鈴鹿:ヒヨノ(保月・河内境界)
多賀大社から廃村・向之倉(多賀町)を経由して、保月・河内境界のヒヨノにあるドリーネを見に行った。
そして、多賀まつりの日なので、下山後には御神輿の渡御を見物した。
- 登山日
- 2026年4月22日水曜日
- ルート
- 多賀大社駐車場-向之倉-ヒヨノ-杉-調宮神社-多賀町立図書館ー多賀大社
今日の宿題
地形図を見ていると興味深い地形を見つけることがある。今回は、向之倉の南東1kmの場所にある楕円形の等高線に囲まれた平坦な山だ。ここにはドリーネがあるらしい。下山後に多賀まつり(古例大祭)を見物することにして多賀大社から歩いた。
なお、この「ヒヨノ」は杉、四手、南後谷の境界にある陣尾山687.4m(別名ヒヨノ)とは別の場所だ。
地図の大きさ:600×150 600×500 地図表示について
赤線:登路、青線:下山路、
:多賀大社駐車場、
:調宮神社、
:井戸神社、
:地蔵堂、
:杉峠、大杉と石地蔵、
:「ヒヨノ」山名板、
:向山、
:春日神社、
:「多賀神木」石標、
:多賀町立図書館、
:多賀大社、
:打籠馬場、
:ドリーネ地帯
向之倉
多賀大社の駐車場を6:26に出発した。手洗いは16:00以降は夜間閉鎖されるので利用できない。久徳を経由して栗栖に入ると調宮神社の入口ではテントが設営されて準備作業が始まっている。今日は多賀大社から調宮神社まで御神輿が往復する。
水谷方面と河内方面の分岐にあった商店は飲料の自販機も撤去されて完全に廃業らしい。シャガが咲く芹川右岸の県道を歩き、何の表示もない向之倉の入口に到着した。舗装された車道を登れば建物があり、その左奥が車道終点の広場になっている。カツラの大木がある井戸神社へは建物から左の谷へ細道を入る。しかし、建物の落書きがひどい。何故、こんな振る舞いを出来るのか。




井戸神社を往復し、車道終点から石垣の間の細道を右往左往して登ると、四角形の台状の施設が残っていた。三昧跡か。その先には地蔵堂があった。覗き込んでも地蔵堂であることは分からなかったが、ブログ「『多賀町史編纂を考える委員会』より」の記事「『向之倉』の秋祭(2015.9.20訪問)」に記載がある。
山道は地蔵堂から右の斜面を登っている。杉集落の南には向之倉の飛び地があったので、この山道は農耕の通勤ルートとしても使われたのだろう。
ヒヨノ
向之倉からの登り道はスギの植林から尾根上の自然林に変わる。やがて右の山腹へと道は続くが先で不明瞭になるらしいので強引に尾根を登り杉峠
へ達した。左は吉ヶ谷の源流部で、杉峠は僅かな窪み程度のものだった。
その杉峠の手前から東のヒヨノへ尾根を歩く。P627に近づくと尾根上にカレンフェルトが現れ、下降してドリーネ2つを通過し、登りに変わると目的地の「楕円形の等高線に囲まれた平坦な山」だ。その入口に「ごっちゃん平」の名札を見たが、地名は大切にしてほしいものだ。落書きの同類に見える。
この頂部にもカレンフェルトがあり、その東側を南北に幅100m足らずの植林帯が横断しているので、植林を通過してP657へ行くと「ヒヨノ」の山名板が設置されていた。

斜面を下ると緩やかな斜面にドリーネが点在している。写真の右奥のドリーネは地形図の円形の等高線(630m)に相当するものだろう。水があるドリーネ2つはヌタ場になっていた。下草がない歩きやすい斜面を徘徊し、往路を含めてドリーネ8つを数えてヒヨノを出発した。今度は落葉の時期に来よう。
杉
杉峠へ戻ると大杉の根元の東側に石仏1体があった。ここから向山へ登り、杉集落へ下降する。杉集落の訪問は2000年12月に五僧越を歩いて以来のことになる。崩れていた道路脇の民家は撤去されて更地になっており、現状は、人の気配がない、まばらで日当たりの良い小集落との印象だ。実際の建物はそれぞれに傷んでいるのだけれど。
道路南側の春日神社は良い状態で残っている。社紋は三つ巴だが、同ブログの「『杉』春日神社の秋祭り」は春日神社とのこと。滋賀県立公文書館の『神社明細帳』も春日神社だ。山と高原地図の全面改訂版を含めて、正しく名称を記載した地図を見たことがない。
多賀まつりの渡御が調宮神社を出発する時刻は13:00なので、寄り道は諦めて杉坂峠からヤマブキが咲く車道を急ぐ。杉集落にはヤマザクラの花がまだ残っていた。
調宮神社
多賀大社の神様が杉坂峠から下りてきた場所が調宮神社とのこと。県道で昼食のおにぎりを食べていると、御神輿や御鳳輦などが調宮神社から県道へ出て来た。「飛の木館」の広場にいた騎馬たちも出てくる。県道上で行列を編成するらしい。


渡御の本番は多賀大社の西にある打籠馬場(うちごめのばんば)を16:00に出発する「本渡り」とのことなので、多賀町立図書館で時間調整をして多賀大社へ帰ることにした。
多賀大社
図書館から多賀大社までは20分程度の距離だった。多賀大社を参拝するが境内に人は少なく、観光客は土産物屋が並ぶ門前の通りで「本渡り」を待っているらしい。打籠馬場へ行くと参加者を順に呼び出して馬40頭へ乗馬する作業中だった。


門前近くまで戻り「本渡り」を待つと、子ども神輿を先頭にして多人数の行列が通過していく。調宮神社で見なかった奴さんも行列しているが、毛槍の投げ渡しをする人以外は年寄りばかりの印象だ。太鼓を始め、さまざまな道具立てが通過していくが、それが何物か承知していないことがちょっと残念だ。御神輿は台車に乗せられて最後尾を、所々で気勢を上げながら通過していった。
御神輿が拝殿前に納まり、罵頭人たちが拝殿で何かの所作をしたところで渡御の参列者は解散となった。図書館は18:00閉館なので諦めて、土産に糸切餅を購入し、暗くなる前に石榑峠を越えた。
行程表
| 6:26 | 多賀大社駐車場、出発 |
| 7:04 | 調宮神社前 |
| 7:36 | 向之倉登り口(芹川) |
| 8:03 | 向之倉の車道終点、井戸神社へ往復(8:03-8:11) |
| 9:12 | 杉峠 |
| 9:50 | 657m独標、「ヒヨノ」山名板 |
| 10:43 | 杉峠へ戻る |
| 10:59 | 向山 |
| 11:15 | 杉(11:15-11:33) |
| 12:47 | 調宮神社(12:47-12:57) |
| 13:38 | 多賀町立図書館(13:38-15:03) |
| 15:21 | 多賀大社、到着 |
備考:ヒヨノについて
ヒヨノの地名を知ったのは、滋賀県立図書館にある明治初期の保月村の地図『近江国犬上郡百二十八ヶ村之内耕地絵図/近江国犬上郡保月村』だった。(下図参照)
保月村は川内村(河内村)、桃原村、杉村、向之倉村の飛び地、大君ヶ畑村、五僧村に囲まれており、地図西端の河内村との境界付近にあるエチガ谷左岸に「字飛よの」(ヒヨノ)と書かれている。地図の中央左にある「字飛山」はヒヤマ(火山、日山)なので、どちらも「飛」の変体仮名が使われているのだろう。
エチガ谷の中流域は畑作されており、耕作面積は四反貳畝、当然ながら地図には道が赤線で書き込まれている。『鈴鹿の山と谷』には杉村の陣尾山が別名ヒヨノとあるので、保月村のヒヨノのことは不可解に思っていた。
次にヒヨノを知ったのは、アミンチュ公式チャンネルによる「多賀の山奥になんでこんなボコボコが?:クイズ滋賀道」という動画だった。ヒヨノ山にドリーネがあるという内容で、示された位置図や撮影された経路の様子、映像の小鍋尻山、鍋尻山、霊仙山の並びから上記のヒヨノのことらしいと知れる。
さらに、今回の山歩きのためにネットで事前調査したところ、気になっていた「楕円形の等高線に囲まれた平坦な山」の直近のP657に「ヒヨノ」とあることを知った。ヤマレコの記載で、最終更新「綿はる」、根拠は『祷の峯 北村賢二遺稿集』(1988)とのこと。なお、「平坦な山」と小鍋尻山、鍋尻山を結ぶ線が保月村・河内村の境界のようだ。
陣尾山の別名ヒヨノについては、『鈴鹿の山と谷』に「ヒヨノの名は昔から地元称と聞いていたが現在知っている人はいない」とある。どのような人から聞いたのか書かれていないが、図書館で調べる程度では根拠を見つけられなかった。
2つのヒヨノはエチガ谷(又は上流の室ノ谷)左岸にあり距離は近い。この山行記録を陣尾山と区別したかったので、タイトルを「ヒヨノ(保月・河内境界)」とした。