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  3. 2021年10月24日

鈴鹿:綿向山

蔵王ダムを起点に文三ハゲから綿向山に登り、表参道・北畑林道で下山した。また、何時もは自動車で通過する金峯神社などを巡った。

文三ハゲは2002年6月に熊野から往復している。現状、文三ハゲの砂防道路は取り付きの部分は消滅、ジグザグの登り道は最上部を除いて西側の各曲がり角が削れ落ちていた。登山地図から文三ハゲのルートが削除されたのも仕方ない。

登山日
2021年10月24日日曜日
ルート
蔵王ダム-平子-熊野-文三ハゲ-綿向山-表参道-北畑-音羽-蔵王-蔵王ダム

若宮神社・熊野神社

蔵王ダムの駐車場に自動車を置いて国道を東へ歩く。南側には松茸山で立入禁止の看板やら、日野町猟区の看板やらを見つける。山歩きには厄介なことだ。道路脇に地蔵さんが現れて平子の地内に入った。

写真1 平子の手前にて地蔵尊写真2 若宮神社(平子)

国道の消えそうな横断歩道から平子集落へ入ると若宮神社がある。案内板によれば、「若宮」とは親宮である熊野神社に対するもので、平子は熊野の後に開かれた新しい集落とある。その熊野へ向かうと、広い舗装路の脇に小さな山の神が見える。徒歩でなければ気付きそうにないものだ。

写真3 地蔵尊(熊野)写真4 熊野神社本殿

熊野バス停から熊野集落へ入り、何処かで見たような顔の地蔵尊で立ち止まる。熊野神社は大木が伐採されて明るい雰囲気に変わったが、社殿は何か秘密めいた雰囲気がある。由緒案内板によれば、綿向山信仰に熊野信仰が入り込んだという。由緒の祭神は伊弉冉尊と武三熊大人命(綿向山信仰・天穂日命の息子)と読めるが、滋賀県公文書館の資料では伊弉諾尊のみ。何かと都合があったのか。10時のチャイムを聞いて出発した。

地図の大きさ:600×150 600×300 600×500

地図の大きさ:600×150 600×300 600×500 地図表示について

赤線:登山ルート、青線:下山ルート、:綿向山雨量観測局、:水無山 No4 標識、:北畑林道ゲート・北畑林道起点、:北畑登山口、:若宮神社、:熊野神社、:押磐神社、:金峯神社

この地図は Garmin eTrex30 により取得した軌跡を編集して国土地理院の地形図(地理院タイル)に重ねて表示したものです。データ量を抑えた(間引きした)ので、文三ハゲ内部の砂防道路のジグザグなどを充分に表現できていません。

綿向山

熊野神社から山の神、野の神を左に見て林道を歩く。案内がある熊野滝(熊野飛滝神社)はまた何時か。良好な状態の林道は綿向山雨量観測局まで続き、さらに500mほど歩くと植林帯が終わる。この先、地形図にあるトンネルは存在せず、自然林となって右側の展望が開ける。舗装された小さなS字カーブで前方に文三ハゲが見え、右に堰堤が現れると路面が荒れているが歩行に支障なし。

再び小石が散らばる細いコンクリ舗装(写真)になり、林道は文三ハゲの砂利の中に消える。この先は砂防工事の道路が文三ハゲをジグザグに登っていたはずだが、その道路は消滅している。中央突破で登るが、大きめの栗石の斜面があり、靴底が薄いハイキングシューズでは足裏が痛い。

写真5 文三ハゲに入る写真6 文三ハゲ下端から見上げる
写真7 文三ハゲ、砂防道路が残っていた写真8 文三ハゲ、上方の木を目指して草の斜面を登る
写真9 文三ハゲと水無山写真10 綿向山山頂

しばらくで砂防道路の残骸に登り着いたが、道路はジグザグの西側曲がり角が最上部を除いて崩壊している。その最上部の西側曲がり角から、上方の木を目指して草の斜面を登って綿向山-水無山間の標識 No4 付近に出た。やれやれ、残り190メートル。

文三ハゲ最上部から水無山を眺めて呼吸を整え、まだ紅葉らしくない急斜面を登って山頂に到着。登山者は10名ほど。天候は雲リ空だが遠望は利いた。

下山は大嵩神社前からの表参道。歩き良い道だ。九合目を過ぎると黄色い工事用ヘルメットのお兄さんが登ってきた。まだ、頭髪が薄くなる恐怖を知らぬらしい。行者コバ手前で立ち止まると、突然に後方からトレラン1人が現れて仰天。耳が遠くなり気配を察知できなかった。管理者によるトレランやめての掲示がある参道を走って何が楽しいのやら。

北畑林道

北畑林道を北畑集落まで歩いた。御幸橋駐車場へ下降する付近の指導標には、北畑へは林道より「御幸橋・西明寺口経由の方が近道です」とあり泣かせられる。

写真11 綿向山登山口

北畑林道は軽四トラックの車幅しか処理されていない倒木があったが、ほぼ全区間が舗装された広い道だった。出合ったのはヤマドリと道迷いの登山者だけ。植林山である浄善坊の北を通過するとフェンスで囲われた耕地に出た。ゲート、綿向山標識、北畑林道起点の標柱がある。

フェンスの出口は県道の北畑登山口。立派な「綿向山登山口」の標識があり、耕運機を押した爺さんが集落へ帰って行く。

押磐神社(綿向本宮)・金峯神社

音羽交差点から南へ歩くと交差点北東角に石標が二つ。綿向山、西明寺、八丁野など見えるが判読は難しいような。

押磐神社は西明寺川の対岸。明治維新の皇室ブームの時期に、旧名「綿向本宮」から改名している。鞘堂の中には、お堂が二つある。滋賀県公文書館の資料では祭神は押磐皇子と天穂日命。そして境内社として祭神不詳の釜神社。音羽集落内には押磐皇子の御骨堂とされるものがあるが、これもまた何時か。

写真12 押磐神社写真13蔵王神社

国道に鳥居前を絶ち切られた金峯神社の本殿は階段の上。こちらは蔵王権現。案内板横の木は「かば桜」だとか。滋賀県公文書館の資料では祭神は廣国押民金日命?=安閑天皇だろうか。神仏分離のご時世だったので蔵王権現とは書けなかった。

誰もいない蔵王ダムへの帰着は薄暗い時刻になった。新型コロナウイルスの緊急事態宣言の解除で、久し振りに滋賀県側の長距離を歩くことができ満足。なお、滋賀県公文書館の蒲生郡神社明細帳に、飛滝神社大嵩神社佐久奈度神社も見つけた。

行程表

8:30蔵王ダム、出発
9:14若宮神社
9:48熊野神社(9:48-10:00)
10:35綿向山雨量観測局
11:21林道終点・文三ハゲ下端
11:58水無山 No4 標識
12:45綿向山山頂(12:45-12:57)
14:23ヒミズ谷出合小屋
15:01北畑林道ゲート・北畑林道起点
15:16北畑登山口(県道)
15:51押磐神社
16:16金峯神社
16:47蔵王ダム、帰着

鈴鹿スカイライン

帰路は暗くなった鈴鹿スカイラインを利用した。滋賀県側の料金所跡には街路灯が一基点灯し、残された電話ボックス内の照明もいまだに点灯していた。三重県側では、三ツ口谷のカーブの先にシカを発見して急ブレーキ。3m手前で停車できたが、後続車がなくて良かった。立派な枝角の牡が三滝川へ下りていった。

写真14 湯の山かもしか大橋から

写真は湯の山かもしか大橋から。菰野富士が暗い。

追記:地形図あった林道のトンネルが削除された

地形図の熊野-文三ハゲ間の林道に記載されたトンネルが削除された。十月末に国土地理院に情報を入れたのだが、意外と早い対応だった。(2022.01.03 現在)

(作成 2021.10.27、追記 2022.01.03)