鈴鹿:鎌ヶ岳
体力維持登山。少しでも歩いておきたかったので、武平峠から霧のなかの鎌ヶ岳を往復した。山頂の冠峰詩碑を詮索する。
- 登山日
- 2023年8月26日土曜日
- ルート
- 武平峠-鎌ヶ岳-武平峠
鈴鹿スライライン
朝寝坊をした。鈴鹿スカイラインの路面は濡れており、チラリと見た八時頃の中道駐車場は、鈴鹿スカイライン側は10台未満、温泉側は混雑していたようだ。
NHKラジオの山カフェを聞きながら武平峠東の駐車場に到着した。雨は止んでいるが周辺は霧で何も見えない。天気は回復方向なのでゆっくり準備していると、自動車が増えて10台くらいになった。出発は8時22分だ。
鎌ヶ岳

両側が真っ白な県境尾根を登る。立ち止まると涼しいので前に進まない。周辺には奇妙なキノコがたくさんある。それでもフェアリーリングには滅多にお目にかからない。気付かないだけかも知れないが。
今日は山頂にある伊藤冠峰の詩碑を見に来た。前回の御在所岳にある冠峰詩碑の続きだ。この石版には全く興味がなかったが、江戸時代に御在所岳や鎌ヶ岳に登った人なら話は別だ。
石版には「鎌ヶ岳一名冠峰1161m」とある。場所は一等地。右側にある某山岳会の慰霊碑の日付は1971年なので、それ以前の設置だろうか。内容は御在所岳の詩碑と同じ「冠峰歌」だが、引用部分の「美哉冠峰長悠悠・・・」は「冠峰歌」の最後の部分だ。


武平峠から山頂までに登山者10人に追い越され、武平峠までの下山では登山者19人に出合った。武平峠に近づいた頃には滋賀県側には青空が見え、三重県側も平野部を見通せるまでに天候が回復した。
菰野町図書館にて

菰野図書館の地域資料にある伊藤冠峰の「緑竹園詩集」や「伊藤冠峰緑竹園詩集訓解」(村瀬一郎(2001)冠峰先生県章研究会)などを閲覧した。
「冠峰歌」(通し番号36)や「上御産所嶽」(21)は、それぞれの山に登ったこと、温泉があることは書かれているが、山や登山の様子はほとんどない。「訓解」では書き下し文を読めるが、漢詩の素養がなくてついて行けなかった。
登山時期は不明だが、「緑竹園詩集」の完成が冠峰66才の1782年なので、30才前後の登山なら1700年代の中頃になる。270年くらい前のことだ。
江戸時代の登山の様子は、菰野町図書館にある「江戸時代 御在所岳・鎌ヶ岳登山(改訂版)」(久保田孝夫)に整理されており、伊藤冠峰も取り上げられている。よく調べたものだ。資料の出所の記載が見つからないものが幾つかあって残念だが。
夜、山行記録を整理していると強烈な雷鳴があった。8月15日の台風7号以降、不安定な天気が続いている。雷サージ対策をしていないパソコンなので不安な気持ちになる。
行程表
8:22 | 武平トンネル東口駐車場、出発 |
8:36 | 武平峠 |
9:55 | 鎌ヶ岳(9:55-10:06) |
11:21 | 武平峠 |
11:34 | 駐車場、着 |