鈴鹿:御在所岳
峠谷右岸尾根から御嶽大権現へ登った。中道のアカヤシオはキレットまで開花しているが、今のところ開花している花は少ない。
- 登山日
- 2024年4月14日日曜日
- ルート
- 峠谷右岸尾根-御在所岳-中道
峠谷右岸尾根
6時5分、中道駐車場に到着すると先行して入場した自動車で満車になってしまった。諦めて交通の邪魔にならない道路脇に自動車を置いて出発する。今日は滋賀県側の峠谷右岸尾根から登る。
地図の大きさ:600×150 600×500 説明:地図表示について
紫線:登山ルート、:中道駐車場、
:武平峠~雨乞岳2番標識、
:御嶽大権現
照明が点灯されておらず暗い武平トンネルを通過して雨乞岳登山道に入り、峠谷の右岸尾根に取り付く。ただ、南北の尾根の下部は勾配が厳しそうなので、西側の緩やかな尾根を使うことにする。
2番標識を通過したところで雨乞岳への登山道を離れて植林の尾根を登る。下草がなくて登りやすいが踏み跡は見当たらない。少し登ると尾根上と右側(南斜面)の植林がなくなって雑木のヤブになるので、邪魔な中低木を避けたり潜ったり、北側に続く植林側を歩いたりする。






このヤブは960mの手前で終わり、尾根はすっきりとした冬枯れの疎林に変わった。林床は低いササと枯れ葉になる。ここもササ枯れだ。樹間からは南に鎌ヶ岳、左後方に見えるのは雨乞岳だろうか。970mで尾根北側の植林も終わり、勾配が増して南北の峠谷右岸尾根に乗った。
尾根上は雑木が五月蠅そうなので、しばらくは西側の疎林を登り、1050mあたりで尾根上から四囲を眺める。東隣の県境尾根は陰になって真っ暗だ。低木を避けながら僅かに獣臭が残る尾根上を登るが、郡界尾根が近づくと歩き難くなったので西側の疎林に逃げると、その郡界尾根の道に飛び出した。
御嶽大権現に近づくと東側に大岩がある。誰が名付けたのか「猪岩」の名札があった。この岩に登ると、周辺のシロヤシオの樹林の上に飛び出すので花見には都合が良かった。脇にある木からよじ登ったのだが、枝が折れたようで登れそうにない。
今日のルート(雨乞岳登山道~郡界尾根)には明瞭な踏み跡はなく、稀に目印を見たが、登りに使うなら迷いようもない。三重県側の登山道とは雰囲気が違うのだけれど、中道などもササ枯れが進行すると違った風景になるかも知れない。シャクナゲ・ジャングルには出合わなかった。クモの巣に顔を突っ込まないように要注意。
中道
中道を下ると1000mで良く咲いたタムシバに出合った。950m(木梯子の上)でも咲いており、隣のアカヤシオはツボミが紅い。キレットに下りると咲いたアカヤシオが南面に見えるが、中道直近だとキレットの東側に弱々しく一株が咲いている。次いで地蔵岩で弱々しく二株、五合目でも一部の枝に花を咲かせたアカヤシオが一株。
花を見ないままにオバレ石まで下りた。夕刻のオバレ石で女性の話し声を聞いたように思ったことがあるが、登山者が行き交う真っ昼間の中道ではその気配もない。オバレ岩の南側のアカヤシオも花の数は今ひとつだった。

昭和34年の『登山』6号に「鈴鹿一ノ谷の大政小政」という一文があり、国会図書館に登録しておくとネットで閲覧できる。これによると自殺者の死体が腐乱して下ろせないので、この付近に埋めてあるとのこと。性別の記載はないのだけれど。もしかして。せめてもの弔いに南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
こういった話は、昔の戦場跡だとか、代官所の牢跡だとか、処刑場跡だとか、集団自決の場所だとか、枚挙にいとまがないのだけれど、ちょっと近寄りがたいものがある。そういえば中道のあちらこちらにも遭難事故の現場があったか。低下した体力に見合った山歩きをすべきことを自戒する。
三合目以降には、かなり花があり、650mでは良く咲いていた。今年のアカヤシオはどんな開花をするのやら。
朝、駐車場所を出発後、一の谷山荘前を通過したところでガードレールを跨いで旧道に下りる予定だったが、ガードレール一枚が撤去されて木製パレットが三滝川の河原まで地面に敷かれていた。歩道として置いたようで、河原にはキャンプ施設のようなものが出来ている。客はこんなもので喜ぶのだろうか。この河原には2022年11月に下りており、多数の獣の足跡を見ている。夜は水場になっていたのだろう。
行程表
6:13 | 駐車場所、出発 |
7:08 | 雨乞岳登山口 |
7:30 | 雨乞岳登山道・2番標識 |
7:32 | 雨乞岳登山道を離れる |
8:13 | 郡界尾根に出合う |
8:30 | 御嶽大権現 |
8:45 | 御在所岳・三角点 |
9:28 | 富士見岩、中道下山口出発 |
11:35 | 中道登山口 |