アクセシビリティのメモ帳1
1.「肢体不自由」?─「肢体障害」とはいわないの?(2002年11月29日)
今年度(平成14年度)のバリアフリーアドバイザー養成講座(四日市地区)(三重県主催)を受講する機会を得ることができました。10月5日の第1講から11月23日の第8講まで、2ヶ月間毎週土曜日休みなしのハードスケジュールです。
いろいろと勉強させていただき、そして何よりも、多くの方々と新しく知り合いになれたことは、大きな喜びでした。桑員バリアフリーの会にも、受講生の中から8名のかたが入会してくださいました。
わたしは、その第2講めで早くも、自分の無知にぶちあたりました。
それは、三重県立 草の実 リハビリテーションセンターで理学療法士として働くFさんの「肢体不自由の基礎知識」の講座の中でです。
配布されたレジュメの中に、肢体不自由の位置づけとして、障害者の分類が載っていました。
「障害者」は、大きく「身体障害」「知的障害」「精神障害」の3つに分かれ、さらに「身体障害」は「肢体不自由」「内部障害」「聴覚障害」「視覚障害」の4つに分類されるとの記述で、肢体不自由なかたは、身体障害の約6割に当たるとの説明がありました。
ここで疑問が沸いたわけです。なぜ、「肢体」だけ「障害」ではなく「不自由」というのだろう。よく体幹機能障害とか聞くけど、「肢体障害」という言い方はしないのだろうか、使ったらまちがいなのだろうか、と言う疑問です。
Fさんは、講義の中でご自分のメールアドレスを教えてくださっていましたので、自分の無知をさらすのは恥ずかしかったのですが、家に帰って、思い切ってメールを送りました。
すぐにご返事をいただきました。
そして、その内容に感銘を受けました。
障害を持ちながらも一人の人間として懸命に生きている、そしてまわりの人たちもそれを暖かく支えているということが、非常によく伝わってくるものでした。
少し長くなりますが、Fさんからのメールの抜粋をここに紹介し、「アクセシビリティのメモ帳」のメモ1号とさせていただきます。
(以下、メールの抜粋です。)
『 日本ではじめて肢体不自由の子どもたちのための施設ができたのは、大正10年ころとのことです。このころはまだ「肢体不自由児」と言う言葉はなく、脳性麻痺やポリオの子供達は「肢体機能障害児」とされていました。
「肢体不自由」という言葉が生まれたのは昭和の戦前後のころ、「高木憲次ら」が作ったと習いました。この頃できたことばにもう1つ「療育」と言う言葉があります。これは、「肢体機能に障害をおった子どもたちを単に医学のみで対応するのではなく、教育的や社会的な視点で見ていく、つまり、脳性麻痺などの病気として見るのではなく、一人の人間として考えていこう」という考えから生まれた言葉です。そして今でもこの言葉は使われており、私達の基本的な考え方となっています。
医療の分野では「機能障害」といいますとどうしても、「医学的」な言葉になってしまいます。「手の関節が固い」「足の筋力が弱い」などの身体のある部分だけをとらえ、人間全体(その人のパーソナリティー)を見えなくすることもあります。医学ではどうしても、病気そのものとの戦いが優先され、そのあとにやっと人権やらなんやらがついてくる歴史があります。肢体不自由の分野でもそうだったのだと思います。それの反省から生まれたのが「肢体不自由」だったのではないでしょうか。特に対象が子どもでしたので、「機能障害はあるけど、必死で遊んでいる」「手足は自由に動かないけどなんとか自分の意志を伝え、生きている」、そんな子どもたちの人権を尊重する言葉として考えられたのだと思います。
なら、どうして、他は「視覚障害」などと言うのかわかりません。
「肢体不自由」−「視覚障害」−「内部障害」−「聴覚障害」という並びの中では「肢体不自由」は次元が違うようにも見えます。肢体不自由は総称のようなものでもあります。細かく分けるとこの中には「体幹機能障害」「上肢機能障害」・・・となりますが。この当たりの身体の部分を表わすことばとして他の3つはそのまま使われています。どれも法律的な言葉です。
法律用語は、何年、何十年もずーっとかまわず使われることは多いように思います。そして、時々その言葉が時代に合わなくなり、そのことに対して活動をする人や団体がいて、見直される。それがあるかないかも大きいのではないでしょうか。最近の例では、「知的障害」という言葉がありますよね。ほんの数年前までは「精神薄弱」と言われていました。今では差別用語に近い言葉が堂々と使われていたわけです。
「障害」ということばの捉え方は本当に難しいです。私も仕事をしながら「しまった」と思ったこともあります。今は当事者のかたと話す時は、相手のかたが「障害」と言う言葉を使うかたでなければなるべく私も使わないようにしています。「○○がやりにくい」「不便だ」などと話していますけど。「不自由」と言う言葉を嫌う人もいますしね。かえって相手のかたや子どもたち、お母さんに「自分は、僕は、この子は、障害者、障害児だから」などと聞くとドキッとします。あまり、気にし過ぎるからいけないのかなとも今は思っています。』
(三重県立 草の実 リハビリテーションセンター Fさん)
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