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  3. 2021年2月7日

鈴鹿:高畑山

体力維持登山。鈴鹿峠から坂下峠まで歩いた。高畑山は展望抜群だが残念ながら曇り空。暖かい日で雪は残っていなかった。

また、2021年2月20日、林道神大滝線ヘ大滝を探しに行ったので追記しておく。

登山日
2021年2月7日日曜日
ルート
坂下-鈴鹿峠-高畑山-溝干山-坂下峠-神大滝林道-坂下

鈴鹿峠

坂下集落の西にある岩屋観音西の送電線下駐車場(国道一号側道)に自動車を置いて側道を西へ歩く。

片山神社への車道に入ると周辺は植林になるが、ここは1650年の水害後に現在地へ移転した旧坂下宿の跡地とのこと。移転後の元禄年間(1698年)に書かれた坂下宿絵図には「坂下古町之跡」とある。(画像を右クリックなどして拡大表示できる。)

片山神社から急坂を登り鈴鹿峠に上がる。登山道の標識前を通過して植林の西端に出れば県境だ。伸び放題だった茶畑は伐採されて見通しが良くなった。ここに新しい「界」の標石(裏:平成十三年土山町教育委員会)がある。

坂下宿絵図では県境の三重県側に茶屋が六軒も並んでおり、それかと思われる石組みが今も残されている。峠の茶屋は繁盛したのか。それでも、絵図の約60年後のこと、「甲賀郡志」に坂下で山人三人がオオカミに喰殺されたなどの記録が出てくるので物騒な場所だったのだろう。引き返して標識から高畑山へ向かうと「田村神社旧跡」の石碑(右:明治四十年五月廿七日片山神社合祀、左:大字坂下)がある。絵図の「田村堂」だ。

この坂下宿絵図では片山神社の背後に「鈴鹿山」とある。元禄国絵図(近江国)では「鈴鹿越」の南に「高畑山」があり「伊勢国ニテハ鈴鹿山ト申候」と附記されている。山の表と裏では呼称が違うという解釈で良いのだろうか。山名は混沌としており難しい。

高畑山

鏡岩に寄り道して低いササの斜面を登る。暖かい日が続いたので雪はなし。背が高いササは近年にササ枯れしたようで立ち枯れの茎が残っている。勾配が緩んだ630mで新しい標識に出合った。「甲賀市」とあるが、ようやく標識整備を始めたか。足下に山内財産区のプラ杭があり滋賀県側に植林帯が現れるが、これ以降は坂下峠まで植林を見なかった。

写真3 ナイフリッジ写真4 高畑山山頂

固定ロープがあるナイフリッジを通過して下り、再度登ると展望のある尾根道となり高畑山の三角点に達した。展望は良いが、天気分布予報は外れて曇り空なのが残念。綿向山、雨乞岳、御在所岳、鎌ヶ岳が遠方に並ぶが、あまり白くは見えない。

写真5 溝干山写真6 坂下峠

溝干山へ向かう。県境尾根では各所で緑葉が付いた枝が切り落とされている。大手を振って歩けるので有難くはあるが、やり過ぎかも知れない。溝干山は東面の伐採が拡張されたようで展望良好。あとは坂下峠へ急降下するばかり。

坂下峠

坂下峠の切り通しは相変わらずで、林道神大滝線の峠部分は徒歩でしか通行できない。伊勢側に林道敷設前の旧道の痕跡を探してみるが、崩壊した深い谷の斜面があるばかり。シカ二頭が白い尻を見せて谷底を逃げて行く。或いは旧道上に林道が敷設されたのか。

「大滝」が気になっていたが目印を見つけられないままに想定地点を通過した。長い林道歩きで国道1号に出ると小雨。自動車の中から小雨の国道を歩く単独ハイカー3人を見送って本日はお仕舞いにした。

鈴鹿峠~高畑山で登山者7人に出合った。雪は残っておらず、風がなかったので登りでは汗ばんだ。前回はイノシシの家族に出合ったが、今回はシカ二頭だけだった。

行程表

9:14駐車場
9:42鈴鹿峠、鏡岩(9:42-10:08)
11:45高畑山(11:45-11:52)
12:23溝干山(12:23-12:32)
12:51坂下峠
13:45林道神大滝線ゲート
14:06駐車場

地図

地図の大きさ:600×150 600×300 600×600

地図の大きさ:600×150 600×300 600×600 地図表示について

赤線:登山ルート、青線:下山ルート、:田村神社旧跡石碑、:鏡岩、:ナイフリッジ、:廃車、:1番堰堤、:2番堰堤、:3番堰堤、:カマ跡

この地図は Garmin eTrex30 により取得した軌跡を編集して国土地理院の地形図(地理院タイル)に重ねて表示したものです。位置精度には限界があり、例えばカマ跡の位置は鈴鹿川左岸(北側)です。

大滝

2021年2月20日、神大滝林道へ「大滝」を探しに出かけた。"鈴鹿川 大滝"で検索すると何件かヒットする。林道脇の転石を目印に大滝へ下降するものがあるが、前回は見つけられなかった。

ゲートから鈴鹿川右岸の林道を歩いて橋で左岸に渡る。橋の上流には地形図に記載がない堰堤が見える。廃車がある曲がり角を通過し、ゲートから33分で下降に都合が良さそうな植林尾根があったのでこれを下った。

この尾根には作業道があり、下り始めるとテープマークを見たがそれっきり。右下に鈴鹿川本流の堰堤(二番堰堤)が現れ、堰堤下流側の鈴鹿川に下りた。下流へ歩くと林道の橋から見た堰堤があったので、これを一番堰堤としよう。

写真5 植林を上流へ歩く写真6 カマ跡、植林行き止まり
写真7 谷を歩く、大滝直前写真8 大滝

引き返して上流へ歩く。鈴鹿川左岸は植林で歩きやすい。地形図にある二番堰堤、三番堰堤の左岸を通過。前方に雑木の斜面が現れるとカマ跡があり、その先に「三重県林班」の白い鉄板杭がある。山が迫って左岸を歩けないので谷へ入って遡行すると大滝があった。登山靴では接近できず手前から写真を撮影する。小尾根を挟んで東にある急峻な沢には林道から投棄された冷蔵庫が見える。やれやれ。

カマ跡に戻り、植林境界の尾根(東:植林、西:雑木)にある作業道を登る。足下から崩壊していたりするが通過には問題なし。両側が植林になり、林道に飛び出した。足下には赤い「三重県」のプラ杭。周辺には「国調多角」の黄色いプラ杭、「三重県林班」の白い鉄板杭。ネットにあった目印の転石は見当たらない。なお、坂下峠を通過した「古道」の痕跡は見なかった。

鈴鹿大滝の絵葉書

三重大学図書館にあった鈴鹿峠絵葉書(7枚組)のデータが国立国会図書館に収集されている。このなかに「鈴鹿大瀧」の写真がある。鈴鹿トンネルの写真があるので発行は大正13年以降。大滝は林道神大滝線や国道1号の第1~4大滝橋に名称があるが地形図には記載がない。記載があれば右往左往せずに済んだのだが。

道草

絵葉書に「英照皇太后御遺愛之不断櫻」がある。英照皇太后は明治天皇の嫡母。絵葉書のサクラは傷んでいるようだが、坂下宿の本陣大竹家にあった不断桜のことか。本陣跡に立ち寄ったがサクラは残っていなかった。2代目とかもなさそう。この後、昨年に開館した関宿の山車開館へ行ったが、関宿の福蔵寺入口にある石柱に「英照皇太后陛下駐泊所」とあった。随分と人気がある。

関宿・百五銀行前の自販機で清涼飲料水に混じって販売されている缶入りおでんを購入。300円也、賞味期限は2023年。モノは名古屋の天狗缶詰製。開封するとコンニャクに長い串が刺してあるのでコレを使うらしいが持参の割り箸で食べた。お味はまあまあ。

(作成 2021.02.13、更新 2021.02.21)