神社

駐車場に自動車を置いて天狗坂を福王神社へ登る。天狗坂の前半は車道、後半は階段道だ。車道上部にあった寺院が撤去されて広い駐車場になったので、駐車場所の確保を気にせずに自動車で階段道の入口まで上がれるようになったが、やはり下の駐車場から登らないと気が済まない。

登り口の土産屋は喜楽屋だけが残った。店には天狗の絵が描かれている。今日は福王神社の春季大祭なので営業しており、帰りに立ち寄ることにして車道の天狗坂を登る。

地図の大きさ:600×150 600×450

地図の大きさ:600×150 600×450 地図表示について

赤線:往路、青線:復路、:駐車場、:奥ノ院、:ネットフェンス

階段道になると右手に彩色された天狗さんの顔がある。猿田彦大神とあるけれど言い訳っぽい。何故か天狗は仏教系の存在らしい。

写真1 猿田彦大神写真2 天狗杉旧蹟

続いて左の天狗杉旧蹟に天狗さんの石像がある。こちらは猿田彦大神に偽装する気はないらしい。参道の左右には竜神やお稲荷さん、知らない神様が多数祀られている。八大龍王など竜神も仏教系の存在らしく、海の神・綿津見神として祀る神社があったが、ここでは遠慮なしだ。

写真3 福王小天狗乃宮

こちらには「福王小天狗乃宮」とある。大天狗とやらないところが奥ゆかしい。お隣は観音菩薩だ。階段道の入口にある福王神社の案内板には、「江戸時代の頃、このあたりを通ろうとすると福王山に住む天狗が襲ってくるという話があり、時の桑名藩主松平定綱が山林を刈り払ったところ、その後は安全に通行できるようになった」と書かれている。当時の天狗さんは何をやっていたのやら。

写真4 福王神社 毘沙門天拝殿写真5 天狗面

階段道の終点にある毘沙門天では祈祷がされており、休憩所では巫女さんが熊手や破魔矢を扱っているが売れる気配なし。山伏姿の四人組が神社の隅でホラ貝を吹いているが、周辺の世話人達からは浮いている感じだ。ホラ貝を趣味にする会の人たちか。開扉された太子堂の左奥から奥ノ院への道を登った。

福王山

この道は何度か登っている。下部には七福神の石像があるけれど全部が揃っているのか数えたことはない。

登りきるとT字路で右が山頂、左が奥ノ院だ。まずは山頂へ行くが、相変わらず植林境界から竜ヶ岳方面が僅かに見えるだけだ。戻って奥ノ院へ行くと新しい祠の周辺にはサクラの花が落ちている。祠の前は「天狗の踊り場」と呼ばれる場所だ。

写真6 奥ノ院写真7 ネットフェンス

奥ノ院から植林の南尾根を下ると、487mでネットフェンスに出合った。下方は伐採されて、既にヒノキの苗が植えられている。ここは国有林だったか。

ネットに沿って左へ下り、勾配が急になってヤブっぽくなったところで下降を強行するか思案していると、左の植林に黄色テープが見えた。植林なのでなんとでもなるだろう。福王神社の参道方向へ下りると直ぐに階段参道が見え、手前に荷揚げ用のモノレールがあったので、これに沿って登り福王神社に戻った。相変わらずホラ貝を吹いている。

境内の世話人に奥ノ院の祭神を問うが知らないとのこと。そして、福王山の天狗は名無しの権兵衛とのことだった。

喜楽屋でぜんざいを食べた。餅が何となく線香臭いのだが、まあ何となく有り難い。土産物の福王豆は正月しかやっていないとのこと。多度豆と同様のものだったが。

尾高観音

千種の尾高観音では毎年の千手観音の開帳がされているので立ち寄った。ここは尾高山観音堂と呼称されるらしい。

写真8 尾高観音

小さな六角堂と庫裏、御守り売り場程度の施設なので福王神社に比べると小規模だが、参道には常に参詣者の姿が見えた。疲れたので尾高山には登っていない。

松樹院(大日堂)・五百羅漢

ついでに、竹成の五百羅漢へも立ち寄った。明日は大日祭なので準備中だ。本堂が開かれており、堂内の大日如来2体を拝することができた。

行程表

11:24駐車場、出発
11:45福王神社(11:45-11:57)
12:31福王山山頂
12:40奥ノ院
13:16福王神社(13:16-13:25)
13:40駐車場

備考:鈴鹿山脈の天狗

福王山中腹の福王神社は、同社サイトに「毘沙門天をお祀りする、天狗伝説の地。伊勢信貴山」とあり、祭神は饒速日命を初めとする六柱だが、これとは別に毘沙門天・聖徳太子を祀る神仏混淆の神社だ。

このあたりの事情は、広報こもの(Internet Archive)に「田口・・・その氏神は穂積神社で、 祭神は天火明鐃速日命(あまのほあけにぎはやひのみこと)を祀(まつ)っていましたが、大正六年(1917)社殿を福王山内へ移して北に穂積社、 南に毘沙門天をまつり、合わせて福王神社と称しています」とある。

そして、鈴鹿山脈で最も天狗の気配がある場所でもある。天狗山、天狗谷、天狗滝などの地名や、天狗岩、天狗杉、天狗の踊り場、天狗の腰掛けなどの雑多なものは各所にあるけれど、天狗の面や石像があるのは福王神社くらいしか記憶がない。ボケ始めているので記憶に欠落があるだけかも知れないけれど。

ほかには天狗堂の登山口の近くにある金龍寺に「天狗堂大僧頭権現」とある小祠を見た程度だ。もちろん山麓の愛宕社や秋葉社は太郎坊や三尺坊の出張所なのだけれど。

知切光歳の『図聚天狗列伝 西日本編』(国立国会図書館)には「綿向山光林坊」という名前持ちの天狗が登場する。これは「綿向修験の神オロシの祝詞に『近江の国には前鬼一党光林坊』という一節がある」ことを根拠にしたものだ。前鬼の登場は綿向山と大峰山とのつながりを示しているけれど、日野町の現地では天狗の気配はなかったし、同書の記載は綿向山ではなく太郎坊山(東近江市)の成願寺、石垣坊が混じり込んでいるようでスッキリしない。

鈴鹿山脈周辺の地誌には天狗の説話など多数が収録されているが、名前がある大物はいないようだ。

(作成 2026.04.12)