布引:久我山・白石山・加行山
亀山市関町の久我周辺の山を歩いた。航空灯台があった久我山、白石神社跡の白石山、少し離れて宗教的な色彩がある加行山(がんごやま)だ。
- 登山日
- 2022年2月11日金曜日
- ルート
- 関宿・西の追分-久我山-久我-白石山-福徳-関ヶ丘-加行山-関宿
久我山(四等三角点・久我)
遅い時刻だが関宿・西の追分駐車場を出発して久我山(四等三角点・久我)を目指す。この山は、西の追分付近からは、錫杖ヶ岳の右手前に形の良い植林の山として見える。
登路は点の記にある東側の畑から急勾配の植林尾根を登るものを選択。車道から農道に入るとササ藪があるが切り開かれており、何の苦もなく尾根末端の植林に到着したので、あとは道がない急斜面をひたすら登るのみ。


山頂三角点からは展望なし。付近には土を掘ったような不可解な窪みがある。下山は予定のとおり勾配の緩やかな尾根を下る。こちらには目印があったが最後には見失ってしまった。登山口付近へ下降するつもりだったが、ササ藪が嫌なので幹をつかんで段差がある車道へ下りた。下山口から南へ150m付近の道路では段差がなかったので、そちらへの下降が正解だったようだ。
山名の「久我山」は関町郷土史の関町略図(国立国会図書館)に記載がある。帰宅後に調べると、この山には航空灯台があったとのこと。柴田昭彦さんの「戦前の航空灯台」によると、昭和8年に設置、同20年に廃止。「撤去穴残存」となっているので、山頂の窪みのことかも知れない。昭和8年の官報(国立国会図書館)には「関航空標識燈」とあり、高さ15mほどの櫓に電灯が設置されていたらしい。当然、いずれかの尾根に電線、電柱があったのだろう。
観音山から眺めた久我山は何時か登りたいと思わせる形の良い山だが、何故かヤマレコの鈴鹿300座のリストに「277久我(くが)」とあって思い出した。ただ、加太川の南にある久我山を「鈴鹿」に数えることは、さすがに理不尽で嫌な感じがする。
地図の大きさ:600×150 600×500 説明:地図表示について
:関宿・西の追分駐車場、
:久我山(四等三角点・久我)、
:鳥居、
:白石山・白石神社跡、
:関ヶ丘配水池、
:西方山九覚寺、
:白石山円光寺、
:福徳山医王寺、
:明小学校福徳分教場跡、
:奄芸神社遙拝所・豊川稲荷
この地形図は、GPS(Garmin eTrex30)で取得した軌跡を編集して地形図に描画したものです。
白石山(白石神社跡)
久我集落に入って円光寺に行ってみる。山号は「白石山」。この白石山は白石神社があった場所で、現地は錫杖ヶ岳の標高325mくらいの尾根上にあるコブだ。
白石神社は明治末に関神社へ合祀されたが、具体的なことは関南部まちづくり協議会のサイトにある「久我地区・白石山 山登り体験記」で知った。ただ、これだけでは位置が解らないので、とにかく林道・久我福徳線を歩いてみることにした。
その結果、植林を出て明るい水田が現れると、案内板が設置された登山口があった。小川を渡り、右に小屋、左に小屋があり、金属板で土留めされた道へ右折する。丸木橋(白石川橋)を渡ると踏み跡は不明瞭になるが所々に標識がある。尾根に乗ると質素な鳥居があって急登が始まった。




こんな所に神社があったのかと思われる急勾配の尾根を不安な気持ちで登ると、ようやく案内板がある白石神社跡に到着。注連縄で囲まれた場所が神社跡か。それとも手前の石組みか。注連縄周辺の岩だけが何故か白くて不思議。特別な場所の雰囲気がある。
案内板には、平清盛の孫・資盛が久我に6年間流されたとき、父から授かった「3つの白い石を山中に安置したところ、石が成長して白い巨岩となったため、里の人々はこれをご神体として祀ったことが白石神社の始まり」とある。なお、関町郷土史の関神社の項では白石神社の祭神を平資盛としている。
医王寺


久我福徳線を歩いて福徳の民家が見えたところから林道真谷線へ入ると医王寺の石段がある。小綺麗な境内には小さな薬師堂があり、右手には山神が同居していた。関南部まちづくり協議会の「福徳の歴史」によれば、こちらはお乳の仏様とのこと。
加行山(がんごやま)
前述した関町略図の南側一帯は加行山だが、現在は一部が関ヶ丘になっている。付近には177.2mの三角点があったので、関ヶ丘はこれを削って開発されたのだろう。一方、関ヶ丘東側には山頂に関ヶ丘配水池がある160m余の山が残されており、これを加行山とした資料がある。良く解らないけれど配水池の山へ行ってみた。
現地へ行くと、関ヶ丘北東隅から階段があり、配水池へは簡単に登れた。東側は植林、南は雑木の尾根があるばかり。北側山麓に笛吹大明神の元鎮座地があったらしいが、山頂は何と言うこともなし。なお、笛吹とは火吹が転じたもの(関ヶ丘の歴史)とのこと。笛を吹く風流な神様ではなかった。
関ヶ丘北西隅から破魔射場池の東を北進して帰る予定だったが、道路にはチェーンと私有地立入禁止の看板。仕方ないので伊勢別街道から関宿の東の追分へ帰った。新型コロナウイルスの第6波の影響か、それとも時刻が遅いためか、関宿内は閑散としており、玉屋は雨戸が下りていた。夕暮れ時の玉屋へ入って見たかったが、また何時か。
行程表
11:32 | 関宿・西の追分駐車場、出発 |
12:06 | 農道終点、久我山の植林尾根に取り付く |
12:21 | 久我山山頂(12:21-12:25) |
12:47 | 車道へ下りた |
13:03 | 久我集落・円光寺(13:03-13:07) |
13:22 | 白石山登り参道入口 |
13:34 | 鳥居 |
13:44 | 白石山、白石神社跡(13:44-13:56) |
14:10 | 白石山登り参道入口 |
14:29 | 福徳・医王寺(14:29-14:34) |
15:01 | 関ヶ丘入口 |
15:16 | 加行山、関ヶ丘配水池 |
15:42 | 関ヶ丘入口 |
16:04 | 伊勢別街道に出た |
16:18 | 関宿・東の追分 |
16:47 | 関宿・西の追分 |
追記 2024.01.12
広報かめやま2023年12月号に「関航空灯台跡を訪ねて」という記事を見つけた。航空灯台の廃止は昭和20年とのこと。通称「三角山」なのはもっともだと思う。