鈴鹿:藤原岳
大貝戸の藤原岳登山口休憩所から藤原岳の山頂を往復した。
10年振りの藤原岳だ。登山口からの高度差は約1000mなので登れるのか心配だったが、なんとか往復できた。
- 登山日
- 2023年10月19日木曜日
- ルート
- 大貝戸(藤原岳登山口休憩所)-藤原岳-大貝戸
藤原岳
8:34、大貝戸の藤原岳登山口休憩所に自動車を置いて出発した。40台ほどの駐車場に自動車は15台だった。神武神社の入口には「表登山道」とあるが何故だろう。御在所岳の表道は山頂の御嶽神社に対する表参道の意味だと解釈しているのだけれど。

四合目の雑木林の紅葉はまだ。五合目を通過すると左から機械音が聞こる。どうやら採掘範囲が拡大された鉱山の音らしい。
七合目の先では雨水で削られた亀裂に石灰岩が白い。振り返ると植林はみな根元が曲がっている。斜面がゆっくりと動いている証拠だ。
八合目で一休み。ジグザグの夏道にも石灰岩が露出した亀裂が出来ている。九合目からは鉱山で稼働する機械が見えるようになった。しばらくは石灰岩で歩きにくい。
避難小屋から藤原岳の山頂へ向かう。標識には展望台と書かれているが、昔の「展望丘」のほうが好ましく思う。10年前には枯れて灰色になったササの中を歩いたが、ササの残骸は消えて広い道が出来ている。
山頂標識の周辺では20人ほどの登山者が休憩中。平日だが登山者が多い。緑色の標識には「標高1144.8m」とあるが何処から持って来た数字だろう。細かいので地形図からとは思えない。三重県のM-GISによると、2014年版、2020年版ともに「1141.8m」だ。


2008年(鈴鹿:藤原岳 2008-01-06)に気付いた霊神碑を探すと角度が違う。さらに倒れたか。刻字はおそらく「尾張明栄講々祖 覺禮霊神 大教正 山田久三郎」なのだろう。御嶽教の講社(神殿大観)の開祖らしい。岩は周辺の石灰岩と同じものだ。山頂標識の東側には登山者が腰掛けにしている長い岩があるが、これは上面が削られて平面になっている。制作中の霊神碑だったのか。


展望丘から石灰岩を採掘する銃器や採掘現場が見えるようになった。廃止された袴ヶ腰の三角点付近は削られて平坦になっている。尾根伝いに西へ視線を振ると、かなり離れた所に何か見える。白い縦型のものと、何だか赤っぽいものだ。行ってみよう。
地図の大きさ:600×150 600×300 600×400
地図の大きさ:600×150 600×300 600×400 地図表示について
避難小屋(藤原山荘)、
霊神碑、
東端の池、
鉱山のフェンス
この地図は Garmin eTrex32x により取得した軌跡を編集して国土地理院の地形図に重ねて表示したものです。
途中で地形図に記載がある池三つを見に行った。西端の池は見覚えがある細長いドリーネで水はない。中央の池はとても浅い窪地で同じく水はない。東へ向かうと10頭以上のシカが逃げて行く。東端の池は10年前(鈴鹿:藤原岳 2013-10-13)より水が増えた。


謎の物件に向かうと、東西の尾根が南北に続くネットフェンスで分断されている。鉱山側は立入禁止らしい。尾根上にあるフェンスの出入口は施錠されている。その向こうに三重県の藤原岳雨量観測所の施設があった。袴ヶ腰三角点の西側にあったと記憶しているが、ここまで引っ越ししたらしい。これが白い縦型のものの正体だった。そして乗用車2台がある。赤っぽいものはテールランプの反射光か。
尾根上のフェンスの位置を地図に書き込んである。ここから東南東へ約570mの位置に袴ヶ腰三角点があり、その東側直近が鉱山の上端だった。随分と鉱山の範囲が広がったものだ。
避難小屋に戻ると13時過ぎ。登山者数名が残っている。往路を引き返して下山した。
行程表
8:34 | 藤原岳登山口休憩所、出発 |
10:24 | 八合目(10:24-10:28) |
11:21 | 避難小屋前 |
11:41 | 藤原岳山頂 |
13:17 | 避難小屋前を出発して下山 |
15:00 | 藤原岳登山口休憩所、到着 |